5章ー12:動き始めた世界と、特訓するマイコ

 舞子の初依頼達成日の翌日。命彦は寝苦しさで浅い眠りから目を覚ました。

「うぬぅ、ねみぃぃ……」

 寝台ベッドからゆっくり身を起こし、随分と眠たそうにしている命彦。

 睡眠不足がありありとその表情から分かった。

 寝苦しさの原因は、命彦の両腰にピッタリと密着する浴衣姿の命絃と、同じく浴衣姿で人化したミサヤである。

 いつもであれば命彦を起こすため、先に目を覚ましている筈のミサヤがまだ寝ており、また、隣室の自分の部屋で寝てる筈の命絃も、どういうわけかこの時は命彦の部屋の寝台で寝ていた。

 実はこの2人、昨夜は深夜3時過ぎまで命彦と一緒に寝ることについて激しく言い争っており、結果として命彦も寝るのが遅れたのだが、それ自体はよくある日常の延長であった。

 幼少期から2人に挟まれて一緒に寝ることが多かった命彦は、一度寝入ってしまえば、2人に密着されていて少々寝苦しくても、深い眠りにつける順応性を身に付けている。

 いつも通りに深い眠りについていれば、無視できる筈の寝苦しさが、この日に限っては浅い眠りだったために無視することができず、命彦の目を覚まさせた。

 本当の意味で命彦を睡眠不足にした原因は、この2人による寝苦しさとは別にあるわけである。

 命彦には、昨夜から快眠を妨げる心配事があった。

「……」

 平時の命彦であれば、命絃とミサヤの豊かに実った胸やお尻を、これ幸いと視覚や触覚で存分に堪能し、そのまま両手に花状態で二度寝に突入するところだが、今回ばかりは少し違う。

 姉達の色っぽい寝姿を一瞥した命彦は、すぐに視線を寝台傍の机へ移し、机の上に置いていたポマコンを手に取った。

 無言のままポマコンを操作し、端末画面上で依頼所【魔法喫茶ミスミ】の電脳掲示板ウェブサイトを開いた命彦は、電脳掲示板に羅列された情報に目を通して、不安そうに思考した。

(戦力派遣規模決定、関西地方と四国地方の【神の使徒】動く、か……昨夜の報道は夢じゃねえわけだ。個人的には是非とも夢であってほしかったが)

 ポマコンの映像にある電脳掲示板の見出しと情報を読んでから、命彦は呆けたかのように天井を見上げた。


 【神の使徒】の派遣、これこそ命彦の快眠を邪魔した心配事であった。

 昨夜、命彦は子犬姿のミサヤと日頃のように就寝前の風呂へ入り、湯船にのんびり浸かって歯を磨いていたのだが、その時に慌てて浴室へと突入した姉によって、この一報を知らされた。

 夕食時に【逢魔が時】の報道について、家族で話していたからであろうか。

 居間で母の魅絃と新しい魔法具の試作品について話し合っていた命絃は、親友の梢から先んじてこの一報を知らされたらしく、暢気に風呂へ浸かっていた命彦へすぐに知らせようと思い、行動したのである。

 梢から連絡があった命絃は、自分のポマコンを握り締め、浴衣が濡れるのも気にせずに、慌てて浴室へ入って来て、風呂場の空間投影装置を起動させた。

 浴室の空間に浮き上がった平面映像は、即座に始まった国家魔法士委員会からの緊急報道を映し出し、姉の行動に少し驚いていた命彦は、その時に初めて、自分達が最も心配していた事態が起こったと知ったのである。

 関東迷宮と九州迷宮における【逢魔が時】は、その地方の守護者たる【神の使徒】を投入しても早期終結の見込みが立たず、国家魔法士委員会は止むを得ず、関西地方と四国地方の【神の使徒】達を、それぞれ関東と九州へ援軍に出す決定を下した。

 浴室に投影された平面映像上で、国家魔法士委員会の女性報道官が説明したこの決定を聞いた命彦は、続いて発表された戦力派遣規模に関する声明で、関東迷宮へ派遣される学科魔法士に、関西地方の守護者たる【神の使徒】、神樹梓が入っていたことを知ったのである。

 天井を見上げつつ命彦は思考した。

(恐らく、昨夜の報道があった時点で梓さんは三葉市をすでに出立してて、関東地方へ移動してた筈だ。梢さん達は梓さんの見送りに行ってたから、依頼の達成報告に行った時、依頼所を留守にしてた。そう考えれば辻褄が合う。現状、関西地方は迷宮に対する抑止力、最後の砦を失ってるわけか……不安だ)

 昨夜の報道を思い出し、渋い表情を浮かべた命彦が、ふと視線を感じて寝台を見ると、命絃とミサヤの2人と目が合った。

「怖いの、命彦?」

「魔獣の私でも、今回のことは少々不安を感じていますが、心配は要りませんよ。マヒコは私が守りますから」

「姉さん、ミサヤ、2人とも起きてたのか」

 身を起こした2人に対し、笑顔を見せる命彦。その命彦の前でうーんと伸びをして、2人が言った。

「ええ、ついさっき目が覚めたのよ。まだ眠いけどね?」

「私も目を覚ましたのは今し方です。ポマコンで昨夜の報道の情報収集を行っていたのですか?」

「ああ。昨夜の報道は深夜近い時間帯にあった。報道後に即行動する都市自衛軍や都市警察の魔法士部隊はともかく、一般の魔法士は寝てた人も多い筈だ。この三葉市自体に目に見えて動きがあるとすれば、今ぐらいからだろうと思って、さっきまで色々見てたんだよ。案の定、明け方から情報の更新が異様に増えてる。三葉市もそうだけど、四葉市や二葉市、一葉市でも、相当の混乱があるみたいだ」

 ポマコンを見つつ命彦が話を続ける。

「都市自衛軍や都市警察の魔法士戦力は、どこの迷宮防衛都市でも結構ごっそり移動させられるみたいだから、どの都市もてんてこ舞いの様相だぞ? 関西と四国の迷宮防衛都市は戦力が相当低下するだろう。一般の魔法士の戦力派遣規模が少数に限定されてる分、一応は救いもあるんだが、しかしこの声明発表前に、多数の一般の魔法士達がすでに都市を出てた筈だ」

「ええ。声明のおかげで各迷宮防衛都市から派遣される魔法士戦力が具体化され、今後は声明以上の魔法士戦力の移動は制限されます。よって、一般の学科魔法士達が都市間を移動して、三葉市の防衛戦力がこれ以上低下することはありませんが……」

「そうは言っても、現時点での三葉市へ残ってる防衛戦力については一抹の不安があるわね?」

「姉さんの言う通りだ。現時点でどの程度の戦力が残っているのやら」

 そこまで言って苦笑した命彦が、ふとポマコンを操作する手を止めた。

「へえ? 一般人の戦力派遣規模がこれまでの【逢魔が時】より少数に限定されてたのは、国家魔法士委員会へ都市統括人工知能達から要請があったせいらしいぞ?」

 命絃やミサヤも、命彦のポマコンをのぞき込み、画面上の情報を見る。

「ふむ、これは恐らくミツバのおかげですね? 彼女は私達との約束を果たしてくれたわけですか。この情報を見る限り、どうにか最低限度の防衛戦力は確保してくれたようですよ?」

「ああ。俺も少し安心した。このミツバの一助が、三葉市へ幸運を呼び込んでくれることを祈ろう。国家魔法士委員会の試算では、方々からかき集めた魔法士戦力と別地方の【神の使徒】の投入で、6日以内に関東迷宮と九州迷宮の【逢魔が時】が終結できるらしい。派遣されてた魔法士戦力や【神の使徒】は、その日のウチに戻って来れる。つまり、この6日間が三葉市の明暗を分けるわけだ」

「そうね。後はホントに出たとこ任せの迷宮次第。【逢魔が時】が、この6日間のウチに関西迷宮でも起こるのかどうか。それで三葉市の命運がある程度決まるわ。滅びるか、生き残るのか。どっちかしらねぇ? まあ、どっちにしても魂斬家は……私達は生き残るんだけどね? ふわあーあ、また眠気が」

 そう言って命絃は命彦の胸にもたれかかり、二度寝に突入した。

 命彦とミサヤも顔を見合わせて苦笑していたが、命絃の寝顔に眠気を誘われたようで、寝台に寝転ぶ。

「依頼所から特段の連絡もねえし、舞子からの連絡もねえ。母さんが起こしに来るまで、俺達ももうひと眠りしよう」

「はい」

 ポマコンを確認して机の上に置いた命彦は、ミサヤと共に二度寝に突入した。


 命彦達が二度寝に突入した午前9時頃。

 舞子は勇子やメイアと共に、依頼所の訓練場にいた。

 訓練場で舞子は、勇子と徒手格闘訓練をしていたのである。

「そらそらどうした、もう限界か? 動きが遅いで!」

「はあはあはあ、くうっ!」

 魔法抜きの格闘訓練らしく、手加減した勇子の拳を間一髪で回避し、舞子が勇子の拳を取って、一本背負いのように投げようとしたが、すぐに勇子が力任せに舞子を振り回してふっ飛ばした。

「自分より力も体格もある相手に、力だけで投げに行ってどうするんや! もっと考え! 人型の魔獣やったら、人間相手の術理は十分通用する。がむしゃらにかかって来んと、自分にできる最善を考えて行動し!」

 勇子の激励が飛び、今一度舞子は勇子に肉迫した。

 勇子にどうにかして一矢報いようとした舞子は、自分の顔に迫る勇子の迎撃の右拳を、左手で上手く受け流して拳の軌道を歪め、そのまま間髪入れずにその左手で勇子の右手首を掴んで、勇子の右腕に沿って身体をクルリと捻った。

 舞子の、勇子の右腕を巻き込むを回転運動は意表を突き、手加減状態で油断していた勇子が、この日初めて体勢を崩す。

 そして、高さのある勇子の後頭部、それも延髄えんずいを狙って、舞子の右手拳槌けんついが鞭のように迫った。

 握り拳の小指側が勇子の首筋に触れかけた一瞬、ニッと笑った勇子がその場で頭を倒し、少し屈むと、舞子渾身の拳槌打ちは空を切る。

「惜しいやん、ほんの少しヒヤッとしたでっ!」

「うきゃあっ!」

 勇子が右腕で舞子の腰を抱え込み、足を払って、舞子を倒した。

「そこまで! 一旦休憩しましょ、2人とも? 私達が集まった8時からすでに1時間も経過してるわ。その間ぶっ通しで格闘訓練をしてる……見たところ舞子が限界よ? フラフラだし、小休止しましょ?」

 審判というか見物人と化していたメイアが、投げ倒されてゆっくり立ち上がった舞子を見つつ、勇子へ提案した。

「あ、時間忘れてたわ。もう1時間も経ってたんや……しかし、ホンマに舞子は基礎体力だけはあるんやね? 空太やったらこの手の訓練、開始20分で根を上げとるわ。ほれ舞子、あっこの椅子で座ろ」

「ぜえぜえぜえ……は、はいぃー」

 勇子に肩を借りて荒い息の舞子は、それでもどうにか自分で歩きつつ、訓練場の隅に設置された椅子に腰かけた。

「はい、飲み物」

「あ、ありがとう、ございます……メイアさん。ごくごくごく、ぷはあっ! 生き返るぅーっ!」

 メイアから水筒を受け取り、飲料水を一気飲みして舞子が笑顔を浮かべる。

 その舞子を見て、勇子が笑った。

「ははは、生き返るてまだ死んでへんやんか。面白い子やねえ舞子は。あ、そうそう。最後の回転拳槌は良かったで? あれも祖母ちゃんに教えてもろた古流柔術の技の1つか?」

「ええ。本来は相手の拳打を見切って躱し、伸びきらせた腕を掴んで手首を捻り上げ、相手の背後に回って取り押さえる技ですが、この技は相手の拳打に勢いがある場合、手首を掴めても即座には捻り上げにくいので、そのまま拳打を受け流して自分が回転し、意表を突いて自分の拳槌を繰り出すように使いました。お祖母ちゃんに一度これをやられて凄く痛い思いをしたので、身体が憶えてたんです」

「ず、随分武闘派のお祖母ちゃんね? 拳槌で不意の延髄打ちって……しかしまあ、柔術といっても昔の柔術って、軍隊とかで使われる総合格闘術っぽい技もあるのね。面白いわ」

「うちに伝わる柔術は、お祖母ちゃん曰く戦国時代初期の甲冑組手術から始まったらしいので、基本的に投げ技や絞め技、関節技が多いんですが、急所への突きや蹴り、掌打や手刀、拳槌打ちや肘打ちも結構あったりします。柔道に空手を加えた感じですね? 普通の古流柔術からしても少し特殊かもしれません」

「特殊でええやんか? 戦闘時にはできることが多い方が生き残りやすい。舞子は結構格闘の才能があると思うし、運動神経も良い。ガンガン打突も投げ技も使ったらええと思うで? ただ関節技や絞め技は辞めとき。人型の魔獣には、人間とは比較できんほどの体格や馬鹿力を持つヤツがおる。付与魔法を使っとっても、10秒以上は組み付かん方が懸命や」

「そうね。サッと攻撃してサッと離れるのが魔獣戦闘の基本だから」

「分かりました、気を付けます!」

 元気に返事する舞子を見つつ、勇子が苦笑を浮かべた。

「それにしても、昨日はシャレで言うたウチらの提案に、まさか舞子が真剣に乗って来るとはねえ? ホンマに驚いたわ」

「え、そうですか? 特訓してくださるとおっしゃったので、つい」

「まあアレは私もびっくりしたわね? 勇子が冗談で言った、『お望みやったらウチとメイアがいつでも特訓したるで』っていう言葉に、舞子が『じゃあすぐに明日からお願いします』って言うんだもの。食べてた芋羊羹ようかんを吹きそうだったわ」

「ぜ、善は急げと言いますし……それに実戦訓練と違う訓練であれば、迷宮へ行く必要もありませんからね? もし翌日に身体が筋肉痛でも、一応できるだろうと思ったんです」

「それはそやけど、あんた命彦の弟子が希望やったんやろ? ウチは構わんねんけど、こういうことはてっきり命彦に頼むと思ってたんよ」

「勿論、できれば命彦さんに頼みたかったですが……その、ミサヤさんがいますので」

 舞子の言葉を聞き、メイアと勇子が思い出したかのように顔を見合わせた。

「ああー……そういうことか」

「ミサヤ、まだ舞子のこと認めてへんもんねぇ? そら、特訓してくださいって頼みにくいわ。メイアの時も、小隊の一員って認めるのにエライ時間かかったし」

「メイアさんの時もですか? あ、あの、参考までに、どうやってメイアさんはミサヤさんに認められたのか、聞かせていただいても構いませんか?」

「別にいいわよ? といっても、舞子の参考にできるかは……微妙だと思うけど」

「微妙、とはどういうことでしょう?」

「ミサヤが命彦の傍におってもええヤツと認めるかどうかは、命彦の手をわずらわせるかどうかにかかっとるんよ? 迷宮へ一緒に行って、命彦に頼らんと行動できるかどうか、命彦に助けられんと行動できるかどうかが、きもいうこっちゃ」

「私もミサヤに認められたのは、迷宮へ一緒に行って、命彦抜きでもある程度の行動ができ始めた頃。つい最近のことよ? それまでは結構怒られたし、威嚇もされた。文句も言われたわ」

「せやったねえ? あ、あと異性の場合には、実力の要素以外にも、命彦に好意を抱くかどうかも絡んで来るんや。まあこれはミサヤの主観やから、ウチらもよう分からんねんけどね? あいつを好く物好きが、早々おるとは思えんねんけども」

たで食う虫も好き好きと言うでしょ? 好意を抱く人もどこかにいると思うわ」

 勇子とメイアの言葉を聞いた舞子は、がっくりと肩を落とした。

「そ、それじゃあ命彦さんに色々教えてもらおうとする限りは……」

「ミサヤは絶対舞子を認めんやろね? 命彦の傍に近付いたら、即ガルルって威嚇されるわ」

「あううう……」

「まあ芋の試練が終われば、多少はミサヤの当たりも和らぐでしょう。少し力を認めると、態度にも差が出る筈だから、私の時はそうだったし」

「せやで。最低限の地力があるってミサヤが認めれば、もしかすると命彦も訓練してくれるかもしれん」

「……はい」

 舞子が気落ちする姿を見て、メイアと勇子は苦笑した。

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