第2話・再誕
私に宣言したとおり、彼は私とできうる限りの時間を過ごすようになった。婚約者なのだから、と私の両親を説き伏せ、王城やうちの邸宅で朝夕の食卓をともにし、勉強もなるべく一緒に。前は私の方から彼の居室を訪れる僅かな時間しかともに居られなかったのが、今や彼の方が四六時中近づこうとしてくる。……私はそれが嫌ではない。
そんな生活にも慣れはじめたころ。
「ずいぶんたくさん召し上がっていらっしゃるのね」
彼は帰ってきて以降、軽く二人前、下手したら三人前もありそうな量を毎度毎度食べていた。前は固形物がろくに喉を通らなかったことすら多かったのに。固形物といえば、ラムネもパンくずを食べるのにすら結構時間をかけていたな、と私はぼんやりと思い出す。
「最近お腹が空いてしかたが無いんだ」
「今はお身体をよく動かしていらっしゃるからかしら?」
それもあるけれど、たぶん君のスライムの分まで食べてるからだよ、と彼は微笑んだ。確かに微笑みだが、どこか不思議な印象を与える表情だった。それまで彼はあまり私のスライム――ラムネのことに触れようとしなかったのに、この時は何かの確信めいてそう告げた。
そんなのただのたとえでしょう、もうあのこはいないのにと思い、口にさえ出そうとしたのだけれども。なぜか私はそうできなかった。
その日の夜の分の勉強が終わり、先生が出ていって私は彼の部屋に二人きりになった。
普段はこの後兵士に送られて自宅に帰る。
「少し帰るのを待ってくれる?」
「構いませんが、どうなさいましたか?」
「お願いがある、僕にくちづけてくれないか?」
私は戸惑った。彼と私は婚約者だったけれど、二人ともまだ幼くて自然な身体のふれあい以上は考えたことも無かった。手をつなぐ程度が通常で、この間彼にもたれかかって泣いたことでもだいぶ大胆なほうだった。
「どうしても嫌ならいいんだ。でも、嫌じゃなければどうか、頼む……」
彼の真意が何なのか、彼とくちづけて今後はどうなるのか、そんな雑多なものごとが頭の中を巡り、私は数秒固まる。そして私は彼に答えた。
「嫌などと、そんな、とんでもございません!とても嬉しゅうございます。わたくしで良ければ、謹んでお受けいたします!」
彼があまりにもすまなさそうにしていたものだから、気にしていない、むしろ嬉しいということを伝えたくてつい力が入ってしまう。
私の答えを聞いて彼は笑みを浮かべた。引き締まった緊張から安堵へと解け、さらに歓喜と期待でキラキラと強く瞳を輝かせるさまは、あたかも花が満開へとほころぶかのよう。殿下は弟君に比べ地味といわれがちであったけれど、この時ばかりは誰にも負けずうつくしいに違いあるまい。
「よ、良かった……。じゃあ、い、行くよ……」
彼は一度しっかり私の目を見た後、そっと私を抱き寄せて静かに私の唇を食んだ。なにぶん始めて同士であるから、舌をいれるどころではない、啄むだけのくちづけ。
ふわり、と風がふいた。私からいくばくかの魔力が抜き取られる。これはまるで、まるで、あの子と契約したときのようで。
「ありがとう、とてもうれしいよ」
「わたくしも……」
よろこびに満ちた彼の声。頬が熱を帯びる。照れのあまり伏せた目を上げたとき、私は再び驚きに包まれた。
「で、殿下、お、お
柔らかな茶色をしていたはずの彼の髪が、一瞬で白色に変じている。
「ああ、これ?」
恐ろしいほどの変化であるはずなのに、いっそ気だるげなほどなんでもないような反応だった。
「君のおかげでようやくお互い完全になじんだから、その副作用かな?」
「殿下、殿下が何をおっしゃっているのかわたくしには全く理解できないのですが……」
さきほどの喜びから一転、私は渋面と間抜け面の中間くらいの顔をしていたように思う。
『これならわかる?』
「念話……!?」
『そう、僕は君の従魔。あの子が僕と一つになったから、契約もそのままさ』
「そんな……!」
そんなこと。そんなことがあるなんてただただ信じられなかった。
『恐れ多いとか、そういうのはなし。どうせ皆はわからない。それよりも僕はずっとこうしたかった』
『どういう意味でございますか?』
『もっとくだけて接してくれていいよ。以前の人間だった僕もずっとこうして君とふれあいたかったし、今はもうほとんど本能的に君とこうしてつながりたいと思ってる』
一瞬はしたなくも未だ心の準備ができていないことを想像してしまい、激しい羞恥が襲う。かあっと頬が熱くなる。
『あ、この身体は人間一般と違ってそれは基本欲求に組み込まれてないから。安心して、君が望まない限り襲ったりは絶対にない。あくまで魔力的にずっと君と繋がっていたい。そちらの方がずっと大事』
『……私の心をお読みになったのですか』
『強い心の動きだったからね。普段は読めないし読まない。悪かった、ごめん』
『い、良いのですけれど……』
あまりにもあまりな空想の内容を知られ、先ほどをも上回る羞恥で倒れこんでしまいそうだ。頬がじんじんする。
『でも、君が僕とならいいと心から想ってくれたのは嬉しかったな』
『は、はあ……』
『不思議だ、僕はまぎれもなく僕、ロタール・ルカ=アルマンだと確信をもって言える。でも僕はラムネでもあるんだ。あのときは朧だった君の想いが今こんなにも理解できる』
『えっと、それはいったいどういう意味……』
『ラムネだった頃の思い出、
『あ、ありがとうございます?』
『いいよ、全ては君の意思が優先だ。でも、できるなら僕は君をはなしたくはないな』
今は物理的に離れても念話ができるから、という言葉の割りに名残惜しげに彼は私を見送った。ちなみに別れる前、髪はどうするのかと訊いたらあっさり茶色に戻していた。ある種の擬態の応用らしい。あの髪は髪で、わずかに青みがかった様子が美しかったので私はひそかに安心した。
その夜一晩、夢の中でも私たちは今までのこと、これからのことを話し合った。
『君が夜僕をぎゅっとできないのが残念だ。そのうちなんとかなるとは思うけど』
『お恥ずかしいことでございます、あんなのちいさなうちだけですわ』
『ほんとう?』
『ほんとうですってば!』
『……まあ、今の僕の状態なら君の父上も否とは言わないだろう。心安く君が僕のところに来られるようにするからね』
『その、とても嬉しくありがたいことでございますが、どうかご無理はなさらないで』
『平気へいき、たぶん僕は眠らなくても生きていけるんだと思う。少なくとも三日三晩は不眠不休で働けそう……ほんとうに夢みたいだ』
『とりあえず、なるべく人間並みの生活をしてくださいまし』
『善処するよ』
『……わかりましたわ。そういえばお互い馴染む云々とおっしゃってましたけれど、いったいどのような状態でいらっしゃったの?』
『ラムネが殖えて僕の身体のすみずみまでいきわたり融合する必要があったんだ。僕もあの子もそうしなきゃ生きていけなかったからね。そのためには栄養と魔力が必要だった』
『まあ、だからあんなにたくさん食べてらしたのね?』
『うん。栄養は食事から、魔力は僕自身が生み出す分と、それでも足りなければこっそり魔石を齧っていたけれど、最後はどうしても君の魔力が必要だった。なにしろ、元々のラムネの魔力のほとんどは君由来だったからね』
『そうでしたの。それは大変でしたのね……』
『今も君の負担にならない程度に少しずつ魔力は貰っているよ。甘くて最高に美味しく感じられる』
『そ、そうなの……』
『これからも末永くよろしくね』
『こ、こちらこそ。ふつつかものですが、よろしくお願いします』
『ふふっ、それじゃあ結婚式だよ。でも、君と僕は婚約者だからそれでいいのか』
なんだかおかしくなってお互いに笑って目が覚める。
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