誠言 十一言目掲載

未言源宗 『猫夜泣き』

 ニトさんは悩ましげに眉を寄せて、ギターのコードを繰り返します。次に何を歌うのか、決めかねているのでしょう。

 そんな空白の旋律に合わせて、紫月がハミングを重ねました。

 ニトさんはちらりと長い睫毛越しに紫月を見て、彼女に寄り添い伴奏を調べます。

「高く高く、青く青く、透き通るあの大空に、想いを馳せるの、夢を描いて」

 伸びやかに、晴れ渡る空に輝く太陽に手を伸ばすような歌声が、紫月の喉から吹き抜けたのです。


・・・・・・


 窓の外、夜闇の静けさに耳紛れた鳴き声に、二人して耳を澄ませます。

 それは、どこかで赤ちゃんが夜泣きしているかのような声でした。

「未言屋店主は、赤ちゃんは泣くものだと言います」

 普通の人から何の脈絡ものないように見える唐突さで、紫月が語りだしました。

 そしてニトさんはその声に寄り添い伴奏を弾き始めます。

「だから、赤ちゃんが泣いているのを、とても心地よく感じて、泣いてる子を見ると微笑みながらもっと泣け、もっと泣け、泣いたら将来綺麗な声になるぞと言っていたそうで」

「なんというか、子育てをした身からすると、救われるようなこっちにの身になってみろと言いたくなるような話だ」

 二人は、同時に口を噤み、ニトさんはギターにかけた指も止めました。

 また遠くで、何かが夜泣きしています。

「赤ちゃんは泣くのが仕事ですもの。ちなみに、あーちゃんもうちの母も、泣いてても笑って泣かせ続けたとお祖母さんに聞きました」

「ブレなさすぎるだろう。尊敬に値するよ、本当に」

 紫月はまるで自分が褒められたかのように、自慢げにふふんと笑いました。

 そしてニトさんはそれを認めるように、フッと笑うのです。

「赤ん坊の声は、親や周囲の人間を引き付ける。それは、彼らが泣くことでして想いを伝えられないからだ。泣くことでしか訴えられないからだ。そして親たちは、自分の命を繋ぐもののために、その声に敏感なんだ」

 ニトさんがギターの弦に溜まり目を落としながら、語ります。人は、子供を大切に出来る生き物なのだと、そう証明されているのだと。

 くすりと紫月が笑いを零します。

「歌うの語源として、訴うが上げられます。歌とは、神霊に、自然に人の願いを訴えかけるものが始まりであり、そしてそれは人が人に想いを訴えることになっていく。だから、人は恋を歌い、命を歌い、追悼を歌い、励ましを歌い、歌い合わせて労働し、歌い合わせて祭りを楽しむ。だから、赤ちゃんが泣くのは、歌うことなの」

 それこそ謳うように、紫月はニトさんの爪弾く音に声を託しました。

「そう、恋の歌だ。彼らは恋を願い、恋を訴えて、泣くんだよ。泣きじゃくるんだ。どうしようもできなくて、どうしようもなくった想いが、確かにあるんだ」

「ええ、だからそんなふうに、夜泣きして、その挙句につがって愛を為して子を宿せた時、あの子たちはそれはもう幸せでしょうね。どこかの、勝手な理屈で自分の想いを正しさに捻じ曲げる人間様とは違ってね」

 紫月が意地悪く微笑みかけると、ニトさんはバツが悪そうに、それでいて、言われたことは自分には関係がなくてただその未言の在処を探して窓を見たのだというように、顔を逸らしたのです。

「ああ、だから、人でなくても尊い愛を歌うその姿を、なんの力もない赤ん坊の夜泣きに重ねたこの猫夜泣きという未言は、そうとても」

 猫夜泣き。発情期の猫の鳴き声。赤ちゃんの夜泣きに似てません?

 そう綴じられた未言を、未言屋店主はとても愛し、猫夜泣きが聞こえてくると、赤ちゃんが泣く時と同じように、もっと泣け、泣くのが貴女の仕事だと、もっと聞かせてほしいと、耳を澄ませたのです。

「カッコいいだろう?」

「格好いいでしょう?」

 二人が自慢げな視線をお互いに送り合いました。

 そして、じっといつまでも、目を逸らさずに見つめ合って、黒と黒の愛鏡の間を猫夜泣きの声ばかりが過ぎ去っていきます。

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