6章ー26:マイコの理解と、サラピネスの宴
話し疲れたのか、命彦が
「ふわわっと……さて、そろそろ俺も寝よう。舞子もいい加減に寝ろよ?」
話すことを話し、娯楽室を出て、自分の客間に戻ろうと廊下を歩き出す命彦。
その命彦へ、最後に1つだけ舞子は問うた。
「命彦さん、あの、最後に聞いていいですか? 命彦さんは自分が養子であるという事実を知って、動揺とかしました?」
自己の心を完全に律しているように見える命彦。
その命彦にとって、最も動揺した時があるとすれば、恐らくそれは養子の事実を知った時だと、舞子は見当を付けた。
命彦が動揺した時、どう対処したのか。どう思ったのか。舞子にはとても関心があった。
命彦を理解することで、自分の心との付き合い方を、舞子は知ろうと思ったのである。
「動揺? したに決まってるだろ。俺の人生で本当に心臓が止まりかけたのは、今のところあの時だけだ。忘れもしねえよ……俺が12歳の誕生日を迎えて3日後のことだった。母さんが偶然外出してて、しかも自分の工房の扉、〈選別の扉〉を締め忘れていたんだよ。好奇心に駆られた俺は、母さんの工房に当然入った」
命彦の言葉を、一言一句逃すまいと、舞子は真剣に聞く。
命彦は厳かに語った。
「……普段は固く閉じられている開かずの扉だ。姉さんやミサヤも、徹夜の魔法具開発で仮眠を取ってて、数年ぶりの単独行動。当時の俺は浮かれてた。そして、発見するわけだ」
「発見ですか?」
「ああ。【命彦の成長記録】と書かれた、工房の本棚に整然と納まる、48冊の書籍を、俺は発見したんだよ」
カクンと舞子が肩透かしを食らった。
「しょ、書籍を見付けたんですか?」
「そう、書籍だ。1冊300
「……」
どう反応するべきか困っている舞子を無視して、命彦が話を続ける。
「多分、仕事に出ていた俺の実母のために、俺の実生活を知らせようと思って、母さんがこつこつ作ってたんだろう。映像記録媒体や写真とかも貼り付けてあったし……それを、俺の実母の死後も、母さんはずっと書き続けてたのさ」
「48冊分もですか? ……魅絃さんは凄いですね、マメさ加減が」
「ああ、俺もそう思う。今から思えば、あれは多分、母さんが自分自身と対話するために書いてたものだろう。成長記録には、その当時の母さんの心理や心情まで書かれてた。俺は自分の成長記録を読んで、そこに書かれた母さんの心、想いを知り、自分が養子であった事実も知った。いや、養子だったことを思い出した。そして同時に、自分がどれほど母さんに愛されているのかも、思い知らされたんだよ」
命彦の発言を聞き、その先の展開もある程度分かったのか、舞子が言う。
「魅絃さんの想い……ああもう、言われずとも想像できます、ご馳走様でした」
「ぬふふふ、まあ聞けよ……俺の成長記録には、母さんが俺をどう育てるべきか真剣に考え、母親としてどうしてあげるのが一番いいのかを自問自答してる、偽らざる本心が赤裸々に
舞子がもういいです、と視線で告げていることに気付きつつも、命彦は自慢げに言う。
「初めの方は、養子の事実に動揺して心臓も止まりかけてた俺だったが、2冊、3冊と読み進めるうちに、心拍は速まって、悶死すると思ったくらい顔が火照った。もうはずかしいやら、嬉しいやらで……」
照れる照れると頭をかく命彦のその姿は、年相応の少年そのものであった。
「初めてママと言われて死ぬほど嬉しかったとか、娘と一緒に世話をして楽しかったとか、『ミチュル、あーん』ってご飯食べさせてもらってキュンキュンしたとか、普通に書いてあるんだぞ? 寝顔が可愛過ぎて食べたいとか、もう顔面どころか全身があっついあっつい」
命彦がむふふっと
「本当に俺がしたのかって思うほど、はずかし過ぎる言動がワラワラあるんだよ。それも母さんの愛情爆発の心理描写付きで」
「そ、そろそろ本当に結構です。ありがとうございました。ご馳走様でした」
「本当にそれだよ、ご馳走様と言いたいぜ。
ドン引きの舞子に対して、命彦が晴れやかに言う。
「15歳の誕生日には全て話そうって記録書には書いてて、実際に全部話してくれたし。実の親についても、そこそこ書かれてたから、知りたいことは全部知れたわけさ」
命彦のその言葉で、げっそりしていた舞子も理解した。
つまるところ、魂斬命彦という少年は、極めて単純だったのである。
自分を好いてくれる家族、そして家族のうちにある自分の居場所を守るために、その命を懸ける。
それが命彦の行動の全てであり、命彦を動かす唯一無二の原理だった。
命彦を理解することで、舞子は同時に、自分の心との付き合い方も分かった気がした。
自分の弱さを認め、自分が恐れているモノをひるまずに受け入れる。
結局それが一番近道であると、舞子は気付いたのである。
「血の繋がりも多少はある上に、ここまで家族に愛されてる。その上で養子だの実親だのと、いつまでもうじうじ動揺を引きずってたら、そいつの精神は腐りかけの豆腐でできてるぞ? 俺はそこまで脆い性格じゃねえから、サパッと割り切れた」
「……そこで割り切れてしまうあたり、普通じゃありませんけど、でも気持ちは分かる気がします。本当に、命彦さんは恵まれていたんですね?」
「ああ、俺は本当に幸せ者だよ」
そう言って、淡く笑った命彦は階段を上り、自分の客間に戻って行った。
舞子はその後ろ姿を見送って思う。
魂斬命彦という少年は、魂斬家への
そしてそれが、魔法士として、魔獣との戦闘で生き残り、高位魔獣にも怯まず挑める意思を生み出す原動力であると、舞子は思い至ったのである。
自分の客間に戻った舞子は、ふと自分の心が晴れ晴れとしていることに気付いた。
いつの間にか忘れていた眠気が訪れており、
命彦との会話が、思った以上に自分の心の傷を回復させていたことに、舞子はやっと気付いた。
思考が冷静さを取り戻し、現実を受け入れて、自分の悩みや苦しみを整理する心の余裕が、今はある。
「私はまだ新人で、駆け出しで、未熟者の魔法士。怖いモノは一杯あるし、実力も不足してる。だからこそ、周りの人と自分を比べて一々落ち込まず、自分の歩幅で、焦らずに一歩ずつ確実に進もう。私はまだ、魔法士としての人生を歩み始めたばかりだから……」
思ったことを言葉に出し、自分に言い聞かせる。
寝台に横たわると、舞子はすっと眠りに落ちていた。
3日3晩自分を苦しめていたミズチの幻影をまた見たが、怖さは消えていた。
舞子に迫る魔竜を横からぶん殴る、小柄だが頼もしい先輩魔法士が1人、夢に現れたからである。
翌日の明け方、舞子が久方ぶりの安眠を楽しんでいた頃。
関西迷宮【魔竜の樹海】では、黒髪の眷霊種魔獣サラピネスがやや疲れている様子だが、会心の笑みを浮かべていた。
『ようやく調整が終わったか?』
『ああ。あとは【魔晶】が次空の精霊を集め次第、異世界を結ぶ次元の裂け目が現れる』
サラピネスが振り返ると、背後にはいつの間にか灰髪の眷霊種魔獣サギリが現れていた。
煌々と輝きっ放しである【魔晶】。その【魔晶】の周囲の空間が歪んでいるのを見て、サギリが思念を飛ばす。
『恐らく日が一番上に昇った頃に、相当の規模の次元の裂け目が生じよう。貴様が時間をかけて調整しただけあって、数カ月は自然消滅せずに、こちら側へ魔獣達を召喚し続ける筈だ』
『……結構。それが狙いだ。次空の精霊に関しては貴様の方がよく知っている。その貴様が裂け目が生じると言うのであれば、我も安心できるというモノだ。できる限り多くの魔獣を地球へ引き込まねば、ここまで調整した我の時間と尽力が報われぬ、クカカカカ』
楽しそうに笑っていたサラピネスが、
『今回の宴はさぞかし盛り上がることだろう。数十万と魔獣共が現れ、人類と相争う。見物だろうて』
サギリがどうでもよさそうにサラピネスの発言を無視し、自らの疑問を問う。
『……【魔晶】がその力を解放し、宴が開かれるまでもう少し時間がある。会いに行くのか、あの小娘達に?』
『当然だ。それがこの世界での我の唯一の娯楽よ。もっとも、さすがに少し疲れたゆえ、ひと眠りしてから奴らの街に行くつもりではあるが。……今は人間どもが活動するのにも、いささか早かろう?』
『確かに』
『そう言えば、小娘達の
『ああ。別の小娘の記憶を見た時に、よくいる場所は掴んでいる』
『では、我の目覚めと共に先導を頼むとしよう。……手出し無用ぞ?』
『分かっている』
無表情でサギリが思念を返すと、サラピネスが笑みを深くした。
『それを聞いて安心した。ククク、我が目を覚ました時、小娘達の命運は尽きる。そして、宴が催された時、この迷宮と隣接する全ての人間の街が破壊の渦に呑まれる。楽しみだ』
そう思念を返してサラピネスは、【魔晶】の四方を見た。
【
サギリが魔獣達を見回し、特にファントムロードを見て思念を発した。
『ミズチを小童に討たれてどうするのかと思えば、己が手で討った魔獣の骸から生じた3体の高位魔獣の残留思念をリッチとし、混合させてファントムロードを作り出すとは、恐れ入る』
『陰闇の精霊の扱いは我が本分。そして、陰闇の精霊は生物の絶望や未練を司る。負のモノを扱う精霊と言っていい。負の想念たる残留思念を霊体種魔獣とするも、霊体種魔獣を混ぜ合わせて使役するも、我にとっては容易きこと。材料さえあれば、霊体同士を混ぜて統合することは十分可能だ。まあリッチの思考力と魔力が跳ね上がり、ファントムロードと呼べるまでに勝手に成長したことは、我にとって嬉しい誤算だったが、人類にとってはさぞかし不運であったろうよ』
サラピネスがクツクツ笑い、自らの影にずぶずぶと沈み込んで行く。
『しばし寝る。結界の維持を代わりに頼むぞ? 次元の裂け目が生じれば勝手に解けるとはいえ、今解けてもらっては人間どもに気付かれる。それは詰まらぬゆえ』
『分かった。そのくらいは手を貸そう』
下半身まで影に沈み込んだサラピネスが、今度は4体の魔獣達に思念で命じた。
『お前達、我が目覚めるまでこの領域を見回れ。人類は当然として、他の魔獣を通すことも許さん。この場に近付く者は全て狩れ』
魔獣達が四方に散らばり、その場を去って行く。
サラピネスの姿が影に完全に消え、サギリは1人【魔晶】を見上げた。
『ここで終わるか、それとも残るか……見届けよう。もし残れば、面白い』
サギリが初めて笑みを浮かべ、足元に生じた空間の裂け目に沈んで行った。
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