第6章 照
第26話
舞台は夜ではなかった。
その日は休日で、月夜は朝から真昼の家に向かった。彼に呼ばれたからだ。以前、真昼は、月夜に、自分の家に来ないか、と誘ったことがあって、今日がその日になった。大抵の場合、月夜は休日は六時に目を覚ます。それから一時間程度勉強して、ご飯を食べてから、家を出て真昼の家に到着した。
真昼は両親と暮らしているが、彼らは家にいないことが多い。だから、実質的には、月夜の家と変わらない。月夜には両親がいなかった。生まれたときからいないから、当然顔も見たことがないし、会いたいな、と思うこともない。知らないものに憧れを抱くことはあるが、知らなさすぎるものには、知りたい、という欲求ははたらかない。それは、そもそもの問題として、その対象を認知していないからにほかならない。月夜が両親を意識しないのも、そういう理由からだった。
真昼家(真昼、というのは名字ではないから、本来なら、この言い方はおかしい)の玄関を開けると、明るい室内が広がっていた。当の真昼の姿は見えない。玄関の鍵は開いているから、勝手に入ってこい、とのメッセージが送られてきたから、月夜は、それに従って、勝手に玄関を開けて家に入った。靴を脱いで、軽く揃える。正面に大きなドアがあったが、そちらはリビングだから、おそらく、真昼はそこにはいない。廊下を右手に進んで、洗面台で手を洗ってから、今度は逆に廊下を少し戻り、階段を上って、真昼の部屋の前に到着した。
月夜は、数年前にここに来たことがあった。どういう経緯で来ることになったのか、それについては覚えていない。きっと、本当に些細な理由で、本当に些細な用事を済ませるために、来たのだろう、と月夜は推察する。推察と、推理の違いは、どこにあるのだろう、と考えてみたが、他人の部屋の前に立って、一人で考え事をするというのは、どうにも失礼に思えたから、月夜は、ドアを開けて、彼の部屋に侵入した(決して怪しい行為ではない)。
月夜は部屋の中を見渡す。
見ると、真昼は、ベッドで、まだ眠っていた。
概ね想定内だな、と月夜は思う。時刻は午前十時を少しすぎたくらいだから、彼が眠っていてもおかしくはない。真昼は、学校に遅刻することはないが、休日になると、一気に気が抜けて、こういう状態になる。やるときにはきちんとやっているから、なんの文句もないが、こんな彼を見ると、なぜか安心する月夜だった。それは、彼女が、真昼に、何らかのライバル意識を持っているからかもしれない。といっても、明確な対象は特になかった。学力だって、客観的に見ても月夜の方が優れているし、ファッションのセンスに関しても、真昼よりは月夜の方が上だ。まあ、ライバルなんて、生きるうえで必要ないな、と月夜は考えていたから、その考察はおそらく間違えだろう。
ベッドに近づいて、月夜は真昼の身体を軽く揺する。彼はぼんやりとした表情で目を擦って、瞼を開けた。
上から、月夜は真昼の顔を見つめる。
「やあ、来たんだね」掠れた声で、真昼が言った。「おはようございます」
「もう、朝じゃないよ」
「今、何時?」
「十時十二分」
「なんだ、じゃあ、まだ、朝じゃないか」真昼は起き上がった。「それにしても、こんなに早く来るなんて思わなかったな」
「そう? じゃあ、一度帰って、それから出直した方がいい?」
月夜の言葉を聞いて、真昼は笑った。
「どうして、そんなことをする必要があるの?」
「必要は、私にはないけど、君にはあるのかもしれない、と、思ったから」
「僕も大丈夫だよ」
「何が、大丈夫なの?」
「君にいてもらっても、構わない、ということ」
「うん」
「あ、でも、着替えるときは、後ろを向いていてね」
「貴方が、私の後ろに来る、というのでは、駄目なの?」
「どっちでもいいよ」
「分かった。じゃあ、後ろを向いている」
「それって、冗談のつもり?」
「つもりではない」
真昼はベッドから抜け出して、適当に衣服を見繕って着替える。見繕って、というのは、自分のクローゼットから見繕って、という意味だ。彼は衣服をあまり持っていない。服装に拘らない、というのが、彼の拘りの一つだった。これでは意味が分からないが、彼はそういったちゃらんぽらんなことが好きだ。いや、好き、というのは言いすぎかもしれない。拘りと言いながら、そこまで拘っているわけではないし、命の危機が迫ったら、簡単に捨てられるくらいの拘りでしかない。ちなみに、月夜は、今日は空色と白のワンピースを着ていた。清楚なイメージで、どちらかというと、彼女という人間には相応しくない。けれど、衣服を着用することで、自分の人間性を偽れるから、もしかすると、そういった魂胆が彼女にはあるのかもしれなかった。
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