第一章「想い」


 

 

 

 ───ジリリリリリリ!!

 

「・・・わっ!」

 桜は目覚まし時計の大きな音と共に飛び上がった。

 

 カチン!

 

 目を擦りながらとぼとぼ歩き、起きろ起きろとうるさいこやつを止めた。

 改めて時間を確認する。時刻は七時。

「今日はしっかり働いてくれました」

 目覚まし時計には昨日の件から半信半疑だったが、今日は最終兵器アカネに頼ることにならなくて済んだようだ。

 ちなみに彼女は気づいていないが、昨日の目覚ましは壊れていたのではなく、単に起きる時間を間違えてセットしただけである。

 桜は伸びをしながらそのまま階段を降りていった。

 リビングに入ってみると、慣れた手つきで野菜を切るお母さんの後ろ姿がみえた。

「おはおうごあいます〜」

 あくびをしながらテーブルに着くと、部屋から一緒に持ってきていたスクールバッグからスマホを取り出した。左手でスマホを持ち、右手で電源を入れた。

 画面の通知一覧には新着のチャットメッセージ来ていた。

「あ、アカネちゃんだ」

 タップし内容を確認する。

 

『すまん桜! なんたか風邪引いたみたいなんだわ😨

 入学したてで早速なんだけどおやすみ。。。あとは頼んだ🙏』

 

「あらら」

 季節の変わり目なら体調も崩れやすくなるだろう。『お大事に。』と返信をすると、丁度お母さんが並べてくれた朝食を食べ始めた。

 そしてゆっくり身支度を済ませ「行ってきます」と家を出た。

 時間には少しゆとりがある。桜は真っ先にあの場所へ向かった。

 

 

「やっぱりある・・・」

 またあの薄暗い小道に神社はあった。

「見間違えだったのでしょうか? 昨日の夕方は確かに無かったはずです」

 桜は疑問を浮かべながらも入ろうか入らないか迷っていた。すると何やら内から声が耳に入ってきた。

「これは?」

 中から子供が泣いているような声が微かに聞こえた。

 桜はいてもたってもいられずその声に向かって、鳥居をくぐった。

「凄い・・・」

 いざ入ってみると、そこは四方八方が自然の色に染められていた。

 まるで神秘に満ちたような光景。四方を包み込む木々に先まで続いた苔生す石畳。天井は葉に覆われ、雨上がりの葉に乗った雫の一粒一粒が木洩れ日と共にキラキラとさせている。たまにその雫が体に落ちてピクっとしてしまうのもまた清々しい。

 そして、目の前からは桜吹雪が降り注ぐ。最初に見た時から変わらないあの大きな樹だ。桜はこの世俗を離れた世界に胸を躍らせながら、声の元へ向かって心も体も軽やかに、ゆっくりと歩いた。

 樹の根元に近づくにつれて子供の姿が把握出来た。見た目が十二歳ほどの少年だが、時代に合わない麻の短い着物を着ている。

 少年は樹の幹に一周して作ってあるベンチに体育座りでうずくまっていた。

 桜は後ろ手を組んで歩いていると、少年はこちらに気づき抱えていた泣き顔を表に上げた。

 桜は肩の高さで両手のひらを上に向けて、花弁を雨粒のように感じ取るポーズをし、両手で傘を開く仕草をエアでして見せた。

 少年はうずくまったままほんの少しだけ微笑んだ。

 

 桜は少年の隣に座り辺りを見渡した。

「──なんか用かよ」

 少年はつむじを曲げた。

「不思議なんです。この空気も、この空間も、この出会いも」

「意味わかんない」

「うーん、私も」

「なにそれ」

 桜は「えへへ」と笑うと少年は呆れた。

 見上げると大きな幹から沢山の枝が広がっている。そして更なる無数に咲く花と、そこから散る花弁。まるで大雨の中でとても大きな傘を差しているようだ。

 見上げている自分をまた、見下ろしている樹。桜はそのまま視線が、ゆっくり落ちる花びらに連れられ下へ下へと降りていった。

「それにしても僕さん」

 桜は両足をブラつかせる。

「どうされました? 良ければお聞きしますよ」

「──よく分かんない」

 少年は大きな溜め息と共にうずくまった体育座りから顔をひょっこり出した。

「ふと前を見たら、先が見えなくて。そしたら進むのが怖くなって」

「進む?」

「新しいことが、怖い。だから皆に置いてけぼりにされて、どんどん離れて。そんな自分がもっと嫌で」

 桜は少年を見つめた。

「なら、進んでみてはどうですか?」

 少年は驚いた様子で桜に振り向いた。

「何言ってんの」

「思い切って進んでみるんです」

「進むのが怖いって言ってるんだよ?・・・なにか起るかもしれないんだよ?!」

「だってほら、今も貴方は進んでいるじゃないですか」

 少年は目を見開いた。

「どういうこと? 意味わかんない。僕はこうやっていじけてるんだよ」

「先のことの不安。それは”進んでいる人”にしか知り得ません」

 桜は笑みを浮かべ、そして空を見上げた。

「進んでいなければ先のことを知りたいとも、知りたくないとも想うことは出来ません。端から進む気が無い人にそんな気持ちなんて訪れすらしないんです。貴方は怖いと言った。それは進もうとした先のことを案じてのことでしょう?

 第一に、先のことなんていくら進んだってわかりっこないんです。だからこそ皆進むんです」

「は・・・? こじつけだよ」

「大丈夫。貴方の心はちゃんと一歩二歩を進んでいます」

「そんなこと・・・」

「なら!」

 桜はベンチの上で立ち上がった。

「手を貸して!」

 膝を抱える少年の腕を引っ張り、地面に向かって勢いよくジャンプした。

「え、わぁあ!」

 少年は思わず悲鳴のようなものが飛び出てた。

 ただ地面に着地をするはずなのに、ずっと落ち続けているようだ。

 なんだこれは。世界が、心が、前へ前へと急速に───。

 

 目を開けると、そこは先程までの世界とはうってかわり、四方八方が青い空色に満ちていた。

 無限に広がる空間。至る所にただよう白銀の雲、太陽に照らされキラキラと反射する無数の雫。そんな世界にポツンと自分が居る。

「え? うわぁぁああ!」

 自分は落ちているのか? 重力を感じる方向から激しい風に吹かれるのが分かる。

「ちょ、ちょっとぉおお!」

 ふと目の前を見るとそこに桜の姿は無かった。

 一体何が起きているんだ。ベンチから飛び降りた瞬間に世界が変わってしまった。全く理解が追いつかない。

 透き通る蒼穹に包まれ、止めどない風を浴び続ける。

 少年は虚空に手を伸ばし、甲を見つめた。

 僕は、まだ───。

 

 気が付くと、少年は石畳の上に中腰で立っていた。

「ほら、進めたでしょう?」

「───え?・・・あ、れ?・・・ハァ・・・い、いや、ここ、これは・・・?!」

 着地に成功したのだろうか。

 全力疾走でもしたかのように息が上がる少年。桜は彼を見て「そんなに疲れました?」と疑問符を浮かべた。

「兎も角、貴方は進みました。どうです、先は見えましたか?」

「なにが・・・なんだか・・・」

 桜は、また笑みを浮かべた。

「さ、進みましょう」

「ほんと、変なの」

「よく言われます」

 少年は、また呆れた。 

 

 ──ピキーンッ!

 

「ハッ!?」

 その瞬間、桜に電撃が走った。

 ちょうど今、登校中だったことをすっかり忘れていた。

「いけません、学校が!──それでは!」桜は少年に手を振り、小走りでそそくさと鳥居の外へ向かった。

「え、ちょっと! 名前も聞いて・・・」

  手を伸ばし追いかけようとするが、足は先の体験で怯んでいた。

「──行っちゃった」

 挨拶をする間もなく居なくなってしまった。

「なんなんだよ」

 少年は少々ムスッとしたが、最初の頃よりどこかスッキリとした表情をしていた。

 眩しい空に舞って止まない桃色の雨粒。春風が自分の背中を通り過ぎた。

「僕は、進んでる・・・」

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 時は進み、日は西に落ち始め夕暮れに差しかかる頃だった。

 桜は入部届を手に持ち例の部室へ向かった。

 

 コンコン

 

 ノックをしたが反応は無かった。

 

 キィ・・・

 

「失礼します」と言いながら扉を開けるがやはり内に誰も居ない。桜はとりあえず椅子に座り待たせてもらうことにした。

 持参していた本に十分ほど読みふけていると、キィと扉を開く音が聞こえた。

「あ、すみません、勝手に待たせていただい──」

「誰あんた?」

 そこに居たのは部長の枝垂れ先輩では無かった。

 白い肌に、前髪が二三で分けられ、後ろ髪は折り返して結んだショートポニーテール。目元は少々鋭いジト目をしている。身長も桜より若干高くスラッとしている。ネクタイに緑色がかかっているので恐らく三年生の女子だ。

「あ、すみません。私入部届を渡しに来た咲花と言います。枝垂れ部長が居なかったので待たせて貰ってました」

「あっそ。──それにしても、物好きも居たもんだね」

「それほどでも」

「褒めてないんだけど」

 その女子は、桜は気づかなかったがスっと何かの紙をバッグに仕舞った。そしてそのまま部屋の席に座った。

「あ、貴女も文化部の方ですよね? 普段どんなことされてるんですか?」

「部長から聞いてるでしょ?」

 女子は呆れた様子で軽くあしらった。

「はい、聞きました。とても楽しそうです。何かこう、明確な目的が無くのんびりとする部活に憧れていたんです。なので──」

 そっぽ向いていた女子の目線が桜に向いた。

「的外れね。そういう期待はしない方がいい」

「えっ?」

「詳しくは言わないでおくけど。他の部活も見てみたの? 自分から進んでここ文化部に来た訳じゃないんでしょ?」

「ま、まぁそうですが、それでも楽しそうでしたから・・・!」

「あっそ。まぁ好きにしな」

「文化部は好きです」

 女子は眉間に皺を寄せた。「ほんと、毎日が楽しいそう。あんた」

「それほどでも」

「・・・」

 今度は大きな溜め息を吐いた。

 

 キィ・・・

 

 桜が話を続けようとした時、扉が開く音がした。

「あ、桜ちゃん居たんだ。と、そっちは──」

 

 ガタッ

 

 その女子は突如として枝垂れ先輩に鋭い表情を見せ、椅子から乱暴に立ち上がった。

「香緒──」

 瞬間的に出た枝垂れ先輩の声も虚しく無言のまま出ていってしまった。

「──はぁ・・・ごめんね桜さん」

「い、いえ」

 鈍感な桜でも流石に手強い人だとは感じていたが、予想は少しばかり向こうにあった様だ。

「えーと、あの方は?」

立花香緒里たちばなかおりっていう子でね、今は席だけ部に置いてる同輩の子。いわゆる幽霊部員ね」

「──今?」

 枝垂れ先輩は椅子に座った。

「うん・・・そう。去年に色々あってね」

 場の空気に重みがかかり始めたのを感じた。察した枝垂れ先輩は「まぁそれとして」と表情を切り替え、頬杖を着いた。

「今日はあれ? 早速書いてきてくれた?」

「あ、こちらです」

 桜は入部届をズズズと差し出した。枝垂れ先輩はそれを受け取り「それで」と話を続けた。

「今日はあの子見ないね?」

「あぁ、アカネちゃんなら今日は風邪らしいんです」

「そっか、それは残念」

「でも恐らく一緒に入部してくれると思いますよ」

「それは良かった」

 枝垂れ先輩は微笑みを見せると、軽やかに席を立った。

「では改めて、我が部の説明ね!」

「ん?」

 枝垂れ先輩は部屋の隅の壁に掛けてある小さな黒板の前に立った。

「我が文化部は様々な文化の元、それを知り、それを学ぶことを主とする。また、文化という名を借り適当に好きなこともやる。この部はまたの名を、”自由探求会”という! 自由とは責任であり、無法、無秩序とは逆に位置するものである!」

「おぉ」

 黒板には文字列が三行に渡って書いてあった。

「一、文化を学び過去と未来を繋ぐ。一、自由に心を羽ばたかせる。一、何事においても探求心を忘れない」

 枝垂れ先輩は胸を張った。

「これをもって咲花桜さんの入部を認める! よろしくね、桜さん」 

「はい。こちらこそ」

 桜は感心した顔で言葉を返した。

 枝垂れ先輩は堂々とした見た目から、シュンと我に返ったかのように身を小さくした。

「・・・と、まぁ本当はこんな硬っ苦しい部じゃないんだけどね。今のはウチ伝統の茶番だから、気にしないで」

「いえ、感動しました。自由探求会・・・とても面白そうです」

「そう言って貰えると嬉しいよ」

 瞬間、桜は「あ」と何かを過ぎらせた。

「それならと言ってはなんですが、昨日から少し不思議なことがありまして・・・」

 例の神社についてだった。文化や自由といったことに関係があるか疑問ではあったが、”探求”という言葉に惹かれるものがあった。

 桜はすぐさま事の発端を説明し始めた。

「───ということでして。これは探求、ではないでしょうか?」

「面白そうね。行こう!」

 枝垂れ先輩は二つ返事であった。

「これでもウチ文化部は長いんだけど、イマイチ部員もいないし、その分活動も減ってるから。新入部員は活きが良くて嬉しい」

 枝垂れ先輩は「ただ・・・」と付け足した。「ごめんね、今一緒に向かえるのは私だけだけど」

「大丈夫ですよ! これで明日にでも──って、今?」

「そうだよ。即日即行なのもウチのチャームポイントさ」

「なるほど」

 間髪入れずに枝垂れ先輩は「さっ! 出発!」と意気込み、桜の手を掴んで駆け出した。

「あ〜れ〜」

 

 

 

 キキィィィイイ!

 

 学校の門を越えた所で枝垂れ先輩はブレーキをかけた。

「ど、どうされたしたぁ〜」

「その神社って、どこだっけ」

 

 

 

 三十分程して二人は桜の最寄り駅に到着した。

「ここが桜ちゃんの地元かぁ」

「ただの住宅街ですよ。なんにもないです」 

 駅の規模はそれほどでも無く、精々ファストフード店や料理屋がそれぞれ一軒程あるくらいだ。

「それにしても良かったんですか? こちらまで来て」

「ん? あぁいいのいいの。ウチ親の帰り遅いし、門限とか無いから」

 枝垂れ先輩は伸びをした

「じゃあ早速向かおうか。遅くになると消えちゃうんだっけ?」

「ですね。前はそうだったので」

 時刻は十七時。二人は日が沈む前に着けるよう急いだ。

 

 着く頃にはギリギリ大丈夫だと思っていたが、あっという間に西日が地平線へ潜り始めていた。 

「もう暮れちゃうよ」

「あと少しです。向かいましょう!」

 小走りでいると例の小道に差し掛かった。

 枝垂れ先輩はふと視線を高くするが巨樹なんてどこにも気配を感じない。やっぱり消えてしまったのだろうか。それともそんなものなど存在しないのか。

 二人はそのまま小道に入った。すると、いきなり場の雰囲気がガラリと変わった。

 ジメジメというか、自然の中特有のしっとりとした涼しさが肌に感じとれた。道は家に囲まれているのに。

「あった・・・」

 そうこうしていると、桜が立ち止まった。

「こ、これが・・・」

 それは確かにあった。

 鳥居をくぐった奥にある、とても大きく堂々とした桜の樹だ。聞いていた通り、いやそれ以上だ。

「入りましょう」

「あ、あぁ」

 一度入ったという桜は躊躇なく進んで行くが、この勇ましさの前には大きく出れない感覚がした。

「あ!」

「どうした?!」

「朝の子だ」

 鳥居をくぐってすぐに今朝話した少年が幹のベンチで寝ているところを発見した。

 すぐさま桜はその少年の元へ向かった。

「こんなところに子供・・・?──いや、なんだかまるで招かれているような気がするかな。私謙虚になり過ぎかも知れない」

 枝垂れ先輩も桜の後を付いて行った。

 

「───んん・・・ん?──って! わぁ!!」

「あ、起きました」

「よっ、坊主」

 少年は驚いた勢いで飛び上がった。どうやら桜の膝元で眠っていた様だ。

「お、おお前、今朝の!」

「半日くらいぶりですね」

 桜はニコッと小さく手を振ったが、少年はまだ落ち着きを取り戻さない。

「そっちは誰?!」

「誰とはなんぞや。私は枝垂れ先輩だぞ」

「知らないよ!」

「おう知らないとはなんぞや。文化部部長三年二組のマドンナだぞ!」

「マド・・・は、はぁ・・・」

 

 少しして少年の血の巡りも落ち着いてきた頃、桜は巨樹から流れ続ける花弁達を見上げていた。

「綺麗ですね。本当」

「ずっと見てて飽きないの」

「飽きませんね」

 桜は続けた。「だからこそ短命なのかも知れませんね」

 すっかり日も落ち、住宅街の中にも関わらず満天の星空が辺りを包み込む。巨樹は月明かりに照らされ、朝方とは違う、静かで心安らぐ、そしてどこか寂しく切ない。そんな情緒に溢れるものを魅せてくれていた。

「蕾から始まり、開花。満開まで十で分けられ、散り始めから葉桜となり、春の終わりを告げる。短命ですぐに散ってしまうからこそ、とっても綺麗で人に感動をもたらす。だから人はそれを沢山堪能しようと、いっぱいに愛そうとしてしまうのでしょうか」

 桜は手の平を前に差し出すとヒラヒラ落ちる花弁がそのまま上に乗った。

「この御神木だって、あと少しで全てが散ってしまう。だからこそ、我々はこうやって感動できるのでしょうか」 

「それは、違う」

 少年は桜を見つめ口を開いた。

「お花が無くたって頑張って生きてるんだ」

「──確かにそうでしたね」 

 吹いていた追い風が強まった。

「なら、貴方だって」

 桜は急に立ち上がった。

「まだ開花していない心があるんじゃないでしょうか?」

「え?」

「そう、だから先を目指して、春に向かって進むんです!」

 

 ビュゥゥウウ!!

 

 一瞬だけ更に強い風が通り抜けた。

「きゃっ!」その勢いに呑まれ、桜は体制を崩し転びかけた。

「え、ちょっ!」

 桜は直ぐに体制を取り戻した。

「背中を押してくれる人は絶対にいます!」

「なんだよ。転びかけたじゃん」

「私は転びません! 例え転んだって、華麗にバク転して見せます。───おっとっと。ほら」

「やっぱり変なの・・・フフ」

「よく言われます」

 少年が不意に笑顔を見せた。それは呆れた様で無邪気な曇りの無い、そしてどこがぎこちない微笑みだった。

「初めて笑いましたね」

「呆れただけだよ。でも──」

 少年も立ち上がった。

「ちょっと自信ついたかも。ありがとう」

「こちらこそ」

 一瞬だけ四方八方が星空と積乱雲に包まれた世界が少年の目に映りこんだ。

 進む。それは考えてるほど難しいものでもないのたろうか。

「僕、進んでみるよ。いや、進んでみる」

「分かりました。頑張ってください」

 その瞬間、突如として少年の体が花びらと共に散り始めた。

「!」

 少年の足元から登るようにゆっくりと花弁が舞っている。

 桜は瞬時に別れが近づいていることを悟った。

「さ、最後に一つ! 私は咲花桜。貴方は?!」

「さく・・・!──わ、私の名前は───」

 少年は最後のセリフを言い切る前に全て消えてしまった。

「き、消えた・・・」

 神秘の世界に表れた超自然の出会い。それは、不思議に始まり不思議に終わるものであった。

「帰ろっか」

 ずっと黙って聞いていた枝垂れ先輩が口を開いた。

 桜は目を閉じ胸に手を当て、そしてゆっくり瞼を上げた。

 「はい。そうですね」

 二人は鳥居の外に向かった。

 

 鳥居をくぐった後、枝垂れ先輩はふと後ろを振り返る。すると神社は綺麗さっぱり姿を消えていた。いや、さっきまであったことが嘘かのように住宅のブロック塀に囲まれた光景へと様変わりしていた。

「──本当に面白くなってきた」

 枝垂れ先輩は一人で微笑み、また背を向けた。

 

 二人は駅の前に居た。

「今日はこんな時間まで付き合っていただきありが──」

「いいの。なんだか色んな体験出来たし。不思議なものも色々見れた」

「あの子、まさか消えてしまうなんて」

「あー、あれは流石にまだ理解が追いついてないから考えないようにしてる」

 桜は「でも」と話を切り返した。

「亡くなってしまった、とかそういう訳では無い気がするんです」

「そっか。それなら安心」

 電車が停車し始めたのが聞こえた。

「今日は楽しかったよ。改めてよろしくね、咲花桜さん」

「こちらこそ」

 枝垂れ先輩は駆け足で駅の中に入っていった。

「またね」

「はい、また」

 枝垂れ先輩は駅に入り改札を通って行った。

 桜は見えなくなるまで見送った。

 枝垂れ先輩。彼女は調子の良い人だが同時にとても思いやりのある人だ。今日はそれも一緒に感じ取ることが出来た。

「さて、私も帰りますか」

 今日の夕飯はなんだろうか。

 桜は来た道を辿り真っ直ぐ自宅に向かった。

 

 

 

「ただいま帰りました」

 今日あったこと、出会ったこと、別れたこと。それらは決して忘れない、不思議でいて、そして胸躍る思い出になりそうだ。

 桜は今日の想いを胸に込め、一日を終えるのであった。

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「おーい桜ー!」

 

 桜の寝室にアカネの声が届いた。

「ん?・・・・・・え!? また遅刻!?」

 桜は一昨日のことがフラッシュバックされベッドから飛び起きた。大慌てで目覚まし時計を確認した。

 時刻は六時。どうやら起きるにはまだ早い時間の様だった。

 桜は窓を開け外に向けて問いかけた。

「まだ大丈夫でしたよ・・・って、あれ」

 下を見下ろすと、カンカンな少女は立っていなかった。

 そういえば前とは逆の耳から聞こえたような。しかも怒っているテンションにも聞こえなかったような。

 

 トッタットッタッ

 

 階段を上がる音が聞こえ始めた。

「あら、そちらでしたか」

 やがて部屋の扉が空いた。 

「どうされました? こんな時間に」

「たまには早く行っても良いかなって」

「そうでしたか。ならそうしましょう」

 桜は朝の身支度を済ませトーストを持って玄関の扉を開けた。

 朝日がいつもより少し低い位置にある。なんだかこれが早起きという感じだ。

 桜はトーストを一口かじり、そして二人は歩を進めた。 

「そういえば、風邪は大丈夫ですか?」

「あ、あぁ! 一日寝たらピンピンだったよ!」

「それは良かった。それにしても珍しいですね。こんなにやる気満々なのも」

 

「うん。今日はほら、入部届を出しに、ね!」

  

 

 住宅街は澄み渡る朝日に照らされ、淡い桃色の木々には緑がかかり始めていた。

 小学生が華麗なスキップで桜達とすれ違い、遠ざかっていった。二人は振り向くことも気付くことも無く、そのまま学校に向かった。

 

 この世界には、日常と非日常が交差する処があるという。

 そこに訪れる者は、時折迷い悩み、そして羽を休め、一服して行くという───。

 

 

 

 

 

 第一章終わり

 

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