Ⅰ章

第1話【 救世主はじめました 】

 目を覚ますとそこは雪国だった……というのはどうやら勘違いのようで、視界が真っ白でそう錯覚しただけのようだ。

 自身が純白の天井を見つめていると気づいた時、久遠桃也くおんとうやはこれまでの経緯を辿ろうと頭をフル回転させたが敵わなかった。それどころか、記憶が曖昧でなぜこの場所にいるのかも思い出せない。


(それにしても高い天井だな。床が冷たくて心地がいい……)


 そんなことをぼんやり考えていると、ワニの顔が急に視界に飛び込んできて桃也は悲鳴を上げた。


「急に叫ぶなよ! びっくりするなぁ、もう!」


 しかも、そのワニが喋ったもんだから、さぁ大変。


「しゃ、喋った……ワ、ワニが喋った……」


「あ? 何言ってんだオメー。失礼な奴だな」


 首を捻るワニはどう考えても人語を喋っている。それも日本語を。


「とりあえず起きろよ。そんなトコに横になられちゃ迷惑だ」

 

 徐々に聴覚が戻ってきて、周りの雑音が耳に入ってくる。

 半身を起こして辺りを見回すと、そこは人で溢れていた。〝人〟と桃也は認識したが、彼らは姿かたちこそ人のそれであるものの、顔や肌の色は異形であった。ワニをはじめ、尖った耳のエルフを思わせる者や、全身が茶色い体毛で覆われた鎧を着たゴリラ等、人と形容するにはあまりにもかけ離れた者たちが行き交っている。そのほとんどが武装しており、コスプレとは思えないほどのクオリティだった。


「夢……か?」


 桃也の心情はごもっとも。しかし、夢にしてはあまりにも鮮明すぎた。


「早く立てよ。ほら、手貸してやっから」


 ワニに起こされ立ち上がる。並んでみると、ワニは2メートル以上はあろうかという大男だった。二本足で立ち、プレートアーマーらしきものを着ている。


「夢……じゃないよな」


「ったく、まだそんなこと言ってんのか。頬でもつねってほしいのか?」


 ワニの指には、鋭利な爪がギラリと光っている。


「いや、遠慮しときます……」


 血の気が引いて、桃也は少し冷静さを取り戻した。これは紛れもなく現実だ。十七年間の人生で培った彼の直感が、そう訴えかけていた。とはいえ、すぐに現実を受け入れるほどの器量を持ち合わせているはずもない。

 動揺を押し殺して、辺りを見回してみる。白を基調とした建物内は広大で、どこか近未来を思わせた。


「さてはお前、ルーキーだな?」


 ワニは顎に手を乗せて言った。


「ルーキー?」


「とぼけんなって。いいよ、恥ずかしがらなくてもいい。どれどれ……」


 言いながら、ワニは自身のこめかみ辺りに触れる。するとが突然姿を現し、彼の左目を覆った。


「なるほど。データ無しか……」

 学生服姿の桃也をまじまじと見て、一人納得するワニ。

「つーかお前、無印どころか今日が初陣なんじゃね?」


「無印? 初陣?」

 

「ターミナルも初めてなんだろ? 大方、迷子になったってとこか」

 ワニは辺りを見回しながら言う。

「えーっと、たしかD級以下の搭乗口は……」


 聞き慣れない言葉の羅列に混乱する桃也。おかまいなしにワニは続ける。


「あったあった、E級の搭乗口。あそこだ」


 ワニがはるか後方を指さす。どうやら、そこが搭乗口になっているらしい。

 〝ターミナル〟と〝搭乗口〟という二つのワードから、ここが空港であることがなんとなく理解できた。


「あとはターミナルのスタッフにでも案内してもらえよ。じゃあな」


「どうも……」


 去っていくワニの背中を見つめながら途方に暮れること数秒——。

 桃也はポジティブシンキングに頭を切り替えた。


(よくわからんが、その搭乗口から飛行機に乗れば家へ帰れるんじゃ……)


「あの、すいません」


 一縷いちるの望みを胸に、航空会社の制服風を着たスタッフであろう人物に背後から声をかける。


「ひっ!」


 振り返ったスタッフであろう人物を見て、桃也は思わず声を上げた。

 

「どうかなされましたか?」


 どうやらターミナルのスタッフであるには違いないようだったが、いかんせん彼は人の形すら成していなかった。制服の下半身を見ると、八本の足がにゅるにゅると動いている。そう、彼は巨大なタコそのものだった。


「あの、Eの搭乗口に行きたいんですけど……」


「ふむふむ、Eの搭乗口ですね――」

 タコは足につけられた腕時計を見るなり、茹でられたかのごとく真っ赤になった。

「おっと、いけない! まもなく出発時刻ですぞ! 失礼!」

 

 言うが早いか、タコは足の吸盤を桃也の上半身にくっける。


「は?」


 瞬間、猛スピードで走り出す――というより滑り出すタコ。


「ちょ、まっ――」


 雑踏を器用に抜けながら、搭乗口を目指す親切な空港のスタッフa.k.aタコ。

 桃也の悲痛な叫び声が、ターミナルに響き渡った。



 ∞ ∞ ∞



 目の前に広がるのは絶望だった。これからは、〝絶望〟と書いて〝うちゅう〟と読むことを桃也は心に決めた。


 タコの乱暴な親切で、なんとか搭乗時間ギリギリに飛行機に乗ることができた。チケットの確認も座席指定もなく、空いてる席に適当に腰を下ろした。ボーディングブリッジからは外の景色が見えず、窓際の席で初めて外の世界が見れた。そこには、一面真っ暗な絶望うちゅうが広がっていた。これが宇宙であるならば、やはりここにいる連中はコスプレイヤーではないのだろう。ただただ、この飛行機——もとい宇宙船が地球に着陸することを願うばかりだった。


 船内は決して広くはなく、人数も疎らだ。二十人くらいだろか、人外の姿をした者も幾人か見える。


「はぁ……」


 ため息を吐き、出発を待つ桃也。

 すると、


「隣、いいかな?」


 突然、勇者風の格好をした男が話しかけてきた。桃也は訝しみながらも頷く。


「ありがとう。失礼するよ」


 微笑む男はまぎれもないイケメンだった。銀色のサラサラヘアーに青い瞳。背中にはマントと剣を携え、額には勇者でお馴染みの鉢巻きのような兜。年は桃也より少し上といったところか。まさに、二次元の世界から飛び出してきたような男だった。


「もしかして君、初めてかい?」


「はぁ、まぁ」


 なにが初めてなのかはわからず、適当に相槌を打つ。


「失敬、まだ名乗っていなかったね。ぼくはキンドラム。〝キッド〟と呼んでくれ」


「どうも」


 会話をしたくなかった桃也は名乗らなかった。それでも、男は話しかけるのをやめない。


「いやぁ~しかし、久しぶりの長旅だよ。ワクワクするね。船に乗るのはスレイヤードラゴンを倒して以来かな。あの時の傷が痛まないと言ったら嘘になるけど、助けを必要としている人たちがいる限り、ぼくはどこにでも駆けつけるよ。それが勇者である者の使命だと思っているからね」


 ペラペラとよく喋る男だった。それも全て自分の話。よっぽどのナルシストなのだろう。これまでのキッドの言動から、中二病に罹っているとみて間違いないと桃也は思った。


「君さ、〝蒼眼のキッド〟って二つ名、聞いたことないかい? まぁ、ぼくのことなんだけどさ。あれはたしか――」


「あー、もう五月蠅うるさいッ!」


 キッドのお喋りを掻き消したのは、少女の怒号だった。

 通りを挟んだ隣の席、そこに座っていた赤毛の少女はアイマスクをずらして立ち上がった。

 


「アンタね、少し黙りなさいよ! どーでもいい話をペラペラペラペラ……五月蠅いったらありゃしない!」


 船内が静まり返った。少女はキッドを見下ろしながら続ける。


「たしか、キッドとか言ったわね。……なんだっけ? 蒼眼の? 聞いたことないんだけど」


 これでもかと嫌味をぶつけてくる少女。睡眠を邪魔されたのがよほど癇に障ったのだろう。

 セミロングの赤毛をサイドに結った少女は、盗賊風の服を纏い腰に短刀をぶら下げている。美少女だが、いかにも男勝りといった感じでどことなくギャルっぽい。年齢は桃也と同じくらいだろうか。幼さの残る顔とは裏腹に、チューブトップに隠された胸の発育は顕著だ。


「邪魔をしたのなら謝るよ。しかしね、無知を誇らしく宣言することはみっともないよ、お嬢さん」

 それでも、キッドは余裕のある態度を崩さない。立ち上がり、尚も続ける。

「改めて自己紹介しよう。ぼくは〝蒼眼のキッド〟。今後、嫌でもその名を耳にすることになると思うけど?」


 言いながら、握手をしようと手を差し出す。


「蒼眼のキッドねぇ……」

 少女は鼻で笑い、握手を拒んだ。

「無印のクセに、よくそんなことが言えるわね」


 いつの間にか、少女は例のスカウターのようなものを身に着けていた。


「き、君ッ! いきなりSYMシムを取り出すなんて無礼だぞ!」


 途端に取り乱すキッド。

 

 (へぇ、あれSYMっていうんだ)


 桃也は他人事のようにその様子を眺めている。


「無印が二つ名を持ってるなんて、にわかには信じらんないわね」


「君はずいぶん無印を馬鹿にしてるようだけど、生憎ぼくはそんな称号に興味ないんでね」

 桃也の目からも、キッドは強がっているようにみえた。

「それより、君はどうなんだい? この船はE級船だよ。レベル的には、君もぼくたちと変わらないんじゃないのかい?」


「残念、アタシはよ」


 少女は指を三本立てて言う。すると、手の甲に『108』という文字が浮かび上がってくる。


「なっ――」


 キッドが言葉に詰まり、周りの乗客たちもざわつき始める。『108』という数字がなにを意味するのか、もちろん桃也はわからない。


「おいおい、ナンバーズだってよ」

「トリプルとはいえ、100番台だぜ?」

「もうすぐダブルじゃねぇか。大型ルーキーだな」

「マジかよ、E級船なら頭目クラスだぞ」


 周囲のどよめきをよそに、一人無関心で出発を待つ桃也。会話のほとんどを理解できない桃也は、これ以上余計な混乱を招きたくはなかった。


「いい加減、静かにしろ」


 手を叩いて騒ぎを沈めたのは、髭を蓄えたガタイのいい短髪の男だった。男の左目にはSYMが装備されており、頬には大きな傷痕がある。注目を引くよう、客室内の先頭に立つ男。


「たしかにナンバーズはこの船じゃ珍しかもしれないが、たかがトリプルで騒ぐんじゃない。早く席につけ」


 男に言われ、キッドや周りの連中が座席に座り始める。赤毛の少女も舌打ちをして、渋々それに倣った。


「まずは自己紹介といこうか。俺がこの船の頭目、ディバインだ。よろしくな」


「ディバインって、あのダブルの?」

「マジかよ、B級船の稼ぎ頭じゃん」


 再びどよめきが起こる。


「その稼ぎ頭の俺がE級船で頭目ってのは納得いかないんだがな。まぁ、上からのご指名じゃ仕方ねぇってんで、はるばるやって来たわけだが……」

 ディバインはそう言って、客室内の連中を見渡して続ける。

「どうやら、正解だったみたいだな」


 その言葉がなにを意味しているのか、理解できていないのは桃也ただ一人だった。


「舐めやがって、オッサン……」


 ボソッと赤毛の少女が呟く。


「見たところ初陣バージン連中も多くいるようだな。ま、頭目は俺だ。お前らは安心して任務をこなせばいい。なにか質問はあるか?」


「あの……」


 手を挙げたのは桃也だった。


「なんだ?」


「話が全然みえてこねぇんすけど、任務ってなんなんすか?」


「はぁ?」


 雲行きが怪しくなり、桃也は訊ねずにいられなかった。


「つーか、この船地球に寄ってくれるんすよね? いや、俺バイトとかあるんで早く帰りたいんすけど……」


「おいおい、なんの冗談だ。この船は客船じゃねぇぞ」


「マジ!?」

 思わず立ち上がる桃也。

「 じゃあ、この船は一体どこ行くんすか!?」


「貴様……ふざけてるのか?」


 眉間に皺を寄せるディバイン。


「君ッ、いい加減にしたまえ。頭目に睨まれたら、いざって時に見殺しにされちゃうよ!」


 小声でキッドが訴えかけてくる。


「見殺し?」


「驚いたな。いくらルーキーとはいえ、こんなとぼけた奴がいるとは。貴様、救世主セイバーとしての自覚があるのか?」


救世主セイバー?」

 ディバインの問いに桃也は眉根を寄せる。

「なぁ、それって俺のこと?」


 キッドに訊ねると、「当たり前だろ!」と小声で怒鳴られる。


「君もぼくも、だよ!」


「そう言われてもなぁ……」

 桃也は頭を掻きながら言った。

「俺はここまでの記憶を失くしてて、さっぱりなんだよ。E級だとか無印だとか、わけわかんねぇ……。ちゃんと説明してくださいよ、頭目さん」


「ははッ、記憶喪失か。そりゃあいい!」

 ディバインは笑いながら桃也に近づいてくる。

「たいした度胸じゃねぇか。言い訳にしちゃ陳腐だがな。そんなに異世界救出に行きたくないってか」


「……イセカイキュウシュツ?」


 桃也とディバインの距離は、僅か50センチにも満たない。彼のイカつい顔面に、桃也も委縮気味である。間に挟まれたキッドも、さっきまでの威勢はどこへやら。丸くなってしまっている。


「そんなに嫌なら、帰ってママのおっぱいでも飲んでろよ」

 吐き捨てるようにディバインが言う。

「——とでも言うと思ったか? 生憎、渡航船アークは片道切符だ。残念だが、もう降りることはできない。自分の星に帰りたきゃ、せいぜい死なずに頑張るこった」


 心なしか頬の傷が赤く染まったようにみえた。桃也はごくりと唾を飲み込む。


「それからそこのお嬢ちゃん、俺はこう見えてまだ26だ」


「なんだ、聞こえてたのかよ。

 

 赤毛の少女は目を合わすことなく吐き捨てる。


「けっ、生意気なガキどもだ。テメーら、向こうでしっかりこき使ってやるから覚悟しとけよ」


 ディバインが踵を返すと、キッドは頭を抱えてしゃがみ込む。


「ああ、もう最悪だ。絶対ぼくも仲間だと思われちゃってるよ……」


《当機は 間もなくストレンジホールに突入します。乗員の皆さまはベルトの着用を—— 》


 出航を告げる電子音が鳴り、船内アナウンスが流れ始める。桃也はようやく覚悟を決め、この船に命運を託すことにする。


( よくわからんが、とにかく無事に戻って地球に帰る方法をさがさなきゃな…… )


「ところで君、さっきから気になってたんだけどさ……」

 座席のベルトを装着していると、キッドが訊ねてきた。

「その、頭に被っているモノはなんだい?」


「…………?」


 全く心当たりのない桃也。ふと、窓ガラスに目をやる。


 ( 頭? 別になにも被っちゃ―― )


 だが、そこにはがいた。


「なッ、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁッ!?」


 その瞬間、桃也はこれまでの顛末を全て思い出したのだった。


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