04.第1話

それはある日の放課後のことです。

学生たちはそれぞれ家路に着くか、部活動の準備を始めるころです。


「よいしょっと……」


暗弩撃くんは席を立ちました。


私と暗弩撃くんは同じクラスでしかも席が隣になるので、彼の行動はすぐに察知できます。そして前述のように立つと同時に「よいしょっと……」と言ったのです。メモに残してあるので間違いありません。


「行こうか、キムラさん」


「先に行ってて。ちょっと飲み物を買ってから行くから」


「じゃあ僕も一緒に行くよ」


ただ一人で教室を出たわけではありません。憎きあの女、キムラと一緒に廊下へ出たのです。あくまで余談ですがキムラも私たちと同じクラスになります。


暗弩撃くんが彼女の同好会に所属してからは、こうして放課後は二人で部室まで足を運ぶのです。私はこの時、この場でキムラを殺してやろうかな、と思いました。


私も二人の後をついて廊下を歩きました。

こうして二人を尾行しているとやっかいなストーカーのように見えるかもしれませんので弁明させてください。たしかに二人の動向は気になりますが、私も向かう先が一緒なのです。


この学校では同好会にも部室が用意されています。


正式な部活動と比べると確かにその部室は狭いのですが、それでも充分に立派な同好会専用の施設、「同好会会館」が用意されています。これも私たちの先輩方がかつて学校側に抗議して勝ち取った権利なのです。


暗弩撃くんとあの女はその同好会会館の一室に入りました。

そして私はその隣の部屋に入ります。


同好会のメンバーが元気よく私に挨拶してくれました。


「会計、お疲れ様です!」


「はい、お疲れ様です」


実は当時私も同好会に所属していました。

それはあの女の同好会の隣の部室を拠点とする、「弁論同好会」という同好会です。


私が在籍していた当時の弁論同好会のメンバーはこの学校の生徒だけで二十二名もいます。学外のメンバーを含めると、恐らく百名以上はいるでしょう。

ですが、流石にその人数となるとこの部室には収まりきらないので、この場にいるのは私を含めて六名の上級幹部までに留めています。


簡単に挨拶を済ませた私は、すぐさま隣の部室との間に位置する壁に耳を当てました。

同好会会館の壁は意外と分厚いので、こうもしないと隣の部屋の声が聞こえないのです。


流石にその様子を気にしてか、メンバーの一人が口を挟みます。


「会計、何をしているのですか?」


「うるさいです。静かにしてください。息するのもうるさいくらいです」


「も、申し訳ございません! 」


私の一言で同好会のメンバーは全員口を閉ざしました。彼らが静かにしてくれたおかげで隣の部室の会話がようやく聞こえてきました。


まずは憎きあの女の声です。

気色の悪い声なので背筋がゾッとします。


『来月末に部活動の中間勧誘大会があるのを知ってる?』


次に聞こえたのは暗弩撃くんの声でした。

その声を聞いて私はほっとするのです。


『いや、知らないよ。何それ?』


『部活動の勧誘のための集会。私たち弱小同好会の唯一のお披露目の場でもある。要は、私らスタンダップコメディ同好会の初のネタ見せの場ってこと』


『へえ』


『へえ、って何その態度? アンタは私の熱意に惚れてこの同好会に入ったんでしょう!』


『ごめんちゃい。許してください』


『……何だかアンタ、最近態度が軟化してるわね。日本人は師弟関係に忠実なんでしょう? もうちょっとそれらしくしなさいよ』


『えへへ』


『ムカつく』


私は暫く二人の会話を聞いていました。

より一層、キムラに対して殺意を抱きました。


このまま部室を飛び出して、隣の部室に駆け込んで、そのままキムラを殺してしまおうかと思ったほどです。


ですがこの時は私の手持ちはアイスピックとカッターナイフしかありませんでした。

それだけでも確かに彼女を殺害することは可能ですが、そうなると暗弩撃くんにキムラの汚い血しぶきが掛かってしまうかもしれません。スタンガンかもしくは毒物を持ち歩いていなかったことを後悔しました。


そして、この時は他にも失敗していたことがありました。

私は背後の状況を疎かにしていたのです。


私が隣の部室に聞き耳立てているその最中、背後で何かが「バタン!」という大きな音を立てて倒れたのです。


私は後ろに振り向いて様子を伺いました。


「あ、ごめんなさい。呼吸はしていていいですよ。でも物音を立てるのは止めてください」


その私の言葉で変な顔色をしたメンバーたちは慌てて大きく息を吸い込みました。


先ほどの「息をするのもうるさい」という私の注意を受けて、同好会のメンバーの一人は酸素が足りずに倒れたようでした。泡を口から吹いてうずくまっています。これは申し訳ないことをしたと反省したのです。


改めて私は隣の様子に聞き耳を立てました。


『ところでネタは作っているの?』


『まあ、一応は……』


『何本?』


『……い、一本』


『一本? 一本って、最初に私と作った一本のこと?』


『……うん。難しくて』


『呆れた、言い訳なんて聞きたくないわ。ひとまずアンタはネタを量産すること。今度の勧誘大会までに百本は作ってきなさい』


『ひゃ、百本! 無茶だよ!』


『それくらいしてもらわないとこっちも困る。初のネタ見せが待っているの! 覚悟を見せてよ!』


『えー……』


『明日から朝練を開始するから、それに放課後ももっと時間を使う』


『……まあ、それはいいけど』


『それと休みも使いましょう。ネタは作るだけじゃなくて、見せる事も考えないと話にならない。互いのネタを見せ合うのよ』


『……休みも使って?』


『そう。休みも使う』


『二人で?』


『当然よ、他に誰がいると思うの?』


『そ、それなら、別に──』


「それはダメーーーーっ! 二人の時間が増えてしまう!」


最後の叫びは私の叫びです。


幸いにもこの部室の壁は耳を当てるまでしないと隣の声は聞こえてこないはずなので、壁を挟んだ向こうの二人には聞こえていないはずでした。


ですが同じ部室の中の弁論同好会のメンバーには聞こえているので、私は平静を装って、彼らにこう言いました。


「すみません。ちょっと外に出てきます。以降は自由にしていいです」


緊張の糸が切れたのかメンバーたちは崩れ落ちました。


それはさておき、私は部室を出ました。


ですが特に考えも無しに飛び出してしまったので、隣の部室の扉を前にしてただ立ち尽くしていました。


その扉には間違いなくあの女のものであろう下手くそな文字で「スタンダプコメディどうこうかい」と書かれていました。


後に知りましたが、彼女は漢字が苦手なようで、「同好会」が「どうこうかい」と平仮名で書かれてあり、彼女は確実に馬鹿であるので「スタンダプコメディ」もどこか文字が抜けていて、それを見ては何だかおかしくて、今思い返してみても声を出して笑ってしまいそうです。


そんな感じで私が笑っていたら、不意に扉が開きました。


「なに? ていうか誰?」


その開いた扉の先には見たくもない女の顔がありました。


これで何度目か分からない殺意を彼女に抱きました。

私は彼女と同じクラスです。知らないなんて失礼にもほどがあります。


ただ私はその殺意を押し殺し、優雅に振る舞いました。

暗弩撃くんが近くにいるのです。粗相を見せる訳にはいきません。


「あ、いえ。ごめんなさい。なんだか面白そうなお話が聞こえたので、聞き入ってしまいました。これもスタンダプコメディですか?」


「スタンダップコメディね。──違うわ、普通の会話をしてたのよ。でもアンタいいところに気がついたね。スタンダップコメディは普段の日常会話と同じように話すのがコツなの。私の会話が面白く聞こえたのなら、それが理由ね」


「ああ、そうですか」


彼女のスタンダップコメディを言う時の発音がやけにそれっぽくて腹立たしいです。


「ところでアンタ誰?」


「彼女は同じクラスの生徒だよ」


暗弩撃くんが割って入って彼女にそう告げました。


この時私は嬉しくて涙が出そうになりました。

というのも、暗弩撃くんが私のことを知っていてくれたからです。でもこの場で泣いてしまってはせっかく紹介してくれた暗弩撃くんに申し訳ないので何とか耐えることにしました。


「ええ、そうですよ。それと、隣の弁論同好会の者でもあります」


「ああ、そう。お隣さんね。で、何か用?」


「いえ、用という用はありませんが──」


私は言葉を途中で止めました。次の言葉を考えたのです。


「──ところでこの同好会はお二人だけなんですね。それって大丈夫なのですか?」


この場で彼女をナイフで刺すことが叶わないので、私は彼女の痛いところを突くことにしました。


「うっ、別に、今度の勧誘大会で増やすから平気よ」


見事に的を得たのかキムラは困った様子でした。


「え? 何? どういうこと?」


暗弩撃くんは困惑します。

どうやら暗弩撃くんはこの学校の同好会の仕組みを知らないようでした。


無理もありません。暗弩撃くんは部活動にこれまで入った試しがないのですから。それを知らなくて当然なのです。


「同好会の存続する最低条件はメンバーが五名以上いないといけないの」


私が説明してあげたかったのですが、キムラが言いました。


「え? でも僕ら二人だけじゃないか」


「まあね、ちょうど部室も空いていたから、特例として現状は存続を認められているの。でも今度の勧誘大会が山場になる。これを逃したら廃部させられるかも」


「……それって不味くない?」


「だから気合いをいれていかないといけない」


キムラは渋い顔をして言いました。

とても良い気味でした。


「何か私たちもお力添えできれば……」


「別にいい。それに最悪廃部したとしても部室が無くなるだけで活動は勝手に続けるつもりだし。それにアンタも付いて来るでしょう?」


キムラは暗弩撃くんを見ました。


「それは、まあ、もちろんそうだよ。何せ僕は君の弟子だからね」


暗弩撃くんのこの言葉に私は自分の耳を疑いました。


「で、弟子?」


「……あ、うん。僕は彼女の弟子なんだ。つまり彼女は僕の師匠」


「し、師匠……」


これは大変面倒な事実が判明しました。

孤高であるはずの暗弩撃くんがこのいけ好かない女に格下と扱われ手綱を握られているのです。


それと同時に窮地にも立たされました。

これまでも沢山の危険な場面に出くわしてきましたが、この状況はその中でもトップクラスの窮地です。


ですが、こういう時に自分に自信のない私は、自信が無い代わりに色々と策を講じるのです。そうやって窮地を逃れてきた経験があります。


そしてこの時もそうでした。


「ひとつ、良い提案があります」


「何?」


「私もこの同好会に入れてくれませんか?」


私は孤高である暗弩撃くんが好きでしたが、それを維持するのは難しいようです。

暗弩撃くんの傍にキムラが纏わりつこうとするのであれば、それならいっそのこと私がその間に割って入ればいいのです。


「つまり私の弟子になると?」


この女は相変わらず口を開けば人の気に障ることしか言わないようでした。


「ぐぬっ! ……ええ、それがこの同好会のルールなら従うつもりです。弁論同好会と掛け持ちになりますがいかがでしょうか?」


キムラの回答を前に暗弩撃くんが答えてくれました。


「背に腹かえられないね、君が本気なら僕はその意見に賛成するよ」


「あ、暗弩撃くん……」


私は彼の言葉に感動を覚えました。

暗弩撃くんが言葉を発すれば素敵なことしか口にしません。


「そうなると、僕らは兄妹分になるね」


「兄妹?」


「僕が兄弟子で君が妹弟子だよ」


天に昇った心地がしました。


「な、なるほど! それでは私は暗弩撃くんを『お兄さん』と呼ばなくてはなりませんね」


「いや、別に呼ばなくていいけど」


「よろしくお願いします。お兄さん!」


私の言葉に暗弩撃くんは頬を掻いて照れた様子をみせてくれました。


何て素敵な時間だったのでしょうか。今でもその場面を鮮明に覚えています。この瞬間を私は生涯忘れる事はないでしょう。


一方キムラは暫く躊躇していましたが、人数が足りなくて困っているのは彼女の方なので結果的に私がこの同好会に参加する事を認めました。


斯くして私は暗弩撃くんと兄妹分の間柄になったのです。


好きな男性の妹になるのは恋人同士になるよりも稀有な状況だともいえるでしょう。

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