誠言 五言目掲載

未言源宗 『差し影』

「今回は、差し影をテーマにした写真集です。ええと、これとこれ、それからこっちの塊は、この中から一枚を一緒に選んでほしいんです。他の写真も、そぐわなければ弾いてください」

 紫月ゆづきは、未言屋宗主の立場にあります。その役割は、未言屋店主が思い描いたままの、原典というべき未言の在り方を身に付け、人に伝えることです。

 だから、このようにその未言により相応しいものを選別するという仕事は、彼女の本業と言えましょう。

 紫月は、トレニアの上の写真を、一葉一葉、じっと見詰めます。

 曇り硝子を越えて、板張りの床に昔ながらの星みたいな花柄を硝子の模様を浮かべる光は、鮮明で、恐らくは夏の日が高い時間に撮影したものではないでしょうか。

 角ハンガーに一枚だけ干された薄絹のレースハンカチ越しに写された太陽はとても柔らかで、桜がひとひら写り込んでいます。

 一般的な窓硝子を通った光が、炬燵の天板にプリズムの帯を落としているのは、子供心をくすぐられます。

 当て紙をした障子に月が透けて朧な構図は、よく見慣れたものであるからこそ、伝統へ迫る緊迫と真剣さが伝わってきます。

「あぁ、この写真はとても素敵ですね」

 紫月は一葉の写真に目を止めて、思わず熱っぽい溜め息で心に溢れた気持ちを外に吐き出しました。そうしないと、あまりの魅力に胸が詰まって息を止めてしまいそうでしたから。

 その光は春の昼下がり。紀友則が散る桜を惜しんだ時の穏やかな光と、きっと同じ光だと思います。

 その光が薄いレースのカーテンを透けて、机の上に置かれた和紙に射してました。

 その和紙はまっさらな一枚で、人が手掛けた模様は一つもなく、しかして紙漉きの時に揺蕩ったのでしょう、楮の繊維が絡み合って、人には出せない自然の紋様を浮かべています。

 その滑らかに凹凸のある紙の肌に、光が粒になって転がっているような、光が滑って紙の上に普ねいています。

「カーテンの入る引いた構図より、この和紙をアップにした写真の方がいいと思います」

「あえて、差し影の文意はなくすと?」

「写真集なら、差し影については前提知識として読者に与えられますし、そうでなくても光の美しさが差し影の印象を纏っていますから」

「なるほど」

 紫月の言葉に得心した椎堂しどうは、くだんの写真達を裏返し、和紙に接写したものには丸印を付けて、他はバツを小さく印していきました。

 そして、採用された写真だけ表に戻して、他の写真は紙袋に入れていきます。

 紫月はもう一度、その写真を見詰めて、心に納めます。その時に、先に心の抽斗に仕舞われていたものが出て来ました。

 紫月は、こんな時にこそ相応しいと、その歌を口にします。

「やはらかく。のどけきはるひの、差し影を……ころがす紙の、はだはうるはし」

 紫月が和紙に跳ねて転がる光のように、詠み上げました。

 それを聴いて、椎堂は目を見開いて硬直してしまいました。

「え、紫月さん、今のは、今のはなんですかっ?」

 あまりの衝撃で食い付く椎堂に、紫月ははんなりと応えます。

「未言屋店主が若い頃に詠んだ短歌ですよ。とても気に入っていて、歌集にも小説にもエッセイにも度々出してます」

「すごい……その短歌、今回の写真集で使わせては、もらえませんか?」

 椎堂は甘えた頼みと自覚して躊躇いを覚えながらも、紫月に願い出ます。

 紫月は、軽く丸めた指を唇に当てて、しばし思考しました。

「そうですね。他の出版社にも確認取って問題なければ。一週間もあればきちんと返事できると思います」

「ありがとうございますっ」

 椎堂は思わず立ち上がり、直角に腰を折ってお辞儀をしました。


・・・・・・


「いや、これとか、差し影というか、上光では?」

 そう言って椎堂が指差したのは、天使の梯子が街に射した写真です。

 それに対して、紫月はこてんと首を倒しました。

「上光は、雲の上から透けて見える光ですから、この写真には差し影も上光も写ってますね」

「でも、差し影は、レースや硝子を通った光と、未言字引にも記載されてますよね?」

 椎堂は、未言の原典とも言うべき辞書の記載を引き合いに出して、疑問をさらに連ねます。

「ああ、それは未言に遊びがあるからですよ」

「未言に、遊び?」

 椎堂の鸚鵡返しに、紫月はこくりと頷きます。

「遊びとは、動きを可能にするゆとりのことです。ほら、ゆったりとした服を遊びがあると言うでしょう」

「機械器具で留め具が弛いやつとかですか」

「そうです、そうです、それも同じ遊びから来ている言葉です」

 言葉とは、辞書に書かれた説明書きに収まらない遊びがあるものです。

 例えば、息、という言葉には生物の呼吸だけではなく、季節を感じさせる風や木材が吸収と排出を織り成す水蒸気なども言います。

「未言は、その遊びが多いのです。そもそも、最初期の未言が生まれてからまだ六十年なので意味も安定してないですし、加えて店主が遊びをなくすのではなく、むしろ遊びを楽しんで率先して揺らぎを付与していきましたからね」

「店主……」

 今は亡き創造主の態度に、椎堂は今にも頭を抱えそうになります。

 それがおかしくて、紫月はくすりと笑います。

「差し影について言うと、何かの隙間から差す細く揺らめく光の筋は、差し影と言って差し支えないです」

「うっわ、一気に範囲広くなった」

「未言の泉からちょっと水が溢れても、その溢れた水もその未言だということです」

 神妙に語る紫月ですが、椎堂には未言のおおらかさだけが理解出来ました。


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