第14話
真昼は、きっと、フィクション関係の書棚にはいないだろう、と思って、彼女は図鑑関係の本がある付近へ向かった。真昼は、たぶん文章を読むのが嫌いだ。授業でも、国語の時間になると、窓の外を見ていることが多いし、彼が自主的に読書をしているところは見たことがない。本そのものに興味がある、と言っていたから、内容に価値があるものではなく、装丁や、写真など、文字以外のものに重点がある本を選ぶだろう、と彼女は予想した。
そして、案の定、彼は、フォトギャラリーを手に持って、それに見入っていた。
月夜が彼の傍に近寄っても、真昼は顔を上げない。手の中の本を見ながら、素っ気ない態度で言葉を放つ。
「お腹、いっぱいになった?」
月夜は、気づかれないように彼の手を握ろうとして、直前でやめた。
「うん、いっぱいに、なった」
「君の、胃の容量はどれくらい?」
「計測したことがないから、分からない」月夜は話す。「でも、おそらく、家にある、パソコンの、データ容量よりは、多いと思う」
フォトギャラリーを見たまま、真昼が笑う。
「なかなか面白いことを言うね。なんか、今日の君、いつもと違うんじゃない?」
「そうかな?」
「うん、そう思うよ」
「君は、写真が好きなの?」
「写真は、好きじゃない。写真の中に写っているものが好きなんだ」
「それは、何の写真?」
「家だよ。日本のものではない、どこか遠い、海外の、誰かの、家」
月夜は、彼が見ている本を覗き込む。見ると、赤茶色の煉瓦で作られた家が、真っ青な空の下に鎮座していた。壁面に何本もの蔓が巻き付いていて、如何にもそれらしい。煙突が立っていて、クリスマスには、そこからサンタクロースが入るのかな、と思ったが、煙突は、たぶん、実用的なものだから、火が点いていたら、火傷を負ってしまうかもしれない。
「いいね。僕も、こういう家に、住みたいんだ」真昼は話す。
「そう」
「窓の形とか、玄関前の段差とか、タイルとか、すべてが素晴らしい。まさに、理想。こんな家が、都会の片隅に建っていたら、きっと、毎日が楽しくて仕方がないだろうね」
「毎日は、楽しくないの?」
「それは、今は、という質問?」真昼は月夜を見た。
「うん、そう」月夜は頷く。
「楽しい方だと思うよ」真昼は、本を閉じ、それを書棚に戻す。「でも、楽しくて、安全な環境にいると、どうしても、それに慣れてしまう。だから、本当は、こんな願望は、贅沢なものなんだ。どこか、遠くで、ずっと辛い思いをしている人がいるのに、こんな家に住みたいな、なんて、よく、軽々しく口にできるよね。恥ずかしいよ、本当に」
「それと、これとでは、話が違うと思うよ」
「うん、君ならそう言うと思った」
「予想?」
「そうだよ」
「的中して、嬉しかった?」
「まあね」
「次は、どんな本を読む?」
「君は、いつも忙しそうだね」
「……そう?」
「いや、違う。もう少し、言葉を選ぶべきだった」
真昼が移動したので、月夜も彼の後ろをついていった。彼は、特定の本を探しているわけではなさそうだ。その性格によく似合うように、行き当りばったりで、運命的な出会いを期待しているらしい。
それは、月夜との出会いとも同じだったから、彼女は、彼が、愛おしかった。
やがて、真昼は本を探すのをやめて、図書室の中央に置かれたテーブル席に着いた。
月夜もその隣に腰かける。
静かだった。
冷たい風を受けて、窓がおもちゃみたいに振動している。
月夜は、外を見て、次に、天井に目を向けて、それから、小さく、息を吐いた。
二酸化炭素の排出とともに、自分の境界が曖昧になる。
真昼は、片肘をテーブルについて、その手で自分の顎を支え、彼女を見ている。
目が合った。
正しくは、目を合わせた。
だから、キスをしよう、と月夜は思った。
けれど、思っただけでは、世界は変わらない。
理想と、現実は、かけ離れていた。
「暖かいね」真昼が呟く。
「うん」月夜は頷いた。
「もう、授業が始まるかな」
「まだ、もう少し、時間があるよ」
「君は、その間、何をしていたい?」
「何も」月夜は首を振る。「何も、しなくていい」
「では、何かしなくてはならない、とすれば、何をする?」
「何もしないことを、する」
「それは、したくても、できない」
「うん……」
「君は、君として、今、ここにいるの?」
「その質問をする意図は、何?」
「なんだと思う?」
「何も思わない。質問を受けたら、考える、しかない」
「自然に、思ったことを、口に出せばいいよ」
「何も思わなかった」
「凄いね。憧れるよ」
「憧れても、何も変わらないよ」
「うん、そう」真昼は笑った。「それは、知っていた」
「いつから?」
「ずっと昔から」
「図書室と、教室と、どっちが好き?」
「教室」
「じゃあ、戻ろう」
「授業をさぼって、図書室にずっといたら、素晴らしいって、思わない?」
「思うけど、できない」
「どうして?」
「うーん、どうしてかな……」
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