誠言 六言目掲載

未言源宗 『硝子水』

「わたしが、硝子水は秋の未言だよねって言ったら、ナオがばかにしてきたんです!」

 知弦は力を込めて、今日ここに来て聞いてほしかったことを訴えました。

 数秒、紫月は瞬きを繰り返して沈黙します。

「知弦ちゃん、さっき自分がなんて言ったか思い出してみようか?」

「あ、いや、違うんですよ、せんせい! ちゃんと考えて言ってますから」

 知弦曰く。

 硝子水は一瞬でその人の熱を奪っていきます。喉を硝子の破片で切りつけられたような痛みを傷口にして、冷たさが体に入ってきて、熱を浚うのです。

「それって、夏の暑さと楽しさをすーってさらっていく秋風に似てると思うんです。だから、硝子水は秋の未言だって言ったんですよ!」

 わたし、ちゃんと考えたんです、えらいと思いませんか、誉めてください、という心の声を惜しみなく全面に出して、知弦は腰に両手を当てて胸を張ります。

 紫月はふむ、と頤(おとがい)を軽く握った拳に乗せます。

「なら、人にどう言われようと、あなたがあなたの未言の在り方を大切にしていけばいいじゃない」

 紫月が告げたのは、まるで突け放すようなもので、それでいて、他者の思想を尊重するもので、それを抱き宿す誇りを持って欲しいと祈る言葉でした。

「とは言え、わたしの……未言屋宗主の元に来たということは、答えがほしいのね?」

「はい、せんせい! 教えてくださいっ」

 知弦が居ずまいを正して直立するのを見て、威厳たっぷりな声をかけた紫月は、それがまるで幻であったかのように、くすくすと楽しそうに柔らかく笑いを溢しました。

「まるで足りないわ」

 続く紫月の言葉に、知弦は絶句して顔を真っ白にしまして。

 それを見て、紫月はまたまた悪戯っぽく、くすりと笑います。

「って、言われるかもしれないと不安だったのね?」

「……ひぐぅ、せんせい、ひどいですぅ」


・・・・・・


「ま、そも、硝子水は季節に依らないものですけどね。そんな面白味のない客観的事実なんてものは、未言にはなんの意味もないわ」

 紫月のこの前置きは、学校のテストで平均よりちょびっと下でうろちょろしている知弦には難しく、きょとんと目をくりくりと丸くしています。

「まず、硝子水の旬は、夏ね。一番美味しくなる季節よ。自然の実りや鳥獣、魚介はその生態で美味しい時期を旬にするけど、硝子水は飲む人の環境が旬を決めるわね」

 工場生産が基本のジュースやアイスは、その成分が変化して味の良し悪しが変動することはないけれども、暑さとか寒さとかで食べたくなる時期、食べてやっぱり美味しい時期がありますから。

 硝子水なら、やはり夏に飲みたくなるものです。

「でも、それは、硝子水が涼しさをくれるから。硝子水にはね、冷たさが本質としてあるの。炭酸は冷たい水の方がよく溶けて強くなるしね。だから、硝子水はその本質に、寒く凍てつく『冬』を内包していると言えるわ」

「え、冬、ですか?」

「そう。硝子水はね、冬の質を秘めて閉じ込めているの。冷たく、厳しく、痛みを伴う透明な美しさ。ほら、どれも冬のイメージでしょう」

「た、確かに……」

 知弦は思いも寄らなかった『冬』という季節が硝子水を良く表しているのに、呆然と得心します。

 未言はなんて奥が深いんだろうと、知恵熱で火照る頬を、硝子水の瓶で冷えた両手で包んでいます。

「それから、心情から見ると、硝子水は恋に委ねられるから、春にも縁が結べるわね」

「は、春っ!?」

 知弦は、思考が追い付かなくて、わたわたとし始めました。

 しかし、一般のコマーシャルメッセージでだって、サイダーはきゅんとした喉越しが初恋にぴったりだなんて言われています。硝子水の季節として、春もまた外せません。

「そして、硝子水を飲んだ後の寂しさや何もなくなってしまう清々しい透明な気持ちは、秋の風や空のようだから、やっぱり秋も硝子水の季節ね」

「えー……じゃあ、四季全部、硝子水の季節じゃないですかぁ」

 知弦はしょんぼりと、硝子瓶の向日葵を撫でます。

「そうね。そして、それこそ、間違っているわ」


・・・・・・


「つまりはね、知弦ちゃん、硝子水の持つイメージ、透明感はね、あなたが硝子水に委ねたい季節を、託したい気持ちを、そのまま表現できる潜在力を持ってるの。硝子水の季節を決めるのは、わたしたち一人一人で、わたしたちが硝子水を表現する時、その表現された硝子水の季節が確定するのよ」

 無色透明で、なんにもない硝子水だからこそ、無限に無償に注がれた意志を溶かし込む。

 ほんのありきたりな一つの清涼飲料が、そんなポテンシャルを持っていると表現したそれこそが、未言の硝子水の妙。

 未言屋店主の描きたかったものであり、未言屋店主が全ての人に備えてほしいと願い誓った感性なのです。

 知弦は、瓶の中で弾けて、次第に硝子水でなくなっていく中身をじっと見詰めました。気の抜けて喉を刺す痛みをなくしたら、もう硝子水ではありません。

 そんな、栓を抜いて放置したら消えて変わってしまうような限られた存在なのに、限り無い世界を抱いている硝子水を。

 知弦は一息に飲み下しました。



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