6章ー34:人間の限界、マヒコ 対 サラピネス

 上空に浮かぶサラピネスと、地面に落とされた命彦を見て、命絃とミサヤが焦燥感を露にする。

「マズい、《戦神》の弱点に気付かれたわ!」

『私がどうにかして止めに入ります! マイトとマイコはミツルと自分の身を守ることに専念してください!』

「はい!」

 命彦の傍にいればともかく、今は離れているために、目もくらむ高速戦闘への介入はミサヤでさえも難しい。

 しかしそれでも、命彦の危機を見過ごせず、ミサヤがサラピネスへ果敢に魔法攻撃を行おうとした瞬間であった。地に落ちた命彦が空間転移して距離を一瞬で詰め、双刃を振るってサラピネスの腕をまた斬り飛ばす。

『ぐっ!』

 回避が遅れて片腕を斬り飛ばされたサラピネスが、ほんの一瞬体勢を崩した。

 それを唯一無二の好機と捉え、命彦は一撃必殺の構えでサラピネスに突貫する。

 太刀形態に再構築した魔刃を突き刺さそうと、一気に瞬間移動する命彦。

「もらったぁぁーっ!」

 瞬間移動で出現する場所はサラピネスの目の前。体勢を崩したままのサラピネスは、身を捻ることも、同じく瞬間移動で逃げることもできず、自分の腹に魔力物質製の日本刀が突然生えるという痛撃を受ける筈であった。

 しかし命彦は見た。空間転移による瞬間移動で、周囲の時空間が捻じ曲がり、まるで時間が遅れているかのように、目に見える世界がゆったりと移り行くその一瞬、体勢を崩していた筈のサラピネスがスッとこちらを見やり、ニヤリと笑った姿を。

 この時、命彦は己の失策を思い知る。腕を斬られたのも、体勢を崩したのも、ただの演技。

 決着を急ぐ相手に、隙の多い攻撃を行わせるための、誘いであったと。

『青い奴めっ!』

 止まっているかのようにゆっくり動く時空間上で、命彦の脳裏に聞こえるサラピネスの思念。

 サラピネスの腹に突き刺さる筈だった命彦の魔刃は、サラピネスがくるりと身を捻ったために、腹の表面を浅く斬り裂くだけに終わり、代わりに命彦の腹へ、サラピネスの拳が突き刺さった。

 精霊儀式魔法《空間転移の儀》に代表されるように、空間転移による瞬間移動は、物理法則を超えし者のみが扱える唯一無二の移動方法であり、時空間に干渉して空間や時間を捻じ曲げ、今いる空間と行きたい空間とを接合して移動する、究極の移動方法である。

 魔法使用者の置かれた時間軸や空間軸を幾らでもゼロにすることができるため、この移動方法が使える者と使えぬ者との間には、隔絶した機動力の差が生まれた。

 しかし、いかに究極の移動方法を使えても、同じ移動方法が使える者同士であれば、徒歩で競い合うのと全く同じであり、究極の移動方法は、ただの移動手段の1つにまで格が落ちる。

 自分だけが時間や空間の法則をすり抜け、制止したようにゆっくり過ぎる時空間上で動けるのであれば、どういう攻撃も避けられるし、動きが物凄く遅い相手を一方的に攻撃できるのだが、相手も同じ時空間上で動けるのであれば、通常空間を動くのと全く同じだからであった。

 相手も自分も、互いを認識して攻撃できるし、互いの攻撃を避けられる。

 事実、サラピネスは幾度も命彦の瞬間移動攻撃を捌いて、回避していたし、命彦もサラピネスの攻撃を回避したり、迎撃したりしていた。

 体勢を崩した演技に引っかかり、分かっていた筈の事実を、千載一遇の好機だと思い込んで一瞬忘れ、怒りと衝動に任せて攻撃してしまった命彦の、判断力の甘さ。

 その甘さ、未熟さを、サラピネスは見抜いていたのだろう。

「ぐぅっはっ!」

 神霊付与魔法の分厚い魔法力場を纏う拳打を受け、腹の魔力物質が砕け散り、弾き飛ばされた命彦に、サラピネスの神霊攻撃魔法が叩き込まれた。

「命彦ぉーっ!」

『マヒコ!』

「『命彦さん!』」

 命絃やミサヤ、舞子や平面映像上のミツバが、悲鳴を上げる。爆発に呑まれた命彦が地に落ちた。

 砕けた道路に膝をつき、どうにか倒れることを拒んでいるものの、命彦は満身創痍まんしんそういの状態である。

 全身を覆っていた魔力物質は6割以上が剥がれ落ち、魔力物質の下に装備していた魔法具の姿が露出している。

 魔力の消耗も著しく、意識を保っているのが精一杯という様子であった。

 ただ、まだ生きているところを見ると、しぶとくサラピネスの攻撃を防御したのであろう。

 サラピネスが、そのしぶとさを小馬鹿にするように、ニヤニヤと笑いつつ高度を下げる。

『神霊魔法も使えぬただの人の身で、神の眷属たるこの我に傷を負わせたことは、称賛に値する。……が、しかし、ここまでだ』

 腕と腹の傷を瞬時に治癒したサラピネスが、余裕を見せつけるように地に降り立った。


 子犬姿のミサヤが《旋風の纏い》で命絃の肩からサッと飛び上がったのを察知し、サラピネスが自分と命彦を囲うように半径15mほどの小さい半球状の神霊結界魔法を展開して、ミサヤの接近を阻む。

『しまったっ! マヒコ、マヒコぉっ!』

 本性である巨狼の姿に戻ったミサヤが、周囲系の神霊魔法防壁に頭突きして、命彦を必死に呼んだ。

 常に冷静である筈のミサヤが、今や取り乱している。

 それだけ命彦に危険が迫っているということであった。

 命彦は首を動かし、まだ戦意が宿る目で必死にサラピネスを見据えた。

「まだ……終わってねえ、ぞ……はあ、はあ」

『いや、もうよい。貴様の狙いはすでに看破した。これ以上戦っても結果は見えている』

「くぅっ! お、俺は、まだ……ぐはっ!」

 立ち上がろうとする命彦の背を、サラピネスが笑顔で踏み付けて思念で言った。

『すでに勝敗は決した。貴様では我に勝てぬ。神霊魔法を持たぬ貴様が、我を討とうと思わば、使う魔法は限られる。ミズチとの戦いで見せた源伝魔法、《魂絶つ刃》だったか? あの絶対破壊の魔法が、貴様の本当の切り札であろう? 問題はいかにあの魔法を、我に当てるかだ』

 どうしてそれを知っている、という驚愕の表情で、息を呑む命彦。

 その命彦の顔に気を良くしたのか、サラピネスが饒舌じょうぜつに思念で語った。

『貴様らとミズチとの戦いを見ていた者がいたのだ。その者は人間の記憶を転写し、源伝魔法の知識を得ている。その記憶を我も転写した。それゆえに貴様の源伝魔法、《魂絶つ刃》も我は見知っている。その効力も、欠点さえも……』

 サラピネスが、命彦を踏み付ける足にゆっくりと力を込めた。

『カカカ、ドリアードとの戦いについても、我は知っているぞ? ゆえに貴様らのことを面白く思い、我は神霊魔法を使う小娘と貴様を探していたのだ。そして、そこの小娘と女を襲撃し、貴様らをあぶり出そうとした。しかし、ここまで思い通りに、貴様がノコノコ我の前に現れるとは……思わず笑いが込み上げたぞ? 我が母神の加護の賜物たまものであろう』

 サラピネスの思念に、怒りを宿す命彦の瞳。

 屈さぬ命彦の戦意を感じつつ、サラピネスは思念で語り続けた。

『小童、神霊魔法を使う小娘はどこだ? それを言えば、殺してから食ろうてやるぞ? 言わねば、生かしたまま踊り食いだ』

「ぐ、てめえ! 絶対に……斬る! ぐおぁっ!」

『まだ世迷言を吐くか? 無駄だ、無理だ、不可能だ。言ったであろう? 我は貴様の狙いを看破したと』

 4m近い巨躯のサラピネスが、命彦の背に体重をかけた。

 背を覆う魔力物質が砕け、魔法具の効力の上からでも耐え難い重さが命彦を圧迫する。

「ぐああっ!」

 苦しげに呻く命彦を見て、サラピネスが上機嫌に思念を発した。

『神霊魔法の使い手は、この世の法則から外れた移動ができる。動きを止めることも、まともに魔法攻撃を当てることも、そもそも難しい。発動に時間がかかり、しかも軌道が読みやすい《魂絶つ刃》を、そのまま使って我に当てることはほぼ不可能だ。そこで、魔力物質を纏う意志魔法、《戦神》だったか? その意志魔法を貴様は使った』

 初めてビクリと震える命彦。その姿を見て、サラピネスが僅かに目尻を下げ、体重をかけることを止める。

『己が心を律することさえできれば、この世の法則から外れた移動をも可能とし、接近戦であれば神霊魔法の使い手とも、五分の勝負ができる意志魔法……よく考え出し、作ったものだ、感心する。が、それとて欠陥を見破られ、本当の切り札を出すための布石であると判れば、対処も容易い」

 サラピネスが命彦の目を、餌を前にした獣のように見詰め、思念で語る。

『《魂絶つ刃》は物質・概念・現象を問わず、魔力波動に接触した全てを消滅させる絶対破壊の魔法であろう? そして、この魔法はその絶対的効力のために、使用する際には《戦神》以上に神経を、思考力を使う筈だ。つまり、《戦神》と《魂絶つ刃》との同時使用は難しいと推測できる。まあ、そもそも他の魔法も使えんのだ。実際は難しいどころか、不可能だったわけだが……クカカカカ!』

 命彦の反応を観察するように見下ろし、恐ろしげに笑うサラピネスはまた思念を発した。

『そこまで分かれば、この2つの魔法を時間差で使おうという、貴様の戦術も見抜けるというもの。無論、どういう風に使うのかもある程度想像はつく。貴様が我へ執拗に接近戦を挑んだことも説明できる。要は、《魂絶つ刃》の発動媒体たる魔力物質製の武具を、我へ突き刺したかったのだろう、貴様は?」

 サラピネスが、命彦の僅かに残る後背の魔力物質の触手へ視線を走らせ、にんまりと笑った。

『その触手もただの装飾か、攻撃手段の1種かと思っていたが、敵と己を固定する固定具と思わば、合点がいく。刀剣状の魔力物質を相手に突き立て、その触手で自分と相手を固定する。しかる後に、《魂絶つ刃》を使うわけだ』

 命彦の戦意を挫き、心底屈服させたいのか、サラピネスが命彦を間近で見下ろして言葉を紡ぐ。

『《魂絶つ刃》を展開しようと思考した時点から、《戦神》の魔力物質はその効力を次第に失って行くが、多量の魔力を費やして作られた魔力物質は、完全消滅するまでに幾らか時間がかかる。その時間差で、《魂絶つ刃》の展開時間を稼ぐ。そういう魂胆であろう?』

 サラピネスが、命彦の傍に落ちていた1対の刀剣状の魔力物質を拾い、4本の腕で圧し折った。

 それは命彦の意志が、精神が、サラピネスに屈しつつあることを、端的に示していた。

『ミズチとの戦闘において、《魂絶つ刃》の構築・展開にいささか時間がかかっていた。《魂絶つ刃》の行使に時間がかかっていた主たる要因は、【始源の魔力】とかいう高次の魔力の現出に時間を食っていたからであろう? 通常の魔力をある程度消費しておらねば、【始源の魔力】を感知しにくいとも聞く。つまり、始めから相当量の魔力を引き出し、魔力物質を構築する《戦神》は……』

 サラピネスが、驚きに震える命彦へ一層顔を近づける。

『《魂絶つ刃》の遅い魔法展開速度を幾らか速めることができる……違うか? 先に多量の魔力を消費している分、【始源の魔力】も感知しやすい。それに現出させた魔力物質を《魂絶つ刃》の発動媒体とすれば、展開速度はより速まる。あとは【始源の魔力】を、残りの魔力諸共に全て魔力物質へ注げばいいだけ……どうだ、我の推測は間違っているか?」

「た、たった1度見ただけで……この化け物め!」

 震えて言う命彦の姿を恍惚の表情で見下ろし、サラピネスが思念を返した。

『ククク、我の推測通りであったか、愉快愉快! 思考力の観点から見れば、時間差で使っている筈の2つの魔法だが、効力だけで見ると、僅かに重複する一時がある。本当によくよく考えたものだ。どれだけの時をこれらの魔法の開発に注いだのか、そのいじましい努力に感心するぞ、人間よ! アハハハハ……』

 天を仰ぐようにケタケタ笑い、サラピネスがギロリと命彦を見下ろした。

『幾ら高速で動けようとも、瞬間移動ができようとも、自分の内側で魔法が炸裂すれば、神霊の加護を持つ我らとて避けられぬ。振り落とそうと暴れても、身体を固定されれば難しい。弱点と言うべき魔法展開速度の遅さも、多少は改善できる。《戦神》と《魂絶つ刃》を作り、こうした使い方を考え出した貴様の祖先には、驚嘆させられたぞ?』

 口角を吊り上げたサラピネスが、命彦の顔に手をかざした。

『しかし、種が分かれば全て無意味よ。策が分かれば対処も容易……さて、講釈は終いとしようか。悔しさに打ち震えるその表情、その姿には実に食欲をそそられる。もはや我慢できぬ。小娘は我自身で探すことにしよう。小童、我が血を滾らせた報いだ。存分にいたぶり絶望させてから、むさぼってやろうぞ?』

 サラピネスの手が命彦の顔に触れる寸前であった。ゴウンと衝撃が走る。

『我が主から離れよ、下郎っ!』

 巨狼のミサヤが、全力の精霊融合攻撃魔法によって、神霊結界魔法の魔法防壁をぶち破ったのである。

 間髪入れずにミサヤが精霊付与魔法を纏って突進しつつ、集束系魔法弾を放ち、サラピネスを撃つ。

 天魔種魔獣【魔狼】が、全力で放つ魔法攻撃は、さすがに警戒したのか。

 サラピネスが一瞬で後退し、距離を取る。その隙を突き、その場から必死かつ全力で飛び退いた命彦。

 命彦を捕まえようと飛び出そうとしたサラピネスへ、今度は追尾系魔法弾の雨が降りかかった。

「私の命彦から、離れろぉぉーっ!」

 命絃の精霊攻撃魔法《陽聖の矢》である。魔法弾を受けてもサラピネスは全く無傷だったが、手数の多さで弾幕を形成し、サラピネスの行動を妨害するだけの効果はあった。

 自分から20mほど距離をあける命彦と、その命彦のすぐ傍に浮かび、唸る巨狼のミサヤ。そして、ミサヤの後方で、舞子と一緒に魅絃を抱える命絃を見て、忌々しそうにサラピネスは思念で言う。

『……小賢しくも我の食事の邪魔をするか、天魔の魔狼、そして弱き人間よ』

『我が命ある限り、マヒコの命は奪わせぬっ!』

「愛する命彦のためであれば、たとえ破壊神だろうがその使いっ走りだろうが、片っ端から斬ってみせるわよっ!」

『ほう、言ってくれる。む? ……そこの女も命を繋いだのか? 驚かせてくれる。たかが人間を殺し損ねるというのも、初めての経験だぞ?』

 舞子と命絃が肩を貸す魅絃を見て、サラピネスが不敵に笑う。

 そのサラピネスが不意に眉をひそめ、突然空へと飛び上がった。

 バジュジュっとサラピネス達がさっきまでいた位置に、極太の紫電が走り、地面を焼く。

「……どうにか間に合ったわね?」

 神霊の姿を背後に投影したメイアが、いつの間にか命彦の傍に空間転移していた。

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