第18話

「今日は、曇っているなあ」話すことがなくなったから、真昼はなんとなく呟いた。本当は、話すことがないなら、何も話さない、というのが最も合理的な選択だ。


「うん」


「月夜は、曇り空と、星空だったら、どっちが好き?」


「君が、私の名前を口に出すのは、久し振りな気がする」


「え、そうかな」


「うん、そうだよ」


「気がする、ということは、本当は違う可能性もある、ということ?」


「そう」


「なるほど。君は、自分の発言を、よく分かっているね。感心するよ」


「自分の発言なんだから、自分が一番よく分かっている、と思う」


「そうだけど、残念ながら、僕は、自分の発言に責任を持てない質なんだ」


「何が残念なの?」


「ほら、今のそれだって、そうだよ」真昼は笑った。「こんなふうに、自分で言ったことを、すぐに自分でも忘れてしまうんだ。そうやって、他人から指摘されて、始めて気がつく。自分の頭で考えているはずなのに、考えついた瞬間に、もう、別のことを考えているんだ。これは、もしかすると、ある意味才能かもしれない、と思っているんだけど、どうかな?」


「どう、というのは、何を訊いているの?」


「それについての、君の見解を訊いている、と言えば伝わるかな」


「うん、伝わる」


「やっと、伝わった」


「それだけじゃなくて、私は、君には、沢山の才能がある、と思う」


「へえ。なかなか嬉しいことを言ってくれるね」


「誰が嬉しいの?」


「僕がだよ」


「それなら、私も嬉しい」


「前にも、そんなことを言っていたね」


「そうだっけ?」


「あれ? 君も、自分で何を言っているのか、分からなくなることがあるの?」


「あるよ」


「じゃあ、そんなに深く考えているわけではないんだね」


「うん、そうかもしれない」


「で、もとの話に戻るけど、君は、曇り空と、星空なら、どちらが好き?」


「星空」


「どうして?」


「綺麗だから」


「たしかに、その通りだね。けれど、曇り空だって、見方によれば綺麗だよ。風流、という感じかな。月の前に雲がかかっていたら、とても綺麗だと、僕は思う。近くに松の木なんかがあったら最高だね」


「曇り空、というのは、どれくらいの許容範囲なの? あと、最高、ということは、予め基準が設けられている、ということ?」


「違うよ」


「何が、どう、違うの?」


「君は、本当に、そんなことが気になるの?」


「私が、気にするのをやめてしまえば、きっと、君とは会話ができなくなる」その瞬間、月夜は顔を下に向けて、儚い表情になった。「できるなら、そんな状態にはなりたくない、と思う。君と、こうやって、話すことができなければ、私は、何を、どうしたらいいのか、分からなくなって……」


 月夜の表情が曇っても、真昼はさほど慌てない。こういうことは今までにも何度かあったし、月夜も長い間引きずるような性格ではないから、まあ、大丈夫だろう、くらいに真昼は思っている。


 月夜は、ときどき、勝手に思い込んで、勝手に思い悩むことがある。多くの場合、彼女をそんな状態に陥れる原因には、真昼自身が関わっている。けれど、だからといって、それで彼が責任を感じることはない。人間のコミュニケーションというものは、必然的にそういう要素を伴うものだ。だから、仕方がない、というふうに考えるしかない。問題は、そういったちょっとした擦れ違いが生じた場合に、どちらかが相手を受け入れることができるか、ということだ。それができないと、長期的な関係を築くのは難しくなる。月夜と真昼の関係は、それなりに長く続いているから、こんな感じで大丈夫だろう、というのが真昼の素直な感想だった。


 真昼は、月夜の肩を抱いて、軽く自分の方に引き寄せる。


 月夜は抵抗しなかった。


 特に抵抗する必要がないからだ。


「何を考えているの?」真昼は彼女に質問する。


「明日と、明後日の、勉強の予定」


「人って、不思議な生き物だね。本当に考えたいことがあっても、どうしても、別のことも一緒に考えてしまうんだ」


「うん、だから、それは綺麗」


「綺麗? どうして?」


 月夜は下を向いたまま答えた。


「別の作業を同時に行うことで、エネルギーの消費が抑えられるから、綺麗」


「なるほど」


 空に月は昇っていない。だから、真昼の言った「綺麗」とは違っている。しかし、それでも、なんとなく綺麗に見えないわけでもなかったから、真昼は、適当に、もう一度、綺麗だ、と呟いた。


 街灯の明かりが二人を照らしている。


 多くの場合、月夜は学校が終わっても家に帰らないが、真昼は一度帰宅して、それから彼女と合流する。今日もそうだった。一度家に帰るのに、真昼は絶対に制服を着替えてこない。彼曰く、それは、自分に私服のセンスがないから、らしい。月夜は、学校がない日は私服を着るから、別に、それほどセンスが優れているわけではないが、一般的な感覚は持ち合わせている。だから、今度、彼と一緒に洋服を買いに出かけようかな、と月夜は考えた。そんなことを考えると、たちまち元気になるから、人間とは、これまた不思議な生き物だ。といっても、月夜は、未だに、元気、というのが具体的にどういうものなのか、理解できていなかった。

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