6章ー27:つかの間の平和と、都市の防衛戦略
「命彦、起きて?」
「もう8時30分ですよ?」
神樹邸の客間で、ふかふかの寝台に身体を預けていた命彦は、左右に揺すられて目を覚ました。
「うぬう……ふわあああーあっ。あ、姉さん、ミサヤ、おはよう」
「はい、おはよう。うふふ、髪がピコンって跳ねてるわよ?」
「おはようございます、マヒコ。その髪梳かしましょうか?」
「んー? ああ……頼む」
眠そうに目をシパシパする命彦の、クリンと巻き上がるクセ毛を櫛で梳かすミサヤと命絃。
寝台に座ってホエーッと微睡む命彦に、客間を出ていた魅絃が戻って来て声をかけた。
「あら、やっと起きたのね、命彦?」
「うぃー、母さんもおはよう」
「はい、おはよう。うふふ、髪を梳かしたらまずは顔を洗ってらっしゃい。とりあえずさっき一度家に帰って、命絃と命彦の外出着を持って来たから、それに着替えてね? 9時には居間でご飯よ。もう皆起きてるからね?」
「りょーかい」
魅絃が自宅の魂斬邸から持ち帰った、ピシッとした男性用と女性用の
その命彦を見て、命絃が不思議そうに言う。
「……命彦、寝不足かしらね?」
「まさか。昨夜は私達と一緒に、いつもより相当早めに就寝しましたから、10時間以上は寝てる筈ですよ?」
洗面台で一瞬ギクリとした命彦であったが、魅絃の発言で命拾いした。
「じゃあ逆に、寝過ぎたせいでフラついてるんでしょ? さあ、命絃もさっさとこれに着替えてね」
「はーい」
(ふぃー……母さんのおかげで助かった。危うく舞子との深夜の会話が、姉さん達にバレるとこだったぜ)
素知らぬ風に浴室を出た命彦は、下着姿で着替える命絃を全力で脳内に焼き付けつつ、神樹邸の浴衣から、自分の体格に合うように仕立てられた特注の男性用背広へと着替えた。
今回の宴会は命彦が主役であるため、相応に見映えのする
命絃も女性用の背広に着替えてご満悦である。
命絃の場合、魔法具制作による引きこもりで、そもそも家から出る機会の方が限られているため、外出着は数着の女性用背広か着物のみであり、今回魅絃が女性用の背広を命絃に着させた理由については、単純に命彦とお揃いの方が命絃の機嫌が良いからであった。
実際、命絃は着替えた後、上質極まる灰色の生地を使った、命彦とお揃いの自分の背広姿を見て、上機嫌である。
「うふふ、見て見て。命彦とお揃いよ、良い感じね?」
「……ズルいですよマイト」
命彦を背後から抱き締め、服装を見せ合う命絃を、羨ましそうにミサヤがジト目で見ていると、魅絃が苦笑して言った。
「ミサヤちゃんも、今度命彦とお揃いの服を仕立てに行きましょうね?」
「ホントですか、ミツル? 是非お願いします!」
ミサヤがすぐに喰い付くが、命絃も慌てて言った。
「母さん! 魔獣に服を仕立ててどうするのよ!」
「あら、人化したら人間だから、服くらいいいでしょうが。ねえ?」
「はい。心の根の狭いことでは、マヒコに嫌われますよ」
「ぐっ! 痛いところをつくわ。この色惚け魔獣め……」
「色惚け姉に言われる筋合いはありませんね」
命彦を間に挟んで、対峙する人化したミサヤと命絃。
2人に挟まれた命彦は、2人の胸の間に自分の頭を移動させ、両頬に胸の感触を感じ取り、まるで天国にいるように満面の笑みを浮かべて、ぐふふっと鼻の下を伸ばしていた。
その3人を見て苦笑し、魅絃が手を叩いて言う。
「はいはいそこまでよ。命彦、さっさと居間へ行ってご飯を食べましょ?」
「はいよー母さん。ほら姉さんもミサヤも行くぞ?」
「くっ! この件はお預けね」
「ええ」
魅絃に連れられ、命彦が客間を出たことで、命絃とミサヤも客間を出た。
神樹邸の居間に命彦達が到着すると、先に食卓の席に着いていた梢達が口々に言う。
「おはよう、命彦に命絃、ミサヤ。魅絃さんもおはようございます」
「おはようございます、皆様」
「おはようさん。えらい決まっとるやんけ命彦、服だけやけど、ぷくく」
「おはよう、命彦。顔が童顔だから少しちぐはぐだけど、良家のお坊ちゃんには見えるわよ?」
勇子とメイアの言葉に苦笑して、命彦は命絃達と料理がすでに置かれている食卓の席に着き、言い返した。
「ほっとけよ。てか褒めるんだったら普通に褒めろ、普通に」
「そうですよ、勇子さん。あとメイアさんも。命彦さんに失礼です。おはようございます、命彦さん。その背広姿、よく似合ってますよ?」
命彦が言い返してすぐ、舞子が援護した。
その舞子に少し驚きつつも、命彦が自然に礼を言う。
「ありがとよ、舞子」
2人が笑い合ったその途端、命彦の左右に座っていた命絃とミサヤが、目をカッと見開いた。
「昨日と会話の空気が違う気がするわね、ミサヤ?」
「ええ。親密さが増してる気がします」
「ぎくっ!」
命彦が一瞬目を泳がせ、舞子がごく普通に応じる。
「うふふ、気のせいですよ? ね、命彦さん?」
「ああ。勘ぐり過ぎだよ、2人とも」
「「……」」
疑いの目で舞子を見る命絃とミサヤだが、舞子は笑顔を貼り付けて、その視線を上手く躱す。
昨日よりやつれた印象も少し薄れ、活力に満ちている舞子を見て、ミサヤと命絃は怪訝そうであった。
ミツバと顔を見合わせ、自分だけ事情を知ってるようにくすくす笑っていた梢が、助け船を出す。
「さあ、せっかくの料理が冷めてしまうわ。ご飯食べましょ?」
「ああ。いただきまーす」
命彦が食卓に置かれた料理に箸を付けると、ミサヤと命絃は舞子を警戒するように一瞥してから、自分達も料理を食べ始めた。
命彦達が料理に箸を付けてすぐ、居間の扉の前にいた女性家令が廊下へと姿を消し、昨夜帰った筈の空太を連れて戻って来る。
空太を見て、梢が笑って言った。
「あ、空太、いらっしゃい。話はメイアから聞いてるわ。紅葉さん、空太の分もお願いね?」
「かしこまりました、お嬢様」
梢の指示で女性家令が空太の料理を取りに行くと、空太が苦笑して言う。
「すいません、梢さん。そいで皆、おはようございます」
「おう、おはよう空太。もぐもぐ……ごくん。そいで、どうしてここにいるんだ?」
料理を口に運びつつ命彦が問うと、食卓の席に着いた空太が言う。
「8時頃にメイア達から急に連絡があってね? 空子を学校へ送った後、神樹邸へ寄らせてもらったんだ。命彦、良い感じに背広が似合ってるね? 勿論お世辞だけど」
「最後の一言が余計だバカ。それにしてもメイア、空太を急に呼び出した理由は? 別に昼頃でもいいだろうに」
命彦が不思議そうに言うと、メイアが水を飲んでから答えた。
「昨日寝る前にソル姉と命彦の快気祝いの宴会について少し話しててね。人手不足と思ったから、私達で宴会の用意を手伝おうと思って、声をかけたのよ」
「あれ、招待客の筈の僕らが手伝うのかい? あ、紅葉さん、ありがとうございます。それじゃ、いただきます」
女性家令が空太の前に置いた料理に、空太がそう言って箸を付けると、勇子が言う。
「少しくらいええやんけ。ウチも手伝うんやし。それに、どうせ空太は家におっても、空子ちゃんの写真見てニヤニヤしてるだけで暇やろ?」
「勇子、それが僕にとってどれだけ重要か分かってるのかい? そもそも僕は……」
空太が勇子に反論しようとすると、メイアがサクッと無視して命彦に語る。
「急に決まった宴会当日だから、店は普通に営業日でしょ? 宴会の開始が【精霊本舗】の閉まる終業時刻の18時だとしても、従業員は働いてるから宴会の用意ができる人員は限られてるわ。まあ、ソル姉はそれでもそこそこの規模の宴会はできるって言ってたんだけど、どうせ宴会するんだったら派手にしたいでしょう?」
「せっかく気分転換を兼ねた宴会やねんから、そこそこやのうて、ドーンとお祭り騒ぎにしたいやん? そやから、ウチらも手伝おう思てん」
酷い扱いにいじけるも、料理を食べて目を輝かせる空太の横で、メイアと勇子が魅絃に視線を送ると、魅絃が楽しそうに笑って首を縦に振った。
「ソルティアから連絡があって、勇子ちゃんとメイアちゃんからも話を聞いて、私もその方がいいと思ったのよ。亜空間の地下農場だったら、騒いでも全然平気だからね?」
「ふーん。まあ、母さんが許可出したんだったらいいや。そいじゃ俺も手伝う……」
命彦の言葉を制止するように、メイアが言う。
「あ、命彦は駄目よ、主役だからね? 私達と一緒に店へ行ったら、従業員に顔を見せるため、適当にぶらぶらしといて。それが仕事よ」
「そうよ? 店の子達1人1人に声をかけてあげてね。特に心配してる古参の店員達には、しっかりと無事を伝えて、心配してくれたことにお礼を言うのよ? 次期取締役として、しっかり従業員達の心を掴んでね?」
「う……分かったよ、母さん」
命彦が神妙に首を縦に振ると、横の席に座る命絃が気怠そうに口を開いた。
「そういうことも必要だから、経営者ってしんどいのよねえ」
「他人事のように言っていますが、マイトの代わりをマヒコが務めているのではありませんか?」
「ミサヤちゃんの言うとおりだわ。まったくこの子は……」
ミサヤと魅絃が呆れたように言うと、命絃は誇らしげに返した。
「人には得手不得手ってモノがあるのよ。人混み嫌いで社交性に欠ける私より、社交性もあって口も上手い命彦の方が、表に出るのは当然でしょ? その代わり、裏の経営実務には私も目を通すし、魔法具開発の企画案も、ソル姉さんや母さん経由で店に送ってる。利益はきっちり生んでるわ。適材適所よ」
姉達の会話を聞き、命彦が苦笑していると、ウウーッとけたたましい警報が突然数秒間、神樹邸に響いた。
一瞬慌てる命彦達だったが、落ち着いた様子の梢が言う。
「はいはい、落ち着いて。これ、注意喚起の都市警報だからね。すぐ警報も切れたでしょ? ミツバ」
「はい。皆様、この映像をご覧ください」
食卓の裏にある端末を操作し、ミツバが空間投影装置を起動して、平面映像を食卓の上に浮かべた。
平面映像には、全長数百mに及ぶ弩級建造物が三葉市の上を低空飛行する様子が映し出される。
「ああ。〈アメノミフネ〉が三葉市上空を通過するから、警報が出されたのか」
「そういうことです」
映像を見た命彦が言うと、ミツバがにこりと笑って応じた。
都市防衛用移動要塞である魔法機械〈アメノミフネ〉は、潜水艦のように流線形をした飛行戦艦であり、【逢魔が時】対策のために開発された新型魔法機械であった。
都市自衛軍管轄の高度人工知能に制御された空飛ぶ防衛兵器である〈アメノミフネ〉は、三葉市において最上位の人工知能たる都市統括人工知能のミツバさえ指揮することができず、三葉市の都市自衛軍が独立して管理・運用する点で、軍が開発してミツバに制御を任せている他の魔法機械〈ツチグモ〉や〈オニヤンマ〉等とは、明らかに別格の扱いをされている魔法機械であった。
先月完成し、実戦配備のために1カ月近く海上での演習を繰り返していた最新兵器である〈アメノミフネ〉は、飛行要塞としての性能に加え、魔竜種魔獣の固有魔法《魔竜の息吹》さえも受け止める、圧倒的魔法防御力を持ち、単発であれば神霊魔法攻撃にもどうにか耐えられるという、迷宮防衛都市の盾とも言うべき驚きの性能を持つ魔法機械である。
我が身を盾に三葉市を守護することを役割とする〈アメノミフネ〉は、人工知能の判断で自衛軍の乗員達が搭乗したままでも、魔法攻撃を受け止めることがあるため、人命尊重を組み込まれた普通の人工知能では制御を任すことが難しい。
人命尊重はあらゆる人工知能、都市統括人工能にも組み込まれているため、〈アメノミフネ〉の制御は、この魔法機械の制御を専門とする高度人工知能によって操作され、結果的にミツバの指揮からも外れていたわけである。
魔獣への攻撃手段も豊富で、電磁投射砲や荷電粒子砲といった高初速科学兵器の他、精霊付与魔法を封入された艦載機とも言うべき小型魔法機械〈アメノコブネ〉を魔獣へと体当たりさせる、魔法力場を使った魔法攻撃を行うことも可能であった。
このため〈アメノミフネ〉の戦闘力は非常に高く、特に飛行する魔獣にとっては、厄介極まる空の防衛線だったのである。
次元・時空間にある程度干渉できる、陽聖の精霊と陰闇の精霊の融合によって、空間に作用する重力を制御する融合魔法を作り出し、その精霊融合魔法を封入されて空に浮いている〈アメノミフネ〉は、移動のための推進力こそ科学技術に頼っているものの、優れた人材と多量の材料さえあれば、実は比較的量産しやすい魔法機械だった。
但し、人材はともかく材料の方は、魔獣由来の生体資源や特定の迷宮でのみ採集される異世界資源を、それこそ湯水の如く費やすため、必要資材の量が非常に揃えにくく、主に資材調達の面から〈アメノミフネ〉の開発や量産は遅れていた。
この資材調達の差から、各迷宮防衛都市においても開発速度に明確に差が生まれており、関西地方の4つの迷宮防衛都市は、必要資材が比較的調達しやすい関西迷宮と隣接しているため、最も〈アメノミフネ〉の開発が早かったのである。
8機あれば災害深度4から5の【逢魔が時】が発生しても、【神の使徒】の手を借りずに、迷宮防衛都市を数カ月は守り通せると言われており、今の迷宮防衛都市で住民が最も早く作って欲しい魔法機械が、この〈アメノミフネ〉であった。
平面映像に映る〈アメノミフネ〉を見て、勇子が首を傾げる。
「〈アメノミフネ〉が移送されるんて、昼頃とちゃうんか?」
「一番時間を食ってた整備点検作業が早く終わったんで、移送時間が早まったのよ」
梢が料理を口に運びつつ答えると、ミツバも続いて言う。
「眷霊種魔獣が潜んでいる可能性が高い以上、いつ【逢魔が時】が起こるか分かりません。勿論確定情報ではありませんから、あくまで可能性を考慮しての判断ということですが、【逢魔が時】発生の可能性が高いために、都市自衛軍も移送を急いだのですよ」
海上演習から戻り、【迷宮外壁】に最も近い地区である軍警地区の開発施設で整備点検を受けて、今この時にゆっくりと飛び立ち、三葉市の上空を横切って行く弩級建造物は、平面映像上で関西迷宮の方へと進んで行った。
平面映像を消したミツバが言う。
「第1迷宮域と第2迷宮域との境である、【迷宮外壁】から10km地点の上空に、〈アメノミフネ〉は配備され、都市の前に防空圏を築きます。これで万単位の魔獣が出現しても、相当程度防衛線を維持できるでしょう」
「……万単位だったら対処できるにしても、関東や九州みたく、十万単位の魔獣が出現したらどうするんだい?」
不安そうに問う空太に、ミツバが苦笑して答えた。
「その場合、さすがに魔獣の進攻を完全に食い止めるのは難しいですね。現状の三葉市の戦力は甘く見積もっても、平時より半減しています。〈アメノミフネ〉を始めとした多数の魔法機械に加え、都市自衛軍と都市警察の今の戦力を総動員して防衛線を築いたとしても、多少の魔獣達が防衛線を突破する可能性があります」
「十万単位の魔獣が出現した場合、つまり現時点の戦力で、災害深度4以上の【逢魔が時】が発生した場合は、都市自衛軍や都市警察がまず防衛線を維持しつつ、高位魔獣を優先的に殲滅し、弱い魔獣だけが防衛線を突破するように戦局を操作するでしょう。あとは、都市防衛に志願した義勇魔法士達が、弱い魔獣を討伐するのよ」
「それ以外に手があらへんもんね?」
「ええ。まあ、【迷宮外壁】があれば籠城戦ができるから、多少はもつでしょうけどね?」
「時間稼ぎに徹すりゃいいのさ。関東や九州の方が決着すれば、すぐに梓さんや実力派の魔法士達が帰って来る。そうすりゃあ関西地方の4つの迷宮防衛都市は、〈アメノミフネ〉がある分だけ、他の地方の迷宮防衛都市より高い防衛力を持つ状態に戻る。都市が落ちる心配もねえ」
命彦がそう言うと、その場の全員が静かに首を縦に振り、食事を再開した。
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