第2話 物語のようにはいかない恋物語―The greater novelist―

作家名、綾垣あやひ。

性別、女性。

年齢、不明。

好きなこと、小説の執筆。

特技、小説を書くこと。



綾垣あやひとは、誰もが知る有名作家である。

とある賞に応募し、応募総数一万の頂点に君臨しデビュー。

あっという間にベストセラー作家となる。

特に、恋愛小説は映画化を果たすほど有名で、今やその名を知らない人は存在しないほど。

その素性は謎に包まれていて、正体ははっきりとしない。

しかし、私は彼女のことを良く知っている。

なぜなら、それは私だから。

綾垣あやひ−−−−−正式名、綾瀬綾。それが私の名前。

そして、もう1人の綾垣あやひがいることも、私は良く知っている。


「ねーえ綾、次回作のネタが思い浮かばないよう」

「まったく、日和、少しは自分で考えなさいよ。私だけの綾垣あやひじゃないんだから」


そう。綾垣あやひはこの世に二人存在する。

と言うより、二人でひとりの作家だと言うほうが正しい。

1人は、設定と構想を練る、石垣日和。

そしてもう1人が、文章を書く私こと綾瀬綾。

一心同体の運命共同体として、活動を続けているという訳。

そもそも最初から、二人で組んでいたのだ。

だって、私と日和は恋人同士なのだから。

常に一緒にいて、共に働き、パートナーにして無二の戦友。

複雑怪奇な関係だから、周りにも内緒にしているけど。 


「次は何を書くの?恋愛もの、ミステリー、それともSF?」

「うんとね、インスピレーションが湧かないのよねえ。想像力、っての?」


因みに、今二人でいるのは自宅兼仕事場だ。 

ソファーに二人並んで座って、見るも無惨な会議中。

日和は大概残念な性格で、一度没頭するとあっと言わせるような設定を思いつく癖に、

エンジンがかかるまではあーでもないこーでもないとつらつら言っている。

設定やら何やら、インスピレーションの無い私には無縁で、そんなことで悩める日和が羨ましい。

一方の私は、日和が設定を考えてくれないとすることもないただの暇人な訳で、

少しでも良いものを考えてもらおうと絶賛奉仕中だ。

…………と言っても、良い香りのする紅茶を入れたりクッキーを用意するだけなんだけど。


「はぁ、あ、お茶ありがとー。ずずっ……うん、美味しい」

私が渡したお茶を一口含んで、純粋な評価をくれる。

そのとびきりの笑顔が眩しいくらいの輝きを放つ。

日和は、一旦不毛な作業を中断して、お茶を楽しむことにするらしかった。

小さなテーブルの上に並んだクッキーを手に取り、ためつすがめつやってる所から見るに。

ホワイトチョコがコーティングされたクッキーに決めて、リスのようにぽりぽり頬張る姿は

何とも可愛らしい。私も、思わず笑みを浮かべた。


「…もぐ、もぐ。うむ、美味い。及第点をやろうぞ、綾くん」

「いやそれ市販のだからね?しかも100円ショップの」

何故か偉そうにふんぞり返った日和に思わず突っ込むと、ぐぅと唸って沈黙した。

この何気ないやり取りが、身を削るような日々の中での唯一と言っていい癒しだ。


「お前は彼女に対する思いやりがないのか!少しはランク上げてよ、せめて300円均一」

「その自己評価の低さ何なの?そんなやつには100円ショップで十分」


皮肉と皮肉を渡し合い、笑う。

仕事中だということを忘れそうなくらいリラックスしてしまう私に、危機感が忠告する。


「つーか日和、締め切りいつか知ってる?明明後日なんだよ、明明後日」

「ふぇ?な、何だって!!」

途端にあたふたとやり始める日和の姿に、苦笑。

恐らくこいつは夏休み終了前日になってから初めて明日から学校だと気付き、宿題に悩むタイプだな、と冷静に分析している暇も私にはなく、

 「いいから早くネタ出せよ、ネタ。月末食いっぱぐれても知らないよ」

「そ、そうだ!少し外出てくる!!」

どうやら緊張が臨界点を越えたようで、パニックの極みに達した日和が部屋を出ていく。

はぁ、とため息一つ。

日和と付き合い始めて早6年。大学時代から続いていると思うと、驚きを禁じえない。

私は、幼いころから人付き合いが得意でなく、何というか見切りを早々につけてしまう癖があった。

いくら友情を誓いあっても、区切りは訪れて、私は1人残される。

後には、後悔と、思い出が残るのみ。

しかもその重さは私には担ぎきれなくて、結局重さに潰される。

そんな私だから、小説というものに人生捧げているんだろうなと思っている。

小説の中の人物は、作者の手によって様々な運命を与えられ、魂を吹き込まれる。

その中だけでなら、どんな理想も、夢も、現実になるから。

満たされないものを満たすために。

欠けた心を埋めるために。  

叶わない夢を叶えるために。

心の欠けた私だから出来る、唯一の娯楽であり、もう一つの人生。

私が良く書いていたのは恋愛小説で、ぶっちゃけ恋愛なんてしたこともない癖に、

自分が恋愛したらこうなるんだろうなあと思い描いた夢物語。

心がドキドキして、ただそこにいてくれるだけで良くて、空より高い想いを抱いて。

しかし、実際に恋愛をすると、夢は所詮夢なんだと良く解る。

しかも、同性に恋してしまった私には。

日和のことは大好きだし、ずっと側にいて欲しいと思うけど、時々男だったら良かったのに、と思うことは止められない。

もっと堂々としていたいのに、世間という監視社会に常に見張られている現状を打破する力も私には無く、影で縮こまっているだけ。

文才のみしかない私には、思い描く力なんてなくて、文章を書くしかできないけど。

少なくとも、日和の迷惑にならないようにと、祈るのみ。

どこまでも暗く後ろ向きな考えをしている内に、いつしか夢の世界へと落ちている。




綾は紛れも無く天才である………と少なくともわたし−−−−石垣日和は思っている。

文章力の無いわたしには、小説執筆なんて夢のまた夢で、内心いつも綾には嫉妬している。

空想することが好きなわたしは、幼いころから色々なものを描いていた。

自分の世界にいれば、ただ浸っているだけで幸せでいられたから。

今は、綾と過ごす日々が何より幸せだ。

本当に、感謝してもしきれないくらいに。

一緒に小説を書こうと誘ったのは綾からで、わたしはそれに乗っかっただけ。

すべては、お互いに欠けたものを埋めるために。

わたしは文章力、綾は構想力。恋愛から打算的に発展した関係がたまに難しく感じる。

そもそも、わたしに言わせれば、恋愛だって打算に過ぎない。

後世に自分の遺伝子を残すために、何となくつがいになっても良いかな、と思える人間と

交わるだけ。

その行為を肯定的かつポジティブに捉えるためのものが恋愛感情だ。

人を好きになる気持ちなんて、所詮はただの幻想に過ぎないのではないか−−−−

などと考えながら住宅街を歩いていると、一組のカップルを見かけた。

良く見かけるやつらで、そりゃ同じ街に住んでりゃ見かけるのかもしれないけど、

わたしは彼らが苦手だった。

だって、彼らは、異性同士のカップルだから。

世間一般からすればそれが正常で、わたしたちのような人が異端視されるのは仕方ない。

わたしだって望んで同性に恋した訳じゃないし、正常な人間でいたかった。

それでも、この胸に宿る想いは嘘ではない。

女の子が女の子を好きになって何が悪い?

異常だって構わない。

ふと、立ち止まる。

少し強く吹いた風が、わたしの思考回路を冷ましていく。

そもそも、何をするために散歩をしていたのかを思い出した。

仕事だ!

 

家に帰ると、ソファーにもたれかかって眠る綾の姿を発見した。

あどけない、純粋さを残した寝顔に安心感を得る。

起こさないようにそっと隣に座り、柔らかい頬にちょっと唇を触れさせた。

早速仕事に取り掛かろうかとパソコンを立ち上げると、綾が目を覚ました。


「ん……あれ?私寝てた」

「うん。そりゃーもうぐっすりと」

綾の顔が真っ赤に染まる。何を恥ずかしがってるんだろう?


「ねえ日和」

「…何」

「恋愛って難しいよね」

「まあ。で、何か言いたいことがあるのかな」

綾の顔を覗き込んでやると、瞳が不安げに揺れているのが解った。

言葉を探すように、虚空を見つめ、


「どうして私は日和に恋したんだろう」

流石にその台詞は聞き流せないもので、若干ムッとする。

「どういう意味だ、そりゃ」

「たまに、こう考える。もし日和が、男だったら………って」

「わたしは生物学的に女性なんだが?」

「あなたのことは大好きで、ずっと一緒にいたいと思うけど。

あなたも私も女で、世間からは白い目を向けられて、堂々としていたいのに、できない」


思わず、はっとさせられる一言だった。

わたしも同じことを考えていた故に。

確かに、この世界は多様性を謳っている割りに少数派には冷たい。


「確かにな、綾。わたしたちは女同士だ。わたしだって悩むんだよ。

何が恋愛で、恋なのかって。人を好きになるってどういうことなのかって。

本当は、男を好きになりたかった。それが普通だから。

でも、わたしは綾を好きになったんだ。

何が恋愛かも解らない癖に、人並みに恋に落ちてるんだよ。

誰を好きになっても、良いんじゃないかな。

何が正しいのかなんて、誰にも解らない。

なら、せめて。自分の気持ちに正直になろうって」

何を柄にもなく長々と哲学的なことを話しているんだろうと思いながらも、

一端の真実を垣間見た気がした。

永遠に悩んで、悩んで、悩み続けて見つけた答。

それは、何があろうと、隣にいる綾を、愛すること。


わたしの話を静かに聞いていた綾は一応の納得をしたらしく、憑き物が落ちた晴れやかな表情を浮かべた。

「そう……だね。誰を好きになっても良いんだよね。ああ、やっと解った」

何を?とわたしが視線で問いかける。


「あなたが、女だったから好きになったんだって。あなたがあなただったから」

「相変わらず意味不明なこと言うよな。流石は人気作家」

「あなたもその片割れでしょ。どちらが欠けても、綾垣あやひはやっていけない」


そうだ。そうなのだ。綾垣あやひは、二人の愛の結晶。

二人でひとりの小説家。


「ねえ、日和。今回の小説、私ひとりで書いてもいい?」

「……?別に構わないけど。ひとりで書けるのかよ」

挑発的に笑ってやる。

わたしがいなくても大丈夫なのかと。

そしてその答は、同じく自信に満ち溢れた笑みだった。

どちらからともなく、自然にキスをする。

甘く、とろけるような。官能的な。

例え偽物ばかりの世界だとしても、この触れ合う唇の暖かさは真実だ。

人生は人が繋がって紡ぐ物語だ。

わたしたちが主役になって描く恋物語は、まだ始まったばかり。



とある本屋の一角にて。

華々しいポップに囲まれ、本が山のように積み重なっている。

それを手に取るひとの数は多く、店員が定期的に新しく重ねていくほどだ。

綾垣あやひの新刊が出版され、瞬く間に世間の注目を集めた。

なぜなら、まったく新機軸の物語だったから。

とある女性が、とある女性と恋に落ちて、悩み、苦しみつつ、幸せになる物語。

ありふれた恋物語は、彼女たちの手によってより鮮明に描かれ、

読者に多大なる衝撃を与えることとなった。

ますます綾垣あやひの知名度が上がり、謎が深まることになったのだが、それは別の話。


さて、場所は変わって、別の本屋。

二人の女性が寄り添うように店内に入ってくる。

綾垣あやひの新刊を手に取り、何事かを話している。


「これ、わたしたちをモデルにしたの?」

「知りたい?」

「いいや、止めておくよ。それはともかく。これからもよろしくな、相棒。愛してる」

「私も。愛してるよ、相棒」

二人は手を取り合い、とびきりの笑顔のまま、店から去っていった−−−−−−−−。


この世界には、たくさんの恋愛の物語がある。

主役は、恋に落ちた人たち。

その人たちが大切に、一行一行書いていく物語。

何かが正しいように見えて、何も正しくなんかなかったりする。

人生は小説のようにはいかない。

人生は、自分の手で描く終わり無きストーリーだから。

笑って、泣いて、怒って、悲しみ、迷い、苦しみ、

人の手で作られた主人公よりも数奇な一生を送る。

特別な人なんてどこにもいなくて、誰もが特別なのだ。

何よりも貴いのは、ただ、愛する人が側にいてくれること。

そして、その人が何より大切だと思える心があること。

恋しなくても、周りを見ればたくさんの人がいる。

例え今は孤独であっても、一人くらいは。

あなたを大切に思ってくれる人がいるといいなと、私は思っています。

     −−−−−−−−−綾垣あやひ『恋物語は現実で』

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