6章ー24:マヒコとマイコ、深夜の癒しの会話

 嬉しさで心のタガが緩んでしまったのか、舞子が必死に堪えて止まっていた筈の涙が、ポロポロとまた溢れ出した。

「あ、あれ? おかしいですね、涙が……」

「あー堪える必要はねえよ、泣けばいいさ。ただし場所は移す、そらこっち来い」

 命彦が舞子の手を取って、階段の突き当りにある一室に入った。

「騒ぐこと前提の娯楽室だ。ここだったら泣いてもって、うおっ! おい舞子?」

 背後から抱き付いて来る舞子に慌てる命彦。その命彦へ舞子は言った。

「ずびばぜん、ぼうげんがいでずぅ……うぐ、ひっぐ、ごわがっだよぉぉー、ふえぇぇーんっ!」

 子どものように泣き喚く舞子。命彦は両腕で自分の耳を塞ぎ、浴衣が次第に湿って行くのを感じて苦笑しつつも、やれやれとため息をついた。

(姉さんとミサヤに見付かったら、どう説明するかね……頼むから寝ててくれよぉ)

 命彦の願いが届いたのか。そのまま普通に十数分が経過して、舞子の泣き声も小さく、命彦の肋骨を圧搾する腕の力も緩んで行った。黙って背を貸していた命彦が口を開く。

「そろそろいいか、舞子?」

「ぐす、ぐす、ひっく……はあい」

 ぐっしょりと濡れた浴衣に不快感を憶えつつも、命彦は舞子の顔を見た。

 窓から娯楽室に差し込む月明かりが、泣き疲れて酷い顔を照らすが、その舞子の顔は、どこか晴れ晴れとした雰囲気があった。

「落ち着いたか? よっぽど溜め込んでたみたいだが……ふむ、表情から少しだけ硬さがとれてる。俺と話して、思いっ切り泣いて、多少は心の整理がついたか?」

「あ、えと……多分。……いえ、わかりません」

 その問いかけを肯定すると、命彦が立ち去るという気配を感じ、思わず曖昧に返す舞子。

 まだ命彦と話していたいという、舞子の心情も知らず、命彦は舞子の横で、やれやれと肩を竦め、娯楽室の椅子に座った。

「分かりません、か……仕方ねえ、もうしばらく話し相手として付き合ってやるよ? 聞きたいことがあったら言ってみろ」

「は、はい! それじゃあ……私みたいに心に傷を負った時、命彦さんはどうするんですか?」

「心の傷ねえ? まあ俺の場合、ミサヤをモフモフしたり、母さんや姉さんに抱き付いたりしてたら、鬱陶しいことやしんどいことはほとんど記憶から消えるぞ? 時折気が緩み過ぎて、消したいこと以外も消えるから少々厄介だが、まあそれは俺の家族が魅力的だから仕方ねえ」

 言っていることは女子が引く内容だったが、月明かりに照らされ、にかっと陽気に笑う命彦の笑顔は、舞子の胸にスッと浸みた。

 舞子が苦笑して言う。

「いやあの、ご家族の自慢より、私が参考にできる意見が欲しいのですが?」

「おお、すまんすまん……」

 命彦の優しい表情を見て、舞子も楽しそうに笑い、深夜の会話が始まった。


 ほわほわした温かい想いが、少しずつ舞子の心に染みる。

 2人だけの深夜の談笑は、傷付いた舞子の心を癒す特効薬であった。

 舞子はこれ幸いと命彦にあれこれ質問し、不眠症だったことも忘れて会話を楽しむ。

「それじゃあ命彦さんって、昔は本当に精霊魔法が苦手だったんですか?」

「ああ。意志魔法と比べると今でも多少苦手だぞ? 伊達に精霊魔法を仕込んでくれた師匠の祖母ちゃんに、『ボンクラ学科魔法士』だの『平々凡太郎』だのと、ボロカスに言われてねえよ。精霊付与魔法《水流の纏い》を修得すんのに、10日間もかかってたくらいだ。精霊魔法に関しては本当に凡人だったよ、俺は……」

 どこかはずかしそうに目を反らして言う命彦を見て、舞子は目を丸くした。

 魔法の才能を比較する際、よく指標に用いられるのが、魔法の修得日数である。

 魔法の本質をいかに早く理解できるかが魔法の才能であり、その魔法に対する理解が早ければ早いほど、当然魔法の修得も早い。つまり、修得日数が短いわけである。

 精霊魔法系統は、今世において主流を形成する魔法系統であるため、過去の魔法士達の魔法修得期間について、情報が一通り揃っており、自己の精霊魔法に対する才覚を計りやすかった。

 要は、各精霊魔法ごとに設定されている平均修得日数未満で、その精霊魔法を修得すれば才能がある、優秀だと、判定できるのである。

 精霊付与魔法《水流の纏い》の平均修得日数は10日間。

 修得日数がきっちり10日間である命彦は、まさに平均的であり、凡人の才であった。

「ええ! 《水流の纏い》って付与魔法の基礎ですよね? 私でも6日間で修得したのに」

 遠い目をする命彦に、驚く舞子が言葉を返す。

 自分よりも遥かに上手く精霊魔法を扱う命彦の口から出た言葉が、あまりに意外過ぎて、舞子は困惑していた。

 その舞子を見て、今度は命彦ががっくりと肩を落とす。

「む、6日だと? 自分で言っててあれだが、舞子にも負けてるのか俺は? 探求してた魔法系統が違うとはいえ、一応由緒ある魔法使いの一族の血を引いてるのに……それでも負けるか。いかん、地味にヘコむ」

 命彦がガックリと娯楽室の机に突っ伏した。舞子がオロオロとそれを見守る。

「あ、あの……そ、そこまでヘコまれる必要はありませんよ? 精霊魔法に関する才能が、ごくというだけですし、元気を……」

 舞子の言葉が想像以上に刺さったのか、命彦が悲しそうに笑う。

「ありがとよ、凡人と再認識させてくれて。励ましの言葉が、ここまで胸にグサッと突き刺さったのは初めてだ。意志魔法系統の修得は早えのに、どうして精霊魔法はド凡人程度の才覚しかねえんだろう? 俺の血筋の問題かねえ? 凡人以下じゃねえだけマシと思っとけって、神様に言われてんのか?」

 血筋という命彦の言葉に、思わず舞子がビクリと反応する。

 その舞子の反応に気付いているのか、それともどうでも良いから無視しているのか、命彦は言葉を続けた。

「……まあいいさ。かつては俺にも精霊魔法を苦手としている時期があった。しかしだ、祖母ちゃんに幼少期からしこたま修練させられてたから、今では魔竜と戦えるくらいにまで、精霊魔法に習熟した。その事実があればいい。それでまた、俺は立ち上がれる」

 命彦が自分の拳を見て、誇らしげに言う。

「あの祖母ちゃんとの地獄の修練を思えば、この程度の心の傷、屁でもねえや」

「じ、地獄の修練ですか? 魔法の修練で地獄って……いえ、確かに怪我をする可能性が高いものですけど、地獄と言うほどでは……」

「ふっふっふ、そういう段階を超えてるから地獄と言うのだよ、舞子。祖母ちゃんとの修練は、ごく普通に血を見るし、数えるのを諦めるくらいに泣かされて、挫折する。両手で足りねえくらい酷い怪我もするし、失血や打撲、骨折で、魔法病院に担ぎ込まれたことも1度や2度じゃねえ。そういう修練のことを、人は地獄と言うんだ」

「あの、それ本当に魔法の修練ですか? 初めて聞くんですけど、そういう魔法の修練。どちらかというと拷問じゃありません?」

「まあ、一時期は俺もそう思ってた。これ拷問じゃね?って。でもまあ、才能のねえ奴が是が非でも魔法を修得したかったら、世に言う天才達に比肩ひけんしたかったら、頭も体も心も、使えるもんは全部使って修練に打ち込む必要があるんだよ」

 清々しい笑みを浮かべ、命彦は言う。

「そして、訓練で魔法を憶えたらすぐに実戦で試すわけだ。迷宮へ放り込まれ、魔獣達と腐るほど戦わされるんだよ。あははは……」

「あの、それって笑いごとじゃありませんよね? というか、幼少期からの修練と言ってましたけど、学科魔法士資格も未取得で、どうやって迷宮に入るんです? 普通は関所で止められるでしょう?」

「学科位階が8か9の高位魔法士達にのみ利用できる、徒弟修練制度って制限緩和規定があるんだよ。これを申請すると、高位の学科魔法士が随行する場合に限り、無資格者が迷宮に出入りできるんだ。弟子の修練場所として、迷宮を利用したい時、師匠が凄い学科魔法士であれば、それが認められるわけ。迷惑極まる制度だぜ」

「……それでもし、弟子が迷宮で死んだらどうするんです?」

「当然師匠の責任だ。この制度を利用して迷宮に出入りする場合、弟子に起こったことや、弟子が迷宮内でしでかしたことは、全て師匠の責任と扱われる。まあだから、この制度を利用する魔法士自体がそもそも稀だった。が、ウチの祖母ちゃんは喜々としてこの制度を利用した。俺の修練のために……」

 舞子がごくりと息を呑む。

「いやあ、祖母ちゃんとの修練は本当に酷かったね? 精霊付与魔法だけを使って魔獣と格闘戦して来いとか、精霊攻撃魔法だけ使って魔獣と砲撃戦して来いとか。実際よくやったもんだよ俺も。9歳の頃が一番酷かった。全長4mの妖魔種魔獣を素手で殴り倒して来いとか、当然のように無茶を要求すんだぜ、ウチの祖母ちゃんは」

「あの、普通は死にますよね、その修練。よく生きてましたね?」

「そこはほら、祖父ちゃんが心配して常に隠れて見ててくれてたから、最低限の命の保障はあったんだよ。祖母ちゃんも、本当に危ねえ時は助けてくれたし。とはいえ、不得意の精霊魔法で、魔獣と戦うのは死ぬほど怖かった。祖父ちゃんや母さんに泣きついたことも多々ある。祖母ちゃんとの修練が怖くて逃げ出したこともあるぞ?」

「それはそうでしょう。というかよく続けましたね、その修練……」

 舞子が引き気味で言うと、子どものように膨れっ面で命彦が応じる。

「仕方ねえだろ。祖母ちゃんが言葉巧みに誘導すんだよ。母さんを守りたい、姉さんを守りたいって、そう言ったのは嘘か?ってさ。弱い奴に家族は守れんぞって、そう言うわけよ? 子供心に漠然とした死への怖さはあったけど、それ以上に魔獣に母さん達が傷付けられるっていうことの方が……母さん達が失われることの方が、俺には怖かったんだ」

 命彦の言葉に、舞子が目を見開いた。

「9歳の子どもが、そう思ったんですか?」

「年齢一桁の子どもでも怖さの比較はできる。日常的に、どこそこの誰が魔獣に食われたとか聞こえる環境だぞ? 魔獣も怖いが、自分の家族が消えることの方がよっぽど怖い。母さんや姉さんが数分家を空けただけで、寂しがってた当時の俺が、その2人が消えてもいいのかって言われて、退くと思うか? 自慢じゃねえが、俺の家族愛は病気の域だぞ?」

 不敵に笑う命彦の言葉に、舞子は絶句した。命彦は窓から月を見上げて言う。

「母さんは、祖母ちゃんの酷い修練内容を知ってたから、いつでも辞めていいって言ってくれたんだけど、それで闘志に火が付いたって言うか……母さんや姉さんは俺が守るって気持ちが湧いて、気付いたら祖母ちゃんとまた修練してたんだよ」

「命彦さん……幼い頃から根性があったんですね?」

「根性、とは少し違う気もするがねぇ? 本当に根性ある奴だったら、逃げたり、泣きついたりしねえだろうからさ。敢えて言えば、愛情かねえ?」

 命彦の照れたように言う表情を見て、舞子は親近感を憶え、淡く笑った。

「……まあとにかく、祖母ちゃんとの修練は厳しかったよ。俺も必死だった。訓練で魔法を修得し、使い方を叩き込まれて、魔獣との実戦でそれを試す。その繰り返しだった。実は魔獣に負けたことも多々あったんだが、その場合はすぐに祖父ちゃんや祖母ちゃんが俺を助けて、回復させた。そして、また再戦させるわけだ」

「さ、再戦ですか?」

「ああ。自分が負けた相手のことを分析し、勝つための訓練をして、また戦わされたんだよ。基本的に勝つまでやらされたから……あ、思い出したら震えが」

「そ、壮絶ですね。あ、あの……すみませんでした、思い出させてしまって」

 過去を思い出し、プルプルと震え始めた命彦を見て、慌てる舞子。

 その舞子を見て、命彦は震えを止め、楽し気に笑っていた。

「いいさ別に。それもまた思い出の1つだし……それがあるから今の俺がある。今の力があるんだよ」

 そう言った後、命彦は黙って机に肘をついた姿で、またのんびりと月を見上げた。

 命彦と黙って月を見ていた舞子は、心地良い静寂の雰囲気に、身を任せていた。

 自分を苦しめていた魔竜の幻影はすでに消えている。

 頭にこびりついていた苦い思いも、一緒に消えていた。

 自分より、遥かに実力のある学科魔法士の命彦が、今の自分と同じようにかつては不安と戦い、厳しい修練を積んで今の力を獲得したという事実が、自分も努力すれば夢に届くかも、という淡い希望を、微かに湧き上がらせたのである。


 自然と視線が命彦の方に吸い寄せられ、その横顔を見るうちに、さっき聞いた血筋という言葉と、夕食時の梢との会話を、舞子は思い出した。気付けば、舞子の口は勝手に言葉を紡ぐ。

「……命彦さんはどうしてその、魂斬家に引き取られたんですか?」

 夕食時の婚姻届の会話が、思っていた以上に尾を引いていたのか。

 それとも、命彦のことをもっと知りたいという好奇心が、勝手に口を動かしたのか。

 どちらにせよ、会話が途絶え、心地良い雰囲気に身を置いていた舞子は、自分の口から滑り出た言葉に激しく後悔して、慌てて命彦に頭を下げた。

「す、すいません! 夕食の婚姻届と聞いた時に梢さんが、命彦さんが養子だと教えてくださって。あの……話しにくいことでしょうから、無理には……」

「いや、別に話してもいいぞ?」

「はい? ……うええぇぇーっ! い、いいんですか?」

「ああ。本当に知りたいって言うんだったら話してやるよ? 隠すほどのことでもねえし、調べりゃすぐに分かることだ。メイア達も知ってるし、舞子とは今後とも付き合いがあるだろう。知っといてもらった方が色々と話は早い。但し、言いふらされるのはかんに障るから、ここで話すことはそのデカい胸に全部仕舞っておいてくれ。俺と舞子の秘密だ、約束だぞ?」

「は、はい!」

 舞子が顔を紅くして自分の胸を押さえ、コクリと首を振った。

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