6章ー22:やかましい夕食と、マイコの治療
神樹邸の居間にある16人は優に座れるだろう食卓の椅子に着席し、神樹家専属の料理人が作った魔獣料理を食べる命彦達。
勇子が感動の声を上げた。
「うんまーいっ!」
「もう勇子ったら、行儀良くしてよ」
「せやかてメイア、このオークの角煮、最高やで!」
「それよりコカトリスの卵を使った茶碗蒸しでしょ? 絶品だよ。空子に食べさせたいくらいだ」
美味し過ぎる魔獣を食材にした料理を楽しむメイア達を見て、梢は嬉しそうに笑っていた。
その梢の横に座っていた舞子も、あまりの美味しさに震えていたが、ふと自分の席から最も遠い対角の席へと座る命彦の方に視線が引かれる。
「命彦、これ美味しいわよ? あーん」
「はむ、もぐもぐ」
「こちらも美味ですよ、マヒコ」
「あむ、むしゃむしゃ」
左右の席に人化したミサヤと姉の命絃が座り、両方から箸で差し出される料理へかぶりついて、ひたすら食べる命彦。
昼にも魅絃の手料理を相当量食べていたが、3日分の栄養補給にはまだ足りず、貪欲に身体が食べ物を欲している様子だった。
命彦達の周りだけ桃色空間と化し、命絃の横に座っていた母の魅絃が苦言を呈する。
「もう3人とも、よそ様の家だからもう少しイチャイチャは控えて? 母さん、はずかしいわ」
「むぐむぐ、ごくん。……ごめん、母さん。つい家でのクセが出ちまった」
「ふむ。私もマヒコの目覚めで少々浮かれていたようです。申し訳ありません、ミツル」
「あら、神樹邸では別にいいでしょ? 梢も昔一緒にあーんてしてたし、ねえ?」
「まあ、私は別にいいけど、お年頃の少女達からすると、少し鬱陶しいかもね?」
そう言って梢が、舞子の横に座るを勇子やその横に座るメイアを見ると、2人は能面のように無表情だった。
「確かに、めっちゃ鬱陶しいわ」
「ええ。同じ食卓を囲む相手が目の前でイチャついてたら、物凄く目障りです。普通の人は他所でやれと思いますが?」
「あら、ごめんね。今度から気を付けるわ」
命絃が勝ち誇るように命彦にくっ付いて言うと、メイアと勇子が額に青筋を浮かべた。
「少しは場所柄を弁えて欲しいですね? 私達より3年も多く生きてるんですから、そろそろ年齢相応の落ち着きと分別を持たれるべきですよ?」
「さすがは15歳の弟の誕生日に、予行演習とか言うてドヤ顔で記入済みの
「こ、婚姻届? お姉さんの命絃さんが、弟の命彦さんへですか?」
混乱する舞子をサックリ無視して、命絃とメイア、勇子が冷めた視線を突き刺し合う。
一触即発の空気を察して、慌てた命彦が口を開いた。
「お、おい、3人とも、ここは穏便に……」
ギロリと3人の視線が命彦を貫通し、命彦は遠い目をして頭を下げた。
「失礼しました。どうぞご自由に」
怖気づいた命彦が、そそくさと料理をつついていると、命絃達3人が言う。
「随分と絡んで来るわね? もしかして羨ましいの?」
「アホ言え。オツムのイカれた姉に付き合わされとる命彦を見て、憐れに思っとるだけや」
「あと、そのイチャつきっぷりを普通と思うくらいにまで、よくもまあ命彦を洗脳したものだと、命絃さん個人の所業に呆れてるだけですよ」
「言ってくれるわね、小娘どもが」
舌戦によって、その場の空気がギシリと軋む。
舞子が慌てて周囲を見るが、梢はいつものことだとばかりに、ニヤニヤしてのんびり様子を見ており、空太はその場のやり取りを一切無視して、女性家令に料理の作り方を聞き、ポマコンに記録していた。
命彦はチラチラ3人を見ているものの、口出しを控え、ミサヤは我関せずと料理を楽しんでいる。
梢の後ろに控えているミツバはただ苦笑しており、最後の希望を込めて舞子が見た魅絃は、深いため息をついていた。
そして、舞子の視線を感じた魅絃が苦笑を返し、絶妙の間で3人に割って入る。
「はいはい。そこまでよ3人とも? メイアちゃん達の言うことはもっともだわ。今回は命絃達に非がある。慎みを持つのも女性にとっては重要よ、命絃? 勇子ちゃん、メイアちゃん、バカ娘に代わって私が謝るわ。不快にさせてしまってごめんね?」
「い、いやあの、ウチらは別に」
「ええ。魅絃さんのせいでは……」
魅絃に対しては尊敬の念があるのか、毒気を抜かれた勇子とメイアは、すぐに
勇子やメイアの感情は、そのほとんどが、命絃のようにイチャつける相手を持たぬことへの
それ故に、普通に対応されると途端に我に返り、イライラもすぐに収まった。
一方の命絃も、魅絃の言うことには一理あると思ったのか、まだ文句はありそうだったが無言で料理をつつく。
軋んでいた空気が一気に緩み、梢が総括するように舞子へ小声で語った。
「魅絃叔母様の
「は、はあ? ……しかし、さっきの婚姻届ってホントの話ですか?」
まだ気にしているのか、舞子が小声でこぼすと、梢がニンマリしてヒソヒソと返す。
「ええ、ホントよ。舞子も乙女だから、そういう話は気にしちゃうのかしら?」
「いえ、乙女とかそういう前に、血の繋がった実の姉弟で結婚は無理でしょ?」
梢がまた笑い、ごく微量の魔力を発して《旋風の声》による思念で言った。
(ええ、無理ね。でもあの2人は結婚できるわよ? 血の繋がりがあると言っても、それは実の家族というより、一族の者という意味だしね。そもそも命彦は実質命絃の婚約者として、魂斬家に養子に出された分家の子だもの)
「え?」
梢の思念による話を聞き、舞子の顔から血の気が引いた。
聞いてはマズい話を聞いてしまったという表情の舞子へ、面白がって梢が
(命彦にとって命絃は義理の姉、養親の娘ってわけよ。だから結婚もできる。血の繋がりがあるのも魂斬家の血族として見たらという話であって、
「……あ、あの、それって私が聞いても良い話だったんですか?」
舞子の小声の問いかけに梢は笑い、ようやく声に出して小さく答えた。
「いいでしょ。この場にいる皆は知ってるし、多分聞けば命彦も普通に答えてくれるわよ? 命彦が1人の時にでも聞いてみたらどう?」
唖然とした様子で命彦達を見詰め、沈黙のままに料理を食べる舞子。
その舞子を見ていた梢は、女性家令に言って、自分の料理を下げさせた。
「梢さん、もう依頼所へ戻るんか?」
勇子が、席を立ってミツバを引き連れる梢へ声をかける。
「ええ。一応休憩時間扱いで抜けて来てるからね? 業務時間一杯までは、依頼所に残る必要があるのよ。まあ、あんた達はゆっくりしてて? 泊まって行くのも別にいいわよ。客間は他にもあるしね」
「いや、僕は帰らせてもらうよ。教えてもらった料理を早速家で試したいからね? 梢さん、紅葉さんも、今夜はごちそうさまでした」
「そう。気を付けて帰ってね、空太」
「うん、ありがとう。それじゃあ命彦、また明日。あ、紅葉さん、見送りはいいですよ。空間転移で帰るんで」
空太がそう言って先に席を立ち、1人で居間を出て行く。
それを見送り、梢とミツバも居間を出た。
「それでは皆さん、
「じゃあね」
居間を抜けて廊下を歩き、玄関から神樹邸本館を出ると、ミツバが口を開く。
「姉さん、舞子さんに命彦さんの家庭事情を話していましたね?」
「あら、魔法を使ってたのに気付いたの?」
「ええ。舞子さんの表情や態度、話された言葉で、すぐ分かりました」
「そう。舞子の心的外傷の早期治療のためにも、早めにあの2人に対話する機会を与えたくてね? 話題をあげたのよ」
「話をするきっかけに、という意図があると言いたいのでしょうが、私は誤魔化されませんよ、姉さん? 半分以上自分の楽しみのために教えてたでしょう?」
ミツバの発言を聞き、梢が無邪気に笑う。
「あ、バレた? 2人の間でどういう反応が見られるのか、楽しみでねぇ? 館の監視網、しっかり見といてよ」
「はいはい。ホント困った姉ですね」
ミツバと梢はくすくす笑いつつ、自宅を後にした。
「ふぃー食った食った」
梢達が席を立った後、命彦は夕食の魔獣料理をたらふく食べ終えて、ご満悦の様子だった。
その命彦の両腕が、突然左右から掴まれる。ミサヤと命絃であった。
「はい、それじゃあ客間に戻りましょうか?」
「そうですね。病み上がりですし、念を入れて明日までは魔力回復をした方が良いでしょう」
「え、いやもう元気だけど……ってあの、2人ともぉーっ!」
「「さあ行きましょう」」
命彦が2人に抱え上げられ、サッと居間から連れ出されて行く。
勇子とメイアも呆気にとられ、魅絃と女性家令もやれやれといった様子で苦笑していた。
「あれ、さっさと客間に戻って、人目を気にせずイチャコラしたいってことやろか?」
「そうでしょうね。ホントもうベタベタして、ドン引きだわ」
呆れるように命彦達を見送って、勇子とメイアが言う。
命彦が連れ去られたことで、メイアと勇子も食卓の席を立ち、思い思いの食後行動に移った。
メイアは自分の〈余次元の鞄〉から〈出納の親子結晶〉を取り出し、居間の床に修理しかけの〈シロン〉達と工具箱、部品箱を出現させて、修理作業を始める。
一方の勇子は、そのメイアの横で魔法士育成学校の一般教養課程の授業で出された宿題を取り出し、嫌そうに問題を解き始めた。問題につまづくとメイアに教えてもらうつもりであろう。
魅絃も席を立ち、女性家令が用意していた食後の紅茶一式を載せた台車を押して、命彦達のいる客間に戻って行く。
舞子も女性家令が自分を見ていることに気付き、コクリと首を振って席を立った。
「紅葉さん、今夜も心理療法、よろしくお願いします」
「
「お気遣いありがとうございます、紅葉さん。……舞子、焦らずに治療してね?」
「ウチらもチコっとくらいは手を貸したるから、急がんとじっくり治療して
「……? えーと、分かりました!」
舞子は、勇子の発言を聞いて意味深にくすくす笑う神樹家の女性家令に先導され、神樹邸本館を後にした。
本館の廊下を通り、隣接する医療館へと入った舞子は、女性家令の指示で、以前診察を受けた部屋で水着に着替え、部屋にあった浴槽へと寝転んで、額やこめかみ、腕や足に機器を付けた。
浮き輪にも似た機器を首に付けると、女性家令が言う。
「今回は、これまでの心理療法と少し違います。これから舞子さんには、ミズチ戦の場面を客観的に見ていただきます」
ミズチという単語に一瞬ビクつく舞子だが、治療の一環だろうか、舞子の反応を知りつつも、あえて女性家令はその言葉を使っている様子だった。
舞子が深く呼吸して、女性家令に問う。
「ふぅうー……あの、戦闘の様子を客観的に見るとは、どういうことでしょうか?」
「自分の記憶、体験した出来事を、仮想電脳空間上で再現し、映画のように見てもらうということですよ。再現映像は脳内に送られますので、目を瞑っててくださいね」
「あ、そういうことですか。分かりました」
舞子が目を閉じると、女性家令が優しく語る。
「昨夜までの問診と心理療法によって、舞子さんがどういう場面で心的外傷を負ったのか、粗方把握しました。また舞子さん自身の夢での追体験は、実際の体験とは違うことも分かりました。夢でミズチに襲われている時、舞子さんは基本的に1人ですね?」
「……あ、はい。そう言えば、いつも1人で逃げてますね?」
「しかし、実際の体験では命彦さん達が傍にいた。頼もしい先輩魔法士達が近くにいた筈です。今回、仮想電脳空間で、当時の舞子さんの実体験を再現しますが、見て欲しいのは、そこで自分の傍には誰がいたか。どうして自分は生き残れたのか。という、2点のみです」
「はい」
「これまでも言いましたが、ミズチはもういません。死にました。命彦さんがきっちり消し飛ばしました。すでに終わったことです。心を落ち着けて、私が見て欲しいと言った2点だけを注視してくださいね? あ、最後に、この再現映像の作成には勇子さんとメイアさんの助言をいただきました」
「え、あ! それで勇子さんは手を貸したるって言ってたんですね?」
「そうです。ご自分が1人だと思うのは誤りだと、しっかり認識してください。それが心的外傷を克服する早道でしょうから」
女性家令がそう言って笑い、医療機器を操作した。
浴槽にお湯が満たされ、機器を付けた舞子の身体がスッと浮き上がる。
心身がほぐれた状態で、舞子の脳裏にミズチ戦の映像が想起された。
作り出された映像とはいえ、本物そっくりミズチの姿を見て、舞子の心拍が加速するが、映像には舞子自身の姿も映っており、その舞子の前には頼もしい命彦達の背があった。
自分で自分の姿を見るという、不思議体験をしつつも、舞子は脳裏で展開される映像をジッと見ていた。
全員で逃げて、全員で隠れて、最後には戦って、そして勝つ。
そういう場面を見て、舞子は自分がよくよく守られていたことを思い出した。
そして同時に、あの時弱かった自分をはずかしく思った。
今だったらもう少し役に立てるのではと、悔しさが込み上げる。
そして映像が終了し、女性家令の声が耳に入った。
「終了です、目を開けて機器を外してください」
「あ、はい。ありがとうございます」
機器を外し、お湯を拭って水着から着替える舞子へ、女性家令が問う。
「再現映像を見て、どうでしたか?」
「ずっと皆さんが傍にいてくれてたことを、思い知りました。どうして私の夢では、1人で逃げているのか、自分でも不思議に思います。あれだけ近くに皆さんがいたのに……」
「舞子さんの無意識の思い込みが、夢に投影されているのではありませんか? 私の推測ですが、恐らく心的外傷を負った時、偶然にも舞子さんの視界には小隊の誰も映っておらず、ミズチのみが映っていたのでしょう。刻み付けられた心的外傷は、自分とミズチだけがそこにいたと、無意識に思い込ませ、固着させたのです。それゆえに夢にもその思い込みが反映され、舞子さんだけが逃げ惑っているのでしょう」
舞子が女性家令の推測を聞き、考え込んで問う。
「……私はどうすればいいのでしょうか?」
「きっかけ次第ではすぐに回復することも考えられますが、どういうきっかけが舞子さんに力を与えるかが分かりませんから、今は地道に治療を続けるしかありませんね? もし夢に、舞子さん以外の人物が出てくれば、恐らく心的外傷は回復すると思います。しばらくこの治療を続けて、心的外傷を負った当時、命彦さん達が常に近くにいたということを、無意識にまで浸透させ、記憶させましょう。そうすれば、夢にも命彦さん達が現れる筈です」
「分かりました。治療、ありがとうございます」
「はい。あと、本日はこのまま本館に戻り、客間でお休みください。再現映像を見られている間、勝手とは思いましたが健康診断をさせていただきました。睡眠不足で疲労が随分蓄積しておられるご様子。睡眠導入剤を服用するのは抵抗があると、以前問診でうかがいましたので、医療用エマボットに指圧按摩させ、心地良く寝入っていただきます」
女性家令の気遣いに、舞子が深々と頭を下げて礼を言う。
「本当にもう至れり尽くせりで……色々とありがとうございます、紅葉さん」
「いえいえ、お嬢様からはできる限りのことをするよう、仰せつかっておりますので。さあ、客間に参りましょう」
舞子は女性家令と医療用エマボットの先導で、医療館から本館に戻った。
旅館のように広い3階建ての本館には、幾つもの客間があり、命彦達が使っている3階の客間の、真下の客間へと舞子は通される。
「客間にも浴室はありますが、当家は1階に源泉を引いた露天の温泉風呂があります。よろしければお入りください。御着替えも用意がございますので、この子に命じて出させてくださいね? この子はここに置いて行きます。舞子さんが寝入ったら、客間を出るように指示しておりますので、ごゆるりとお休みください」
「ありがとうございます、紅葉さん。ただ温泉はまたの機会にさせていただきますね? せっかくぐっすり寝られる機会があるので、実は早く寝たいんです」
舞子がそう言うと、女性家令は苦笑した。
「分かりました。では、失礼させていただきます」
女性家令が部屋を出ると、舞子はサッと浴室で身体を洗って、エマボットが出してくれていた浴衣に着替え、広い寝台に寝転んだ。
そのまま医療用エマボットが伸縮式の多目的腕部を展開し、舞子の身体を揉みほぐして行く。
絶妙の力加減に、舞子はすぐ寝入ってしまった。
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