第4話・分裂
その日から彼はまた多量の食事をとり、自由に使える分の魔石を齧り、狩りに出ては魔物の魔石も齧る。魔石のない動物も食材として許される分はめいっぱいたっぷりと食べ。さらに睡眠が必要ないのを良いことに、毎夜皆が寝静まったころ自室から抜け出しては、城の裏手の古井戸に下りて瞑想をしていた。なんでもそこは枯れた水の代わりに大地の魔力がたっぷりと湧き上がる場所で、瞑想をすることで体内に多量の魔力を蓄えられるのだとか。
過剰なほどの魔力の蓄積により、彼は壮健を通りこして正しく人外といえる身体能力を手に入れつつある。本人曰くこの状態でも弟君には普通に負けるそうだが、はてさて。
そしてある日、私は彼から自室に来るよう呼び出された。寝床に横たわる彼を見るのは久しぶりで、少しだけ懐かしいような気持ちがする。といっても以前の仰向けではなく今日はうつぶせだ。おまけに頭の上まで引き上げられた掛け布団の下が妙に盛り上がっている。
「よく来たね、寝台から失礼。今日は申し訳ないけれど僕が殖えるところに立ち会ってほしいんだ」
「良いですけれど……本当にそんなことができるのですか?」
「君が少しだけ協力してくれれば、必ず。ずいぶん計算も重ねたよ。君がいるなら間違いなく成功する」
「わたくしは何をすればよろしいのでしょうか?」
「しばらく手を握っていてくれ、ほんの少しの間でいい」
「でしたら、ええ。喜んで」
布団をめくると、彼の背中には背側全体を覆うほどの大きなこぶができていた。私は思わず息を呑む。
「蓄えた栄養と魔力を使って、ばれないよう今日一気に成長させたんだ、なかなか大変だったよ。心配しないで、もうすぐ孵るだけだから」
「孵るって、何が……」
「僕に決まってるじゃないか。正確には子というより双子の兄弟のようなものだけど、魔力でつながってるからそれよりもずっとずっと近い……いや、全く同じ存在さ。ねえ、手を握っていいかい?」
私は僅かに放心していたが、半ば無意識のままこくんとうなずいて彼の手をとった。最初はそっと添えるほどだった手は、彼がひざを折り背を丸めいきみだすと徐々に握る力が強くなる。
「ぐ、ぐうっ……」
「大丈夫?」
「へ、平気だ……これくらい……病気のときに比べれば……」
「ぜんぜん平気じゃないじゃない?!」
しかし彼はもう応えることもできないようだった。
「う、ぐぅ……あうっぅ……」
『ぐあああぁぁぁっ……ああああっ……』
実際の声は人を呼ばれないようかみ殺しているものの、念話では痛みにのたうちまわる様子がよく聞こえてくる。一瞬痛覚を共有してみたが耐えられるか耐えられないかギリギリ境界線の痛みが感じられ、薄情とは思うもののすぐに非共有状態に戻さざるを得ない。
そして
「くっ……う……」
『!!!!!!!!!!』
もはや言語にもならない絶叫を意識に送り込まれるとともに、私の手がぎゅっと握り締められる。さらに繋いだ手から魔力を大量に抜き取られて、私は意識をうしなった。最後にぶちっ、という音と、どこか甘やかな嬌声を聞いた気がするが気のせいだろうか。
「気が付いた?」
「本当に申し訳ない。あんなに君に負担をかけるつもりは無かったんだ」
「でも、君のおかげで無事に分裂は成功した」
「次からはこんなことにならないよう十分に気をつける。幸い今回のでコツはわかったし」
「……?」
同じ声が二重で聞こえてくるのに、ひたすら疑問符を浮かべる私。短期間で魔力を一気に抜かれたせいか、まだ頭がふらふらする。
「君が気絶していたのはそんなに長くないからそこは安心していい。少し休めばその状態も良くなる」
「本当に本当にありがとう、とても助かったよ」
目の前には同じ顔も二つ。このふらつきのせいで二重に見えているのかとも思ったが現実に存在するらしい。
「嘘、成功したの……!」
「さっきからそういってるよ。協力ありがとう」
『それともこちらじゃなければ幻覚だと思ったりする? ありがたいことに現実だ、大成功といえるだろう』
『え、そんな。ただびっくりしちゃって。でも、あなたが無事で良かったわ』
『いつになく素直じゃないか。僕の声は二人分聞こえる?』
それどころではないからです。
『え、ええ。同じあなたの声が二人分』
『なるほどね、そういう風になるとはだいたい予想通りかな?』
『僕同士は魔力も意識も記憶も感覚も全部共有されてるね。君とは魔力の融通はできても共有はできないみたいだが』
『従魔化というのもなかなか奥が深いね、色々と調べられたら面白そうだ』
『そういえば僕が倍になってから少し頭が冴えた気がするが、これには何かあるかもしれない』
『そうだとすると、これからどんどん殖えられるようにしたいな』
怒涛の展開についていけない。
『さて、そろそろ不審がられてもいけないし一旦わかれるとしようか』
『秘密の抜け穴で僕が出る。擬態して適当に騎士の鍛錬に紛れ込むよ。……そうだな、名前はカンタールとでも名乗るかな』
片方の、今回新たに生まれたのだろうか僅かに小柄な殿下が髪を赤に、虹彩を緑に変えてみせる。顔立ちもいじり、まるで別人のようだ。
『いいね、了解。見つからないようにね、僕』
『そっちこそ上手くやれよ』
『もちろんさ!』
『おっと、二人揃っているうちに愛しい協力者に何かお礼をしようか。何して欲しい?』
『あまり極端でなければ物でも行為でも何でもいいよ』
「えっと、じゃあ……」
『ふたりにぎゅっと抱きしめてもらえれば嬉しいな』
「「おやすいご用だ」」
最愛の人が倍増した上で、ひんやりと快い感触の彼らに隙間無く抱きしめられるのは控えめに言って至福であったと言っておこう。
その後
ロタール殿下がレオナル殿下に勝つのを諦めるまでも、その後も、分身は何体も生み出された。私が倒れるような目にあったのも最初の一回だけで、あとは殿下自身に多少の苦痛があれどそれも徐々に減少していった。
書庫にこもりきりで全蔵書の読破を目指すもの、古井戸に座り昼夜を問わず瞑想して魔力を蓄え続けるもの、人に危害を加える魔物を片端から狩っていくもの……
城内では料理人に弟子入りし、庭師の仕事を手伝い、さらには男の使用人どころか女性に擬態してメイドになったものまでいる。
市下では大学に入学し、薬師に医師、外科医の組合に加入。魔法使いや錬金術師の結社に入門する。鍛冶屋に弟子入りして鎚を振るい、仕立て屋として針を動かす。漁師の手伝いをして網を引き、猟師に習って罠をつくり獣を射る。農家にお邪魔しては鍬を振るい収穫をともに祝う。交易商人としてあちこちを回り村々を結ぶ。パン屋に粉屋、博労に牧童。織り手に紡ぎ手。樵に炭焼き、石工に陶工。大工に船大工。靴屋に醸造家。占い師やら拳闘家やら会計士やら。あらゆる楽器に手を出し吟遊詩人にもなった。奏でる歌曲が評判になって、王宮に推薦され本人同士の対面があったのはさすがに笑ったけれど。
とにかく好奇心と知識欲のまま、ロタール殿下は擬態した分身をありとあらゆる場所に送り、ありとあらゆるものごとを学んだ。知識と経験は各分身の間で共通。あらゆることに通じるロタール殿下の名声はいや増すばかり。純粋な頭の回転と冴えでさえも、分身の数が増せば増すほど人間離れして高まっていく。
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