4章ー3:マヒコの幼馴染達、ユウコとソラタ

 突然談話室に現れた長身の少女。

 薄青色で獣皮けものがわの胸当てと、独特の形状をした緋色の手甲を身に帯びたその少女は、襖を器用に足でサッと閉めると、和室の畳場へズザッと滑り込み、グデンと寝転んだ。

「いよっしゃー! 間に合ったでぇ! はあー……疲れたわぁぁー」

 鬼土きど勇子ゆうこ、命彦の幼馴染の1人で、亜人の母を持つ長身の少女だった。

 愛嬌のある顔立ちに、くるくると感情を映す茶色の瞳。短く切り揃えられた黒い髪と、女性にしては随分と恵まれた筋肉質の体格に、一応性別が分かる程度に実った胸や腰付きを持つ、女丈夫じょじょうぶという言葉が相応しい少女。

 頭より筋肉でモノを考えていると思しき、関西弁をたくみに話す異世界混血人種の少女が、勇子ゆうこであった。

「おい勇子、突然入って来てそれはねえだろ? 依頼主とかいたらどうすんだ。せめて、失礼しますくらい言え」

『そもそも約束の時間はとっくに過ぎています、間に合っていませんよ?』

 呆れた様子で命彦とミサヤが苦言をていすると、騒がしく和室に入って来て、畳場を転がり回っていた勇子は言い返した。

「ええやんか、今はウチらだけやし。それに、すれ違いでミツバに部屋におる人の確認も取ったもん。梢さんもまだおらんやん、ってことは遅刻とちゃう。つまり、間に合ったと解釈できるわけや。それよりも聞いてや命彦! もうホンマに補習たるかったわ、地獄やで。あの鬼ババア教官め」

 父親譲りの染み付いた関西弁で早速文句を言い始めた勇子に、メイアがため息混じりで突っ込みを入れる。

「鬼人種魔獣【修羅シュラ】族の血を引く勇子が鬼って言うの? それに地獄って。忘れ続けた宿題を、単に補習課題として学校で終わらせただけでしょう? 勇子が日頃から一般教養課程の授業を寝てたり、出された宿題を忘れたりするからしんどいのよ」

 メイアの言葉に、ミサヤと命彦もウンウンと首を振って続く。

『メイアの言うとおりです』

「魔法士にも人間としての、日本人としての一般常識は必要だ。たとえ魔法士育成学校の卒業に、一般教養課程の単位が不要でも、俺はバカと仕事したくねえ。別に世間一般の進学校みたいに、難しいことを学習してるわけじゃねえし、せめて宿題くらいはやって来いよ。一般常識も知らんアホのまま卒業する気か?」

 命彦達が呆れつつ勇子を見た。

 魔法士育成学校を卒業すれば、自動的に専攻していた魔法学科を修了した者と認められ、その魔法学科に応じた魔法士資格が取得できるが、別に卒業せずとも、魔法学科修了認定試験に合格すれば、魔法士資格を取得できる。

 勇子はすでに〔闘士〕学科の修了認定試験を合格しており、〔闘士〕の学科魔法士資格を取得しているため、魔法士育成学校を卒業せずに、学科魔法士として活動することが可能であった。

 しかし、卒業前に学科魔法士資格を取得していても、人としての常識、一般教養を学ぶという意義が魔法士育成学校にはあり、真面目に授業を受ける価値は十分にある。

 勇子が一般教養課程の授業を適当に受けるつもりであれば、友人として、命彦は勇子を叱るつもりだった。

 しかし、命彦の心配は杞憂に終わる。勇子が怒り出したからである。

「アホ言えや! せっかくオトンがたっかい学費出して入学させてくれたんやで? きっちり授業を受けて、頭も良くして卒業したいに決まってるやん! ……けど、宿題見たら眠気が来るんやもん、仕方あらへんやんか!」

 勇子の言葉を聞き、命彦は少しだけ安心した。その命彦の様子に気付かず、勇子が言葉を続ける。 

「それにしてもあの鬼ババア教官め、他にも補習受けとるヤツおんのに、ウチにだけまた追加で宿題ぎょうさん出しよって。あれは絶対ウチを敵視しとるで。メイアぁー……また教えてぇやぁ?」

 勇子がゴロゴロとメイアの傍に転がって言うと、メイアも呆れたように返した。

「手伝うのはいいけど勇子、多分教官から見たら、勇子の方が自分を敵視してると思ってる筈よ?」

「え、嘘やろ? ウチ、鬼ババアとか思ってるけど敵とまで思てへんで? 補習でも寝たり、早弁したりするのを、他の子を見てるババアに気を遣って、隠れてこっそりしとるくらいし……」

「そういう問題じゃねえ……そもそもどこに気を遣ってんだよ、このバカは」

 命彦達は呆れた様子で顔を見合わせ、きょとんとする勇子を見ていた。


 畳場で寝転んでいた勇子が、ふと気づいたように身体を起こす。

「あり? そういや命彦、空太そらたはどうしたん? 梢さんがまだやいうんは、ミツバに聞いとったけど……」

「今頃気付いたのかよ? あいつはまだ来てねえぞ」

「いつも通り、義妹の空子くうこちゃんのお迎えしてから、こっちに来るって言ってたんだけど」

『まだ到着していませんね』

「いよっしゃあっ! このままアイツ来んでええやん。その方が静かやし、ウチもムシャクシャせんで済むもん」

「またお前はそういうことを……しかし、確かに空太は少し遅い。てか、梢さんも来るのが遅れてるからいいものの、ミツバが呼びに行ってるし、そろそろ来ねえとマズい気がする。一度連絡するか」

 命彦が腰に巻いていた〈余次元の鞄〉から、ポマコンを取り出そうとした時である。

 またもや和室の土間の方で人の気配がして、襖がソロリと開かれ、恐る恐る少年が顔を見せた。

「遅れてすいませーん……って良かった。命彦、梢さんはまだだよね? いやあ、焦った焦った、たはは」

 防具型魔法具である深緑の外套と、装身具型魔法具の黄土色の腕輪が目を引く少年に対して、命彦が言う。

「遅いぞ、空太。梢さんも遅刻してるから良かったが……」

「そうね。随分遅かったから、ついさっき命彦が連絡しようとしていたところよ?」

「へえ、それは気を遣わせたね? まあ話が始まる前に着けて良かったよ。梢さんから説明が遅れるって連絡が来て、実は依頼所のすぐ近くまで来てたんだけど……通りの雑貨店に、空子が見たら欲しがるっぽい小物が幾つか目についたから、ちょっと見回ってたんだ。そしたら思った以上に時間を喰っちゃってさ」

 少年が、キラリと二枚目の良い表情を見せた。

 風羽かぜはね空太そらた、命彦のもう1人の幼馴染で、美形の少年であった。

 見方によっては女性に見えるほど甘い顔立ちに、気弱そうに見える瞳、さらさらと揺れる髪と、痩せぎすの体格を持つ、美少年。

 幼い義理の妹を愛でる、妹偏愛主義シスコンの少年が、空太であった。

 その空太が、一瞬畳場に寝転がる勇子と視線を交わす。心底驚いた表情を、空太は顔に浮かべていた。

「うわ、驚いたっ! 勇子が来てるよ、学校で補習を受けてた筈だろう? まさか、動物園を脱走したメス猿よろしく、補習をすっぽかしたのかい?」

 途端に勇子の額に血管が浮かび、命彦とミサヤ、メイアが天井をあおいだ。

「オノレはあぁー……ウチが真面目に課題を終わらしたっちゅう発想はあらへんのかっ! ホンマ腹立つ言い回しをしおってからに!」

「勇子が真面目に課題を終わらすだって? バカバカしい。肉体言語を話す勇子が、日本語の問題文を読んで、まともに解答するとかありえブゴッ!」

 最後まで言わせず、勇子が猿よろしく飛びかかり、空太の顎を拳で突き上げた。

 ドゴスッと空太は部屋の天井板に頭部を突き刺し、プランプランと揺れている。

「ふんっ!」

 すっきりしたのか、勇子はまた畳場に寝転んだ。

 昔からの付き合いか、幼馴染ゆえの気安さか。空太は常に勇子に対して、一言余計に言うくせがあり、よくこうした酷い目に遭わされていた。


 天井から頭が抜けて、ボトリと床に落ちた空太。

 空太の全身を薄らと黄色の魔法力場が覆っており、見た感じ頭部は無傷だったが、空太は衝撃で目を回していた。

 その空太の身に付ける腕輪の魔法具を見つつ、命彦が言う。

「勇子、すぐ手を出すのはやめろっていつも言ってるだろう? 空太に魔法具の守りがあるといっても、もしもってことはあるんだぞ?」

「それにまた器物損壊よ? 高位の精霊治癒魔法には、時間遡行じかんそこうによる修復効果で無生物でも修復できるモノがあるけど、この手の治癒魔法って多くの魔力を使うんだから気を付けてよね?」

 メイアが天井の損傷箇所を見て、魔法の詠唱を始めた。

「其の陽聖の天威を活力とし、あるべき姿に、傷痍しょういを癒せ。生かせ《陽聖の恵み》」

 魔力が周囲に潜む陽聖の精霊を取り込み、一気に膨れ上がって、メイアの手から治癒力場が放出された。

 淡く白い治癒力場が天井の損傷部を包み込むと、その周囲の空間が一瞬揺らぐ。

 すると、天井の損傷が一瞬で消えて、畳場に落ちていた破片も1つ残らず消えていた。

 空太が突き破る前の天井に、時空間が巻き戻ったのである。

 精霊治癒魔法《陽聖の恵み》。特定の物体に生じた損傷や状態の異常を修復し、回復させる効力を持つ治癒魔法の1種で、心象精霊である陽聖の精霊達を魔力に取り込んで使役し、損傷した箇所の時空間を巻き戻して、損傷という結果、因果自体を修復する魔法であった。

 魔法系統を問わず、《○○の恵み》と呼称される重傷系の治癒魔法は、魔法展開速度より魔法的効力を重視した、主に重傷や致命傷を治癒するための高位の治癒魔法であるが、実はその多くが生物にのみ働くモノで、たとえ高位の治癒魔法であっても無生物の損傷まで修復できるモノは限られていた。

 これは多くの治癒魔法が、魔力や精霊の力を利用して、生物の持つ自己治癒能力を活性化させ、損傷を修復する効力を持つためである。

 しかし、精霊治癒魔法《陽聖の恵み》は高位の治癒魔法でも別格であった。

 僅かだが時空間に干渉する力の性質を持つ、心象精霊たる陽聖の精霊を使役することで、《陽聖の恵み》は時間遡行と呼ばれる時空間の巻き戻し作用を具現化し、物体が損傷したという結果自体に干渉して、その結果が発生する以前の状態まで、時間をさかのぼって結果を上書きすることで、損傷を修復するのである。

 このため生物に限らず、無生物の損傷をも《陽聖の恵み》は修復することが可能であった。

 自己治癒力を高める治癒魔法では、回復が難しい傷、例えば骨折して骨がずれたり、重傷を負って多量失血していたりする場合でも、《陽聖の恵み》は、損傷を受けたという結果自体を遡って書き換えるため、ずれた骨も飛び散った血液も全て巻き戻り、消え去るわけである。

 治癒魔法の効力だけで見れば、飛び抜けていた。

 ただ、高位の治癒魔法でも高い治癒力を持つ《陽聖の恵み》は、その分多くの魔力を消費する。

 損傷個所の時間を巻き戻すということは、当然巻き戻す時間が長いほど治癒に多くの魔力を消費した。数分の遅れが数倍の魔力消費量に跳ね返って来るのである。

 加えて、治癒魔法は損傷箇所の範囲によっても魔力消費量が増えるため、《陽聖の恵み》を使うことによる魔力消費量は、通常の高位の治癒魔法よりも倍以上多かった。

 天井板の損傷から1分も経たずに修復したため、魔力消費は抑えられた筈だが、それでも心身の疲労があるのか、メイアがため息をつく。

「平気か、メイア?」

「ええ。この程度はね」

 命彦とメイアのやり取りを聞き、勇子がムッスーと頬を膨らませ、ねる。

「ふんっ! 命彦もメイアも、そのゴボウの肩を持つんや。ウチは馬鹿にされたから、拳っちゅう肉体言語で返しただけやのに……そもそもウチが肉体言語で話す言うたんは、そこのヒョロスケやし!」

 ゴボウ、ヒョロスケ呼ばわりされた空太が、ようやく目を覚ましてフラフラと立ち上がり、微妙に赤い顎を押さえつつ、また一言余計に返す。

「……うぐぐ、あげ足を取って、口で言い返せばいいだろうっ! この暴力馬鹿! 女原始人め、森へ帰れ! ほぐぅっ!」

 空太の罵倒にすぐさま拳で返した勇子。勇子の拳は的確に空太の右頬を捉え、空太が吹き飛ぶ。畳場にズザッと顔面から着地した空太を見て、メイアが言った。

「空太も、いつも一言多いわよ?」

 メイアの言葉が届いているのかどうか。空太は完全に気絶し、白目をいていた。

 美形という生まれ持った利点を、ここまで無駄にしている者も希少だろう。

 命彦は、地雷を好んで踏み抜きに行く友人へ、静かに合掌した。

 数秒ほど気絶していた空太だったが、すぐにまた目を覚まし、もぞもぞと動き始める。

 どうやら魔法具の効力が働いたらしい。丸く腫れた右頬や赤い顎が秒単位で治癒して行き、人外の回復力を見せる空太。相当高い効力を秘めた魔法具を装備しているようであった。

 そもそも空太は普通の人間であるため、亜人の体質を受け継ぎ、常人を遥かに超える筋力と、恵まれた体格を持つ勇子に殴打されれば、致命傷を負うのは必至である。

 鬼人種魔獣【修羅】族は、魔法の素養も高いがそれ以上に身体能力が極めて高く、シュラ族の者は、男女を問わず誰も彼もが地球人類で言うところの、超一流の運動選手アスリートに匹敵するほどの身体能力を持っていた。

 亜人と言ってもその程度かと勘違いする者は多いが、全ての身体能力がその分野を極めた、超一流の地球人の運動選手に匹敵するのである。

 考えてみて欲しい。100mを9秒台で走り、砲丸投げで23m以上を記録して、走高跳はしりたかとびで2.4m以上を記録する、を。

 使うべき筋肉や身体操作の理論が違うため、地球人類では1人の人間がこれだけの身体能力を発揮するのはほとんど不可能である。

 しかし、シュラ族を始めとした肉体派の亜人は、持っている筋肉の質が地球人類と根本から違うのか、こうした身体能力を先天的に持っていた。

 しかもこの身体能力は平時の能力であって、全開時のシュラ族の身体能力は、もう一段上である。

 シュラ族は肘に収納された隠し角を持ち、精神が高揚した時や本能的に危機を察知した時は、皮膚を裂いてこの角が両肘から出現し、身体能力を平時の倍、つまり完全に人外の域にまで高めるのである。

 そして勇子は、このバカげた身体能力と身体器官を、母親から受け継いでいた。

 その勇子にまともに殴打されれば、体格差や筋力差から空太は重傷を負うだろう。

 しかし今、空太は2度も勇子にまともに殴打されたにもかかわらず、顎を腫らしたり、右頬を腫らしたりという、ごく軽傷で済んでいた。

 しかも、どちらの傷もすでに完治しかけている。

 この異様過ぎる空太の頑丈さと回復力は、勿論魔法具の効力であった。

 魔法具には、使用者の使いたい時に効力を発揮する任意発動の魔法具と、常に効力を発揮し続ける常時発動の魔法具とがあり、当然後者の常時発動する魔法具の方が効力が高い分、頻繁に手入れが必要で、魔法具としても圧倒的に高価であった。

 装備者が気絶してても効力が発揮されている所を見ると、空太が装備する魔法具も後者の魔法具であるらしい。

 勇子に度々ぶん殴られる空太にとって、魔法具は装備必須の生存手段であるが、しかし、勇子はこの手の魔法具を空太が常に装備しているからこそ、実はあまり遠慮せずに、空太を殴打しているように思われた。

 そのことに気付かぬ空太が、微妙に憐れである。

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