02.第1話

それは、ある日の放課後のことである。

その日僕は忘れ物をしてしまい、教室までそれを取りに戻る。


すると、その教室には偶然にも鬼武羅きむらサクラの姿があった。


何をしているのか気になったが、何かをしている様子はなく、他に生徒の姿もなく、彼女ひとりだけのようで、ただ自身の席でぽつんと座っているだけだった。


既に高鳴る胸の鼓動がまた更に高鳴った。


これは絶好のチャンス、好機到来だ。

誰にも邪魔されず他人の目が無いこの空間で、彼女を笑わせてやろうと思い立ったのだ。


なにごとも「出だし」が肝心だ。これ取りこぼしたら後はないだろう。


ひとまず僕は策を練った。

熟考の末、その時リズムネタでブレイク中だった芸人コンビの真似をして登場することにした。


そのコンビは「デンデン、デンデ、デンデンデンデ」とリズミカルに口にしながら腕をコミカルに振りつつ軽快に登場する。登場したら自身の伝説を誇張して面白おかしく語るのだ。


それを僕なりの真似して鬼武羅サクラを笑かすつもりだった。


「はいっ! デンデンデンンデ──」


「何?」


「あ、いや、その……」


見事に出鼻を挫かれた。これでもう後は無い。


鬼武羅サクラはいつもの通り僕を親の仇も同然に睨みつけ、すました顔をしてそっぽを向いた。


僕は何事も無かったように「ええっと、忘れ物、忘れ物っと……」とわざわざ言葉にする。

本当に何もかも無くなってしまえと、心で念じる程だった。


そして忘れ物も何を忘れたのか忘れてしまったので、適当な物を手に取ってその場を立ち去ろうとした。


すると彼女が急に話しかけてきた。


「ねえ、一体どういうつもりなの?」


「え?」


傷ついたばかりの僕の心を鞭打つように鬼武羅サクラの辛辣な言葉が僕に届いた。


「アンタは何がしたいの?」


「え、あの、いや……」


「隙あらば、お笑い芸人の真似事を私に見せつけて、どういうつもりなの?」


冷たい眼差しでそう攻め立てられて、僕は情けない程に恐縮した。


「ご、ごめんなさい!」


「いや、許さない。確かに私はアンタをフったときに、面白い人が好きだからと言った。だけどアンタのそれは一体なに?」


「ブ、ブユーデン?」


「それは芸の名前でしょう! 私はそういう事を言いたかったわけじゃないの!」


彼女の言葉に僕は衝撃を覚えた。


どうやら僕は色々と勘違いをしていたらしい。


実は僕はこの出来事以前に彼女に自身の想いの丈を伝えていた。

つまりそれは愛の告白だ。


結果は見事に玉砕であったが、フラれる間際に「私は面白い人が好きだから」と言われたのだ。


それをそのまま鵜呑みにしてしまい、「面白い人」つまりは「お笑いをする人」を彼女が好きだと思い込んでしまった。それで熱心にお笑いばかりを研究していた。


つまりそれは間違いだったのだ。


だけど彼女はこう言った。


「アンタの芸はちっとも面白くない!」


「え?」


「私のアドバイスを真摯に受け止めて、お笑いを極めようとしたことは素直にうれしい。確かに私はお笑いが大好きだから。お笑いをする人が大好きだから」


僕は彼女の言葉に少し考えた。


「あ、方向性は合っていたんだね」


「まあ、そうね。私はお笑いをする人が好みのタイプだから」


改めて訂正するが、どうやら僕の考えは間違っていなかった。

素直に、「面白い人」とはそのまま「笑いをする人」で良いらしい。


随分と大人になった今でもそうだが、女性の考えはイマイチ良く分からない。


「だけどアンタは日本の芸人の真似事ばかり、それだけではダメなのよ。それで生まれた笑いは偽物よ。ちょっと、私の話を聞きなさい──」


そうして彼女は席を立ち、ひとり語りだす。


「ペラペーラ、ペラペラペレペラ! ペーラペラ?」


僕は彼女の話を真剣に聞こうとしたけど、その言葉は右から左へ流れていくだけで、頭に入って来なかった。


それは何故かというと、彼女が使う言葉が聞き慣れた言語だけど日本語とは別の言葉だったので、勉強が出来ない僕には理解できなかったからだ。そのため便宜上「ペラペラ語」で表記することにする。


ちなみにこのペラペラ語は世間一般では「英語」とも呼ばれている。


「ペ、ペラペラ!ペラペ、ペーペラペラ……………」


彼女は英語で何やら軽快に身振り手振りで喋っていた。

僕は口をぽかんと開けて間抜けた顔をしていただろう。


全て語り終わったのか、先ほどの軽快な素振りが無くなって、静かに僕の様子を窺う。


「アメリカで有名なスタンダップコメディアンを真似てみたの。どう? 面白い? いいや、面白いはずがない。所詮、人の真似事なんてこんなものよ。オリジナルには勝てるはずがない」


「スタ、スタンド……、コメディ?」


「スタンダップコメディ。私はアメリカ育ちだから、笑いといえば、まずこれよ」


「え、帰国子女?」


「そう。知らなかった?」


どおりで日本のお笑いが通じなかったようだ。


というより彼女が笑わなかったのは、感性の違いでなくて僕の腕前が主な原因だろう。

この時も伝説のネタであるブユーデンを汚したのは僕が原因だ。


「この学校に入学する前までアメリカのニューヨークで育ったの。ニューヨークはスタンダップコメディの本場よ」


スタンドアップコメディ、それは英語圏のお国で盛んなお笑い芸のひとつだ。


日本でいうところの落語に近いかもしれないが、やはりそれは少し違う。風刺と皮肉に富んだ自身の持ちネタを披露するのがスタンドアップコメディ。客も巻き込み芸をする。そんな芸風なのだ。


鬼武羅サクラは話を続けた。


「私はアメリカのお笑いが大好きだった。一生をこのニューヨークで過ごすと思っていた。だけど父の事業が失敗して、私の家族は日本に逃げる事になる。大変困った事になった、それは私が英語しか喋れないから。私は両親の教育方針で日常会話も英語だけで育てられたの、日本語が喋れなかったのよ」


熱が入りだしたのか次第に饒舌になる。


「でも幸いなのは両親ともに日本人であったから教師は二人にお願いできた。でも教材がない。日本語の教科書なんて見てもちっとも面白くない。やはり教材は自分が楽しいものを参考にしないといけない。つまり私が好きなもの、──そう、それはお笑い。私は日本のお笑いを教材としたのよ!」


最後に彼女は僕を見た。

その真剣な眼差しに僕は色んな意味でドキリとする。


「私は日米両方のお笑いを愛している。もう一度言うわ、だけどアンタのそれは何? 模倣だけで通用する世界ではない! そんな考えは甘いのよ!」


僕はどうやら彼女のことを勘違いしていた。

それは僕が思っている以上に、彼女はお笑いに真剣だったようだ。


だけど彼女も僕を勘違いしている。

僕もお笑いに真剣に取り組んでいるけど、それはお笑いの為ではない。

何よりキミの為である。


「せめて最後にもう一つジョークを言っておくわ」


鬼武羅サクラはまた語りだした。今度のそれは日本語だった。



「ある一人の少年に将来の夢は何であるか聞いてみた。少年は曖昧に答えるだけで、とくに夢を持っていないようだった。


今度はその少年に何でもいいから自由に喋ってみろと言ってみた。

少年は戸惑いつつも自由に喋りだすと、それはまた面白い話をする。聞いている方も手を叩き笑い転げるくらいだった。


大変愉快な気分になったので感謝の気持ちに一ドル札を渡した。少年はこれにいたく感動した。

そして少年はその自分の才能を活かしてある職業についた」



彼女は僕をちらりと見た。


「その職業は何だと思う?」


少しだけ僕は考えて、こう答えた。


「……コメディアン?」


僕の答えで彼女は固まっていた。

暫く待ってからこう告げる。


「違うわ、政治家よ」


彼女は僕に何かを期待するような眼差しを向ける。


だけど僕は黙っていた。

「………………」


彼女も僕と同じようにして黙った。

「………………」


最後のオチを後にして、放課後の教室は静まり返っていた。つまり誰も笑ってなかった。 全く持って理解できない。アメリカ流のお笑いは僕には理解出来そうにない。


ちなみに政治家を使ったネタは彼女の鉄板ネタである。


「ふっ、私もまだまだみたいね。研究の余地があるみたい」


彼女は自嘲気味にそう言った。そして話を続ける。


「私の夢は日本にスタンダップコメディを浸透させること、日本のお笑いに感謝しているから、日本の笑いに外国流の笑いを広める事が感謝の証だと思っている。アンタのその程度の笑いの熱意では到底私に追いつくことはできないの。だからいい加減にお笑いのことは諦めて、私の前から立ち去りなさい」


彼女はそう言うが、僕は諦める気はない。

お笑いだけなら諦めが着いたかもしれないが、彼女のことは諦める気にならなかったからだ。


僕は覚悟を決めてこう言った。


「……いや、諦めない!」


「面倒な男……。私はアンタを相手にしている暇はないの」


「僕は、ここから一歩も動かない!」


「何? 今度は何をするつもり?」


当時から僕は頭が賢いタイプの人間ではなかったけれど、土壇場での巻き返しには自信があった。僕はこの時、姑息にもこの状況を利用して彼女に取り入ろうとした。


「ちょ、やめなよ!」


彼女は止めようとするが、僕の決意は誰にも止められない。


僕は彼女に対して頭を下げた。

両手を床に着いて、両膝を床に屈して、土下座のような態勢を取る。

というかどう見ても土下座だ。


そして顔を伏しつつも声高らかにこう宣言する。


「御見それいたしました。僕を弟子にしてください!」


「は?」


「貴方のその熱意に感銘を受けたのです!この無能者にご指導いただけないでしょうか!」


彼女は面喰ったようでまた暫く固まっていた。


「……なるほど」


だけど暫し考え込んで、懐から一枚の紙を取り出し、僕はそれを受け取る。


「……これは?」


そこには、「入部届け」と記してあって、希望する部活の欄には「スタンダプコメディどうこうかい」と下手くそな文字で書かれてあった。


「まずはその入部届けに名前と志望動機を書いて先生に提出しなさい。……話はそれからよ」


僕は顔を上げてこう言った。


「はいっ! 師匠!」


斯くして僕は彼女の弟子となったのだ。


これが鬼武羅サクラとの関係性を決定づける重大な出来事である。

僕は彼女と師弟関係を結ぶことにより、更に一歩近づくことが出来たのだ。


恋人同士になるよりも稀有な体験であろう。

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