第10話
「今日は、けっこう寒くなりそうだね」真昼が言った。「マフラーとか、持ってくればよかったな」
「マフラーは、とても暖かいけど、長いから、邪魔になる」
「そう? 邪魔というのは、歩くのに邪魔、ということ?」
「歩かなくても、持っているだけで邪魔」
「そうかな?」
「違う?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
「それは、たぶん、その通りだと思う」
「冬と、夏だったら、どっちが好き?」
「どちらかといえば、冬」
「寒い方がいいの?」
「夏でも、涼しいなら、それでいい」
「なるほど。暑いのは苦手というわけだね」
「その解釈は、論理的には間違えている」月夜は話す。「私は、涼しい方がいい、と言っただけだから、暑さに関しては、何の見解も述べていない」
「そう……。人の会話は、全然論理的ではないからね。論理的な思考しかできないのに、論理そのものに不備があるんだ。だから、あくまで論理『的』でしかない」
電車がホームに入ってくる。二人のほかに乗る人は誰もいなかったから、この電車は、彼らのために停まっている、といえなくもない。ここは都心と地方の中間地点だから、降りる人は少ない。車内は想像していたよりも空いていて、二人は並んで席に着くことができた。月夜の予想が外れたな、と真昼は思う。
椅子に座ると、月夜はすぐに鞄から本を取り出した。すぐに、といっても、その動作は平均以上に緩慢だから、体感的には、動作の移行速度はあまり速く感じられない。
月夜はいつもこんな調子だから、真昼も彼女の言動には慣れている。一緒にいる友人が突然本を読み出したりすると、嫌われているのかな、と思う人もいるらしいが、読書はある程度リラックスしないとできない行為だから、むしろ安心感を抱かれている証拠だ、といえる。そうでなければ、そもそも眼中にない可能性が高い。真昼は、少なくとも、月夜は後者ではないだろう、と思っていた。そこには、そうだったら良いな、といった彼の願望も含まれているが、普段の言動から推察して、月夜はそれなりに自分に気を許しているだろう、と真昼は考えている。理由を説明することは不可能だが、そんな感じがするのは確かだった。
結局のところ、人間のコミュニケーションは、そうした不確定な部分に縋るしかない。それを「信じる」という言葉で表現することもある。どんな表現を使っても内容は変わらないから、不確定、という要素を受け入れなくてはならない、ということに変わりはない。
「ねえ、月夜」
「何?」
「君は、本と、電車だったら、どっちが好き?」
「本と、電車?」顔を上げて、月夜は真昼を見る。「どうして、そんなことを尋ねるの?」
「いや、なんとなく、そんなことを思いついたから」
「君は、その質問と、私の読書だったら、どっちを優先するの?」
月夜の冷徹な瞳に見つめられて、真昼はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、謝るよ。僕は、もちろん、君の読書を優先する」
そう答えると、月夜の表情は少しだけ陰って、彼女は俯くように下を向いた。
「私は、それでも、自分の質問を優先する、と答えてほしかった」
真昼は呆気に囚われる。
この少女に関しては、まだまだ不確定なことが多いな、と真昼は思った。
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