第16話 4日目A:彼女の過


【 4日目 】


 4日目、ボクは“彼女”と会う為に「特別室」にて待っていた。

 椅子に座って両目を閉ざしていたボクは、「ピー」という小さな音を耳にした。 ボクが「ゆっくり」両目を開くと、そこには“彼女の姿”が見えていた。

 彼女の顔は穏やか(おだやか)で、ボクへとこう言って来た。

「おはよう、タチバナ君♪」

「おはよう御座います、リッカさん」

 “リッカ”とは「リッカ」←「立花」←「タチバナ(ボクの名前)」に由来をしている(と思われる)。

「あら嬉しい。 私の事を“本名”で呼んでくれるのね?」

「ええ。 君と“お近付きになりたい”と思ってね」

「フフッ! そりゃあ良い♪」

 彼女は“わざとらしく”笑ってみせた。

 そして互いに少しの沈黙を経てはその後に、彼女はボクへとこう言った。

「ん~~~で? その顔は“何か悩みがある”ってー顔してる。 私で良ければ相談に乗ってあげるけど?」

「ハハ……ありがとう」

 先日(二日前)彼女の気分を害してしまったボクなのに、そう言われては頭が上がらない。

 そこでボクは正直に彼女に対してこう言った。

「……実は昨日、“君とボクとの遣り取り”が“単なる時間稼ぎである”って言われてね。 真相を知ってしまったボクではあるが、あと数日間“キミと何の話をすれば良いのかな?”って思い悩んでるってーワケなのさ」

「ふ~ん、そーなんだー。 大変なお仕事ね~」

 彼女は軽く流してくれた。

 けれども彼女はこう言った。

「それじゃあ何か“楽しい話”でもしましょうかしら? “私の時間”を潰さなきゃ“アナタの仕事”にならないんでしょ?」

「そうですね……」

 彼女は中々に配慮の出来る人物だった。

 そこでボクは尋ねてみせた。

「でしたらアナタの“昔話”をしてくれませんか?」

「昔話?」

「ええ。 こう言っては何ですが、アナタの性格が“アレ”なのは昔からってワケでも無いでしょう?」

「ハハッ! 言うねぇ~♪」

 彼女は軽く笑ってみせて、こう言った。

「ま、良いわ。 私もヒマであるからね。 昔話をしてあげよう」

「お願いします」

 と、彼女は人差し指を立ててみせては、ボクへと言う。

「けれども“ドン引き”するのは頂けない。 キチンと相槌(あいづち)を打つように」

「分かりました。 静かに相槌を打ちましょう」

 ボクは答えた。

 彼女は言う。

「よろしい。 ならば話をしてあげましょう……。 私の“古い記憶”をね♪」


「…………」

 と、先程まで「笑顔」だった彼女の顔が一瞬にして“静かな顔”になっていた。 直後、少しだけ目を細め、目を閉じ、目を開けた。 その表情は“虚ろ(うつろ)”であり、彼女の変化をした声色が“場の空気”を変えていた。

 彼女は言う。

「最初“私の中”にあったのは“憎しみ”、“利己心”、“破壊衝動”の類(たぐい)であり、“私が感じていた不愉快”は“怒り”と“憎悪”と“飢え”だった……。 そして次に生まれた感情は“嫉妬心”と“他人を引き摺り(ひきずり)降ろそうという欲望”と“身の安全”というものだった……。 多分これは……、ううん、“他の人がどうであるか”は分からない。 けれども私にとって“これらの浅ましい感情”は“生きて行く為に必要”だった……」

 思い掛けない話であった。 ボクは彼女が“どのような環境で育ってきたのか”により興味が湧いて来た。

 彼女は言う。

「私が所謂(いわゆる)“自我”というもの……、“他人と自分との違い”に気が付いたのは“幼稚園児の頃”だった……。 そうだ……。 その前に一つ言って置きたい事がある」

「何ですか?」

 彼女は言う。

「昔、学校のクラスメイトに対してね“このような話”をした事がある。 けれどもその時その人は私に対してこう言った。 『そんな昔の事なんて覚えておけるワケがない。 それはキミの創作なんじゃないのかい?』って。 ……確かに私も“覚えている事”と“覚えていない事”とが存在している。 それは“互いの認識”によって異なっているのかも知れないけれど、しかし私は“とある手段を用いる事”で当時の記憶を“保存”した。 ……いや、“楔(くさび)を打ち込んだ”と言った方が近いだろう。 “過去(幼稚園時代の頃)を思い出す”その度(たび)に、“幼稚園というフレーズ(言葉)を耳にし遣る”その度に、私は“脳内映像”を、『記憶の楔』を何度でも“打ち直してみせて”くれていた。 定期的にそうする事で、私は“私の分岐点”を忘れないようにしてみせた」

 彼女は言う。

「世の中には私と同じように“映像として物事を記憶する人”が幾らか(いくらか)存在しているわ。 そして“本当の話”かどうかは分からないのだけれども、人によっては“生まれた時の映像”を記憶している人も居るらしい。 自分は“どんなカンジで(産婆に)取り上げられた”であるだとか、“その時の状況はどうであったのか”なんかをね覚えている人が居るらしい。 けれどもこれって『不思議な事』だとは思わない? だって生まれたばかりの赤ん坊は“分娩室”や“手術台”であったり、“医者”や“ナース”なんて言葉を知らないでしょう? けれども“その時の記憶を覚えている人達”は、その時の状況を“事細か(ことこまか)に言葉で伝える事”が出来ている。 それは何故か? それは“状況を言葉では無く映像として記憶をしていたから”に他ならない。 そこで知ってか知らないでか当時の私は“脳内映像を動画という形にして記録する”という手法を利用した。 物事を“言語化出来るほど”言語に長けて(たけて)はいなかった私はね、その脳内に“アニメーション(動画)を構築する事”で、当時の私が“何を言いたかったのか”を言語化出来るその日まで“覚え続けていよう”って試みてみたってーワケなのよ」

 つまりは「幼稚園」という言葉を耳にする度に“幼稚園時代の出来事”を“脳内再生させていた”という話なのだろうと思われた。

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