6章ー32:現れた魔人、魂斬家の意志儀式魔法《戦神》
命彦から噴出する魔力の気配に圧倒され、一瞬止まっていた命絃とミサヤが我に返る。
『今はまずミツルの治療が先決です、マイト! 幸い即死はしていません。まだ微かに息がある。治癒魔法で回復が間に合います! 《陽聖の恵み》を使いますよ!』
「わ、分かってるわ! 其の陽聖の天威を活力とし、あるべき姿に、傷痍を癒せ。生かせ《陽聖の恵み》」
命絃と、いつの間に命絃の肩に乗っていたミサヤが、精霊治癒魔法《陽聖の恵み》を魅絃に使うが、命絃は焦っていた。
時間遡行によって傷自体はすぐに塞がり、飛び散った血液も残らず消えていたのだが、命が助かったというのに、肝心の魅絃は意識不明のままだったのである。
サラピネスとの戦闘における、魔力の過剰消費を原因とした昏睡症状であった。
「母さん、起きてよ! 母さんが寝たままだと命彦が!」
『ミツルが無事である姿を見せれば、すぐに落ち着く筈ですが……とにかく魔力を送ってミツルを回復させ、目を覚めさせましょう!』
魅絃を起こそうと魔力を送りつつ、命彦の様子を見た命絃が、目を見開いて言う。
「マズいわよミサヤっ! 命彦、《
命彦の全身を包むように手足に発生した魔力物質製の装甲を視界に入れて、命絃は動揺していた。
その命絃の肩の上では、ミサヤも深刻さを瞳に刻み、身震いする。
『分かっています! 怒りが限界突破した今の状態であれば、意志魔法は最高の効力を発揮できますが、しかし、せっかく癒えたばかり魂を、またあのように酷使しては……』
「魂が壊れる可能性があるわ! 母さん早く目を覚ましてっ! 命彦を止めてよ! くっ……命彦、やめて! お願いよ! それ以上魔力を引き出しては駄目っ!」
母への呼びかけを諦め、命彦へと声をかける命絃。ミサヤも命彦を制止した。
『マヒコ、いけませんっ! 自分の魂を酷使してはっ!』
「がああああぁぁぁっっ!!」
しかし、命絃やミサヤの制止の声も耳に届かず、命彦から放出される魔力量は増える一方であった。
サラピネスが試すように神霊攻撃魔法で、〈オニヤンマ〉を切り刻んだ時のように小型の風の刃を作り、命彦へと放つと、命彦の身体を半分ほど包んでいた魔力物質が触手を作り出して風の刃を迎撃し、叩き落とす。
それを見て、サラピネスが心底楽しそうに笑った。
『ほう? この程度は弾けるか面白い……しばし待ってやる。見せてみろ、貴様の全力を』
「ぐるぉああぁぁーっ!」
響く命彦の怒号と、命彦を侵食するようにジワジワ覆って行く魔力物質。
見下すように不敵に笑うサラピネスの姿に怯えつつも、命絃とミサヤの会話を聞いていた舞子が口を開いた。
「た、魂が壊れるって、まさか廃人化するってことですか? マズいですよ、早く止めましょう! 一度廃人化したら最後、待ってるのは衰弱死の一本道ですよ!」
『分かってると言ったでしょう! ただ、怒りに我を忘れた今のマヒコは簡単には止まりません! あ、マイコっ!』
「小娘! あんたが行ったところでっ!」
命彦の危機を知り、ミサヤと命絃の制止を振り切って、思いがけぬ行動力を発揮した舞子が、1人命彦の傍へと駆け寄る。
「命彦さん、駄目ですっ! ここは抑えてください! きゃうっ!!」
舞子が命彦に近寄った瞬間、命彦を6割ほど包み込む魔力物質が触手のようにうねり、舞子を弾き飛ばした。
『くっ! だから言ったでしょうに!』
「手がかかるわねぇ!」
吹っ飛ぶ舞子を間一髪受け止めたミサヤと命絃が、今度は自分達で命彦に声をかけようとした時である。
命彦の思念が3人の脳裏に響いた。
『頼むから……じっとしててくれ』
命絃、ミサヤ、舞子に叩き付けられた、命彦の意志探査魔法《思念の声》。
その魔法で伝わった思念には、今の怒り狂う命彦の悲しみと悔しさ、弱い自分を呪う悲哀が、凝縮されていた。
叩き付けられた思念に絡みつく感情の渦に酔ったのか、思わず口を押さえる命絃と舞子。
ミサヤでさえも、命彦の
くしくも《思念の声》を受け取った3人は、命彦の感情に加えて、全く同じモノを見ていた。
命彦自身が、湧き上がる自分の感情に振り回されているために、思わずソレが引きずり出され、《思念の声》を通じて命絃達に伝わってしまったのだろう。
思念に絡みつく感情の渦によって引きずり出された、命彦の記憶の断片達を、3人は見ていた。
倍速の映像。まるで
余りに消える速度が速いので、舞子は個々の思い出がどういうモノか、ほとんど見えずにいたが、魅絃と思しき若い女性や命絃と思しき幼い少女を見上げる場面が幾度かあったため、それらが命彦が魂斬家で過ごした、幼少期からの思い出達であることが察せられた。
そして、最後に現れ、消えてしまった2つの記憶の断片に、舞子の想いはグッと引きずられる。
命彦の感情が、想念が、これでもかとこびり付いた、2つの思い出。
それこそが、命彦の激しい怒りの根源であることを、舞子は察した。
一方の思い出は、場面がぼんやりとおぼろげで、命彦がほとんどその記憶を忘れていることをうかがわせるが、その当時の感情だけは未だほころばず、根深く残っているモノ。
残る一方の思い出は、当時の記憶と命彦の心情とが、はっきりと明確に伝わるモノであった。
おぼろげである記憶の方は、幼い頃の命絃と思しき少女の手を握り、魅絃と思われる女性に抱き締められて、血の気を失った包帯姿の女性の、横たわる姿を見ている場面。
恐らく、舞子が命彦との深夜の会話で聞いた、命彦の実母との死別の場面であろう。
そして、明快である記憶の方は、命絃と思しき少女と、魅絃と思しき女性の看病を、ミサヤと一緒に、命彦が必死で行っている場面であった。
命彦の思い出を舞子達が見ていた時間は、実際には僅か数秒のことだったが、その数秒間に起こったこの記憶の断片を見る体験のせいで、舞子は命彦の重く激しい想いに引きずられ、頭痛を覚えて頭を押さえる。
「い、今のはいったい……」
『《思念の声》を受けた際、そこに付随した……マヒコの記憶の断片を見たのですよ』
「そうみたいね、両方の記憶に憶えがあるわ。初めに見た記憶は随分風化して場面がぼやけてたけど、多分命彦が3歳の頃のモノ。命彦の、実母の死を皆で看取った時の記憶よ。命彦は忘れたと言ってたけど……もしかしたら無意識下では、当時の記憶がまだ幾らか残っているのかも」
舞子を一瞥してから、命絃も自分の頭を手で押えつつ、魔力物質に着実に覆われて行く命彦を痛ましげに見た。
「命彦はこの時に魂斬家へ引き取られ、母さんの息子として
ミサヤも頭痛を振り払うように一度頭を振ってから、命絃の言葉に続く。
『後の記憶の方は私も憶えています。マヒコが養子であること知った12歳の頃。ミツルとマイトが、魔法具の開発に失敗し、魔力を枯渇させて数日間昏睡状態に陥り、マヒコと私とで看病した時の記憶です。自分の過去とミギリ家から受けた余りある恩を知って、身の振り方を考えていたこの当時のマヒコは、この出来事以降に、自分の生き方を決めました。生涯ミギリ家の一員として生き、ミギリ家の人達のために、自分の命を使おうと……』
ミサヤも悲し気に命彦を見ていた。そして、命彦の呪文詠唱が咆哮と共に響く。
「魂の力寄り固め……我が身を覆いし、魔神の装束を造らんっ! 其は……我が身の護りにして、我が戦意の武具! 数多の妖神を滅ぼす、
舞子達の見ている前で、遂に命彦の全身を、魔力物質が完全に覆い隠した。
ミシミシと骨格や筋肉が軋み、全身が改造されたかのように伸長されて、身体が厚みを増す。
魔力物質も丸みや突起、意匠を形成して行き、やがてそれは現れた。
魔力物質に覆われ、武者の甲冑にも似た装甲を全身に纏う、1人の魔人。
己の全能を魔法戦闘のためだけに特化させた、《戦神》が現れたのであった。
意志儀式魔法《戦神》。魔法の使用者の全身を魔力物質で包み込み、使用者自身を1つの魔力物質と化して、世界の法則から使用者を逸脱させる魔法である。
魂斬家に伝わる意志魔法の、秘伝とも言うべき魔法の1つであった。
魔力物質外骨格とも称されるこの魔法は、あらゆる物理法則の制約から使用者を解放するという破格の効力を持ち、重力を無視した高速飛行や空間転移による瞬間移動といった、難しい魔法現象も一瞬で可能にする。
源伝攻撃魔法《魂絶つ刃》と合わせて、命彦が切り札として持つ魔法であった。
意志魔法系統であるため、魔法と使用者との精神状態が上手く相関性を持てば、
しかし、意志魔法系統由来の利点があれば、当然欠点もある。
魔力消費量の多さや、精神状態による魔法の自壊及び弱体化といった、意志魔法系統特有の、魔法自体の制御の難しさがあるため、簡単にいつでも使用できる魔法とは言えず、使用者の精神が特定の感情や思考に振り切ってしまった時のみに初めて使える、使い時を特に厳格に選ぶ魔法でもあった。
魔人と化してサラピネスを見上げる命彦を見て、命絃とミサヤが痛みを堪えるように語る。
「私達が見た2つの記憶の断片こそ、命彦の怒りの根源。一方は、魂斬命彦という人間が生まれた時の記憶。もう一方は、魂斬命彦という人間が己の生き方を決めた時の記憶。どちらも命彦と魂斬家とを密接に結びつける記憶よ」
『この2つの記憶が根底にあるからこそ、マヒコは全身全霊でミギリ家を、家族を守ろうとする。……マイト、憶えていますか? 自分が昏睡状態から目覚めた時、寝ずに看病して
「ええ。姉さんも母さんもミサヤも、俺が死ぬまで面倒見る。俺が守る。だから、俺を一人だけ残して
命絃が当時のことを思い出し、ハッと気付いたのか、グッと歯を食いしばった。
ミサヤが小さく首を振り、諦めを目に宿して思念を飛ばす。
『そう。マヒコの怒りの原因はそれです。自分の守ると決めた者を、目の前で傷付けられた。それが怒りの根源。であれば、恐らく今のマヒコは、たとえ治癒したミツルを見ても止まりません。家族を失う危機が迫り、実際に守ると誓ったミツルが、自分の眼前で殺されかけた。今のマヒコは、これまでの人生で一番怒っています』
もはや制止の言葉も失ったのか。命絃もミサヤも、心配そうに命彦を見ているだけであった。
命絃とミサヤの諦観の念を宿す言葉を聞き、舞子は再度思い知る。
命彦の、魂斬家に対する想いの深さを、魂斬家の家族に対する愛情の深さを。
その想いの深さゆえに、自分の家族を馬鹿にする者、傷付ける者に対して、命彦は過剰苛烈に反応し、激怒する。
愛情深いがゆえに、自分の愛する者を傷付けようとする者には、一切の過程をすっ飛ばして、自分自身の全身全霊を持って、たとえ命を懸けてでも、その者を抹消する思考に行き着くのである。
その命彦の生き方を形成した根底に、期せずして舞子は触れてしまった。
舞子自身も、命絃達と同様にかける言葉を失い、ただ怒れる魔人と化した命彦を見詰め続けた。
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