餓狼
河室は飢えていた。その飢えは、癒しを知らぬ。
見知らぬ人が行き交う交差点、その中央に、河室は立尽くしていた。
「腹、減ったな……」
知らず、独言を零した。
河室は知らない街にただひとり、孤独を感じていた。
雑踏の中から、長髪の女が此方を向いた。
「お腹、空いてんですか?」
河室は一歩引いて、
「いや……」
「おごりますよ」
河室は言い知れぬ不安を感じたが、空腹に耐えきれず、その言葉に甘えることにした。どこか、懐かしい感じがした。
喫茶に入店し、奥に坐った。注文し、食事が運ばれてくる。
「美味しいですか?」
「ああ……」
食事を平らげ、珈琲を啜る。女も珈琲を飲んでいた。
「落ち着きましたか」
「少しね」
女は飢えていなかった。その食事も社交儀礼のように思えた。
「眼が渇いてますね。何があったんです? 私でよければ聴きますよ。相当のことがあったとお見受けします。大変でしたね。私もなかなか大変でしたが、偶然あなたを見つけて、声をお掛けしたんです。会えてよかった」
河室は女の美しい声に聞き覚えがあるような気がした。
「ちょっと尋ねるがね」
「はい」
「どこかで会ったかな」
「いいえ」
嘘だな、と河室は思った。この女、何か隠してるな。
店員が追加の飲み物を運んできた。匂のいいお茶だった。飲むと、喉の渇きが少し癒えたが、喫茶の食事などでは到底飢えは癒せなかった。
「腹、減ったなあ……」
「先刻食べたじゃないですか」
「それもそうだけどね」
女は竟に名乗った。
「わたしはいずと言います。隠そうと思っていたんですが、じつは、あなたと会ったことがあるんです」
河室は意外に思った。向うから告白してくるとは、思っていなかった。いつか暴いてやろうと思案していた。
「どこで」
「あの、場所で」
「あの場所? 憶えてないな」
「あなたはいつもそう言う……」
河室は引っかかった。言い方が妙だな、と思った。
「あなたはいつだって、わたしに冷たくするんです。今日はいい思い出が出来ました。うれしいですよ。ほんとに」
「大袈裟な女だな……」
いずはしかめっ面をして、捨鉢気味に言った。
「河室さん、また会いましょう」
「会ってどうする」
「そのくちの悪さを直すんですよ」
いずは口の端を少し上げていった。
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