6章ー35:始まった災厄、【逢魔が時】

 横に立つメイアが、傷付いた命彦に神霊治癒魔法をかけ、瞬く間に傷や消耗した体力を回復させた。

「すまん、メイア」

「いいから下がってて」

 魔力消費までは回復せず、蒼い顔の命彦を庇うように、メイアは眷霊種魔獣サラピネスと対峙した。

 メイアの背後に投影されていた神霊の姿がみるみる縮み、メイアと一体化する。

 神霊付与魔法を身に纏い、臨戦態勢を取るメイアを見て、サラピネスが口を開いた。

『ほう? ようやく主菜が現れたか。人側の神霊の眷属よ、待っていたぞ?』

「待っていたですって? こっちはお呼びじゃありませんけどね? さっさと自分達の世界へ帰ってくれるかしら? 頭のおかしい破壊神に作られた木偶人形でくにんぎょうのくせに」

 木偶人形という言葉がいたく気に障ったのか、サラピネスが恐ろしい形相でメイアを見下ろす。

『……小娘、言葉に気を付けよ。ミズチの幼竜如きに不覚を取った未熟者の貴様が、我を怒らせてまともに戦えると思うてか? 煽るのは相手を見てするがいい、くびり殺すぞ?』

「くっ!」

 サラピネスから恐ろしい殺気が放たれ、神霊付与魔法を纏うメイアが一瞬たじろぐ。

『そうだ、それでよい。我に怯えよ、我を恐れよ。貴様ら人間は所詮我の玩具だ。玩具とは遊ぶもの。飽きるまで遊び、喰らうモノだ。一瞬で破壊してしまっては面白みに欠ける。フハハハハッ!』

 高笑いするサラピネスを前に震えるメイア。

「メイア……」

 重度の魔力消費でフラつく命彦が背後から心配そうに声をかけると、メイアが震えを止めた。

「ま、命彦は自分の心配をしてて! 私も眷霊種魔獣を相手に1人でここに来るほど……」

「バカやあらへんよってね?」

「勇子さんに空太さん! それに、あっちこっちから軍や警察の魔法士さん達も! やっと応援が来てくれたんですね!」

 《旋風の纏い》で高速移動していた勇子と空太が、舞子の横に降り立ち、それとほぼ同時に全方位から、迷彩柄や濃紺色の〈迷宮衣〉を着用した、都市自衛軍や都市警察の魔法士達が60人ほど現れた。

「眷霊種魔獣を確認! 総員包囲せよ!」

「時間稼ぎありがとうございます。あとは我々に任せて、皆さんは下がってください!」

 都市自衛軍の男性魔法士と女性魔法士が相次いで言うと、命彦を背に乗せたミサヤが、命絃達の近くまで後退し、メイアもその場を後退した。

 入れ替わりに軍や警察の魔法士達が、サラピネスを幾重にも包囲する。

 それを見て、サラピネスは喜色満面の笑みを浮かべた。

『ほう? 我が相応に力を込めて展開した神霊の結界を、これほど多くの者が突破するとは、面白い。実に面白い! 遊び甲斐があると言うものだ……しかし、消耗しているように見えるぞ? それで我との死闘ゆうぎに耐えられるのか?』

 ニヤリと笑うサラピネスが軍や警察の魔法士達を睥睨すると、途端にピンと緊迫感が増した。

 命彦との戦闘時から神霊付与魔法を纏ったままであるサラピネスは余裕の表情だが、軍や警察の魔法士達は少し疲弊している様子だった。


 サラピネスの注意が命彦達から逸れたことで、会話する心の余裕がやっと生まれたのか、眷霊種魔獣を見て蒼白の顔色で無言だった空太が、目を閉じたままの魅絃を見てから命彦に視線を移し、口を開く。

「……遅れてごめん、命彦。警報聞いてポマコンで情報を収集してたら、魅絃さんと舞子が買い物してるすぐ近くで戦闘があったって知って、命彦達がその戦闘の現場へ行ったってソル姉から聞いたんだ。それで慌ててメイア達と一緒にこっちへ急行したんだけど、この一帯を封鎖してた軍と警察の魔法士に止められて、事情説明してる間に神霊結界魔法が展開されて足留めを……ホントごめん」

「謝る必要はねえよ、空太。助けに来てくれただけでも感謝してる。ありがとよ、お前ら」

 巨狼のミサヤの上で、魔力を分け与えてもらい、少しずつ回復していた命彦が礼を言うと、勇子が照れくさそうに笑ってから、表情を引き締めた。

「そら助けに来るやろ普通? 緊急警報がワンワン響いて、自分らがおった【精霊本舗】の目と鼻の先で、こんだけ街を荒らされとったら、腹も立つわ。ましてやウチらの場合、小隊長や新人隊員の危機やったからね? まあ、あのアホンダラが、神霊結界魔法を展開してくれたおかげで、ここに来るんも一苦労やったけど。魔法防御力が滅茶苦茶高い上に、ミズチが使った結界魔法みたく魔法防壁が自己修復するんやで? メイアがいてくれて助かったわホンマ」

「そうだね。あの固くて耐久性もある神霊結界魔法を、僕らだけで突破しようとしたら、ここにたどり着く前に魔力切れだったよ」

「……それでか、軍や警察の魔法士達が消耗しているように見えるのは」

 ミサヤからゆっくり降りて、命絃と舞子に抱えられた魅絃の手を悔しそうに握った命彦が、空太の言葉を聞き、サラピネスと対峙する魔法士達を見て言う。

 すると、空太と勇子が遠く離れたサラピネスを警戒しつつ、小声で語った。

「うん。神霊魔法を使うメイアに頼れた僕らはともかく、軍や警察の魔法士達は自力でアレを突破したんだ。おまけにここを封鎖する前は、負傷者の救助も行ってた筈。相当消耗してると思うよ?」

「実際思念でオトンに話聞いたら、軍も警察も無理して300人近い人員を、それぞれこっちへ投入しとるらしい。ここから半径200m範囲を結界魔法で囲み、この一帯を隔離封鎖しとる人員が、200人ずつの計400人おったとしても、残り200人は救出・迎撃部隊としてこっちに来とる筈や。それがこの場には60人しかおらへん。多分魔力切れでほとんどが結界を突破でけへんかったんやろ」

「逃げ道を塞ぐために精霊結界魔法で半径200m範囲を封鎖し、魔獣を閉じ込めたつもりが、その封鎖範囲の内側150m圏に神霊結界魔法を展開されて、眷霊種魔獣に逆に籠城されてしまった。そのせいでこっちの戦力が無駄に消耗させられたのよ」

 悔しそうに言うメイアの発言を聞き、舞子が唇を震わせる。

「……ということはもしかして」

「ああ。どうも事態は好転したわけじゃねえらしい」

 命彦が魅絃を心配そうに見て言うと、命絃とミサヤも首を縦に振った。

「私達が逃げられる可能性が少し増えたくらいでしょうね」

『マヒコとメイアを狙っていると言うあの眷霊種魔獣が、それを簡単に許すとはとても思えませんが?』

「……確かに。ミツバ、この現状の打開策はあるか? 母さんだけでも、今すぐ移動させたい」

 自分のポマコンを取り出し、壊れた〈ツチグモ〉の後部空間投影装置にかざして、ポマコンの上へミツバの平面映像を移した命彦が問うと、ミツバが驚きの答えを返す。

『どこまで効果があるかは不明ですが、先ほどメイアさん達が駆け付けたことで、150m範囲にあった電波妨害圏に一瞬裂け目が生まれ、都市魔法士管理局や軍本部へある提案を送信できました。もしそれが実行されれば、多少は眷霊種魔獣に揺さぶりをかけられる筈です』

 ミツバが言い終わると同時に、仕かけ時を探っていた軍や警察の魔法士達に包囲され、余裕そうに膠着状態を楽しんでいたサラピネスが、不意にニヤついた笑みを消し、動いた。

 突然空間転移で上空へ瞬間移動したかと思えば、自分の展開していた神霊結界魔法を消し、指先に黒い球体を作り出すと、そのまま頭上へと放ったのである。

「魔法攻撃だ! 総員防御せよ」

 軍の魔法士が言い終わる前に、命彦達とその場にいた軍や警察の魔法士達を、メイアの展開した神霊結界魔法が包む。

 しかし、命彦達が警戒していたサラピネスの魔法攻撃は、サラピネスを閉じ込めるために具現化されていた、結界魔法を破壊するためのモノであった。

 幾重にも展開された、恐ろしく効力範囲が広い周囲系の魔法防壁に触れた黒い球体。

 漆黒の魔法弾は、その場で結界魔法を呑み込むように膨らんで行き、バリバリと結界魔法を無力化して行く。

 それを見て、勇子が驚きの声を上げた。

「ありえへんっ! 数百人の分の魔力を使った結界魔法やぞ!」

「精霊融合結界魔法も幾つか混じってるのに、それをたった一撃で……」

「全てを呑み込む最高の神霊魔法攻撃の1つ、魔法による重力渦ブラックホールだわ」

 自分を閉じ込める魔法防壁を一瞬で破壊したサラピネスは、忌々しそうに思念で語る。

をしてくれる。見合ってればよいものを、事が起こる前に動きおって……今ここで全滅させてやりたいが、それでは詰まらんし、宴の前に我が全てを破壊しては、我が母神のお怒りを買いかねん。その命、今一時いっときだけ見逃してやる。まあ、どうせ明日までの命だ。せいぜい絶望するがいい」

 そう思念を飛ばしたサラピネスは、もう一度黒い重力渦を3つも生み出すと、今度は【迷宮外壁】へと放った。

 【迷宮外壁】の3カ所、3つの昇降機周り100mほどがあっさり地面ごと丸々消失し、関西迷宮の第1迷宮域を見通せるほどの裂け目が3つ生まれて、命彦達が戦慄する。

『そうそう、その顔だ。頼みの壁を失い、我らの宴で貴様らがどう踊るのか。楽しみだ、カカカカ』

 サラピネスは満足そうに笑い、空間転移して消えた。

 軍や警察の魔法士達は、女性の魔法士を1人残して、破損した魔法機械〈ツチグモ〉の指揮官機、特に〈ツチグモ〉の主記憶装置がある頭部を回収させ、そのままサラピネスの追撃に移って、この場を飛び去る。

 勇子が、ポッカリと第1迷宮域の前に口を開く【迷宮外壁】を見て、呆然とした表情で言った。

「助かったって言いたいとこやけど……ドエライ被害を受けてもうたで?」

「あれ、どうするんだい?」

 空太の疑問に、命彦のポマコン上の平面映像に映るミツバが言う。

「修復するしかありません。……眷霊種魔獣が迷宮の近くにいるということは、【逢魔が時】が起こる可能性が極めて高いということ。しかし、まだ関西迷宮では【逢魔が時】は起こっていませんから、それは今後【逢魔が時】が起こるということを意味している。であれば、【逢魔が時】が起こる前に、先んじて【魔晶】を壊せば良いと思い、4都市の持つ〈アメノミフネ〉を使って、空から第3迷宮域を急襲するように提案したのですが……」

「軍が【魔晶】の破壊へ動いたことにあの眷霊種魔獣はすぐ気付いて、いち早く【魔晶】の防衛に戻ったのね? これはつまり、【逢魔が時】の発生が確定したってことよ。あそこまで急いで守りに行くんだからね?」

「ああ。本物の破壊の嵐が……来る」

 命彦が疲れた表情で魅絃を抱き上げ、巨狼のミサヤの背に乗せた。

 自分もミサヤの背に乗った瞬間、サラピネスが視界から消えて気が抜けたのか、命彦の意識がフッと遠ざかる。

「……くっ!」

「命彦!」

『マヒコ!』

 命絃の声とミサヤの思念が聞こえたが、命彦は魅絃に覆い被さる様に、ミサヤの上で気を失った。

 命彦が気を失って数分後、関西地方を守る4つの〈アメノミフネ〉がサラピネス及びその指揮下にあると思しき高位魔獣達と交戦し、〈アメノミフネ〉はどれも相当の被害を受けたものの、第3迷宮域全域を包み込み、科学的観測をある意味妨害していた、精霊結界魔法の破壊に成功する。

 結界を破壊し、【魔晶】に肉迫する4都市自衛軍と〈アメノミフネ〉だったが、この時【魔晶】が異世界と地球とを結ぶ、次元の裂け目を具現化したことで、【虹の御柱】が第3迷宮域内に多数発生し、〈アメノミフネ〉及び4都市自衛軍は戦闘行動をすぐに停止して、第1迷宮域と第2迷宮域の境に位置する防衛線まで退避した。

 災厄を振り撒く【逢魔が時】が、遂に関西迷宮でも発生したのである。

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