137話 自分自身の為に

 ♤


 脂肪はつけたくないが、筋肉も付けたくない。筋肉質な体型はもっと要らない。


 男なのにも関わらず、そんな変わった理想ボディを持つ俺は、日常的にストレッチをする。


 体に脂肪が貯まるのは、簡単に言えば摂取したエネルギーと消費したエネルギーとの差額から出たお釣りが脂肪である。


 食べたご飯の殆どは呼吸や体温調節、脳を含めた内臓の働きである代謝機能に消費される。運動はその次である。


 運動をしていないが食べても太らない人は、この代謝がいい人が多い。平熱が高い人とか。


 何が言いたいかといえば、つまり、いっぱい食べたから運動を沢山すればいいという訳でもない。


 しかし代謝の分だけ食べて運動を一才しなかったら、きっと筋肉は衰弱して、骨と皮の不健康な体になるだろう。


 その為に俺はストレッチをして、筋肉細胞を壊さず維持しているのだ。厳密に言うと壊されてはいるが、アップデートはするがアップグレードはしないという話だ。


「運動の楽しさに気づいたか」

「微塵も」

「だと思ったよ」


 何故か自主練中に遭遇した砂流に、何故かスポーツドリンクを奢られ、何故か「何で自主練をしているのか」と理由を聞かれた。


「リレーの練習に決まってんだろ」

「それを聞いてるつもりなんだけど」

「………………………………」


 別に大した理由じゃない。そして話しにくい理由でもない。言い淀んだのは、なんかしゃくに触ったからだ。


「毎朝こんな事してるの?」

「1週間前からな」

「……………リレー決まって即始めたんかよ」

「自慢じゃないが、俺は筋力も体力も無いからな」

「ほんとに自慢じゃねぇな」


 元からそんな体づくりは目指してなかったし、運動もあまり得意じゃなかったから、このままでは足手纏あしでまといも甚だしくなってしまう。


 体力の衰えは自覚していた。筋力は期待すらしていなかった。しかしそれ以上に体は動かなかった。


 始めた直後は全身筋肉痛で、今も少し足が痛い。


「筋肉痛は治らんし朝からめちゃくちゃ疲れるし、寝不足は溜まる一方だし日焼けは怖いし、練習始めてから碌な事ないけな」

「どっちかと言えばインドアの夜行性だもんな」

「陰キャとか思ったろ」

「その通りだろ」

「その通りだけど」


 お前もだろ。


「嫌でも苦手でもやるんだよ。やるって決めたんだから」

「……………………………」


 我ながら馬鹿で無意味なことをしてるなと思ってる。


 人には向き不向きがあるって事はよくよくわかってる。俺に運動の才能なんてないし、そもそも何の才能もない。生まれて15年と数ヶ月、自分の事は大体理解している。


 でもそれが理由で諦める訳にはいかない。


 俺は決めた。


 彼女の恋の、邪魔をする、と。


 好きな人の幸せを応援するのが道理だろう。それでも、俺は決めた。


 俺が高校であんな格好をしているのは、「自分らしくいよう」という意思の表れでもある。別に女装癖を見せびらかしたい訳じゃないし、男をたぶらかしたいとは微塵も思わない。


 たしかに初めは一目惚れではあったけど、話すうちに内面にも惚れてきて、彼女の泣き顔を見たくないと思うほど惚れ込んでいる。


 それでも俺は、俺のしたいようにする。彼女を愛したいし、彼女に愛されたい。


 今時女の子同士の恋愛なんて珍しくないし、蓋を開けたら実は男の子でしたなんてオチの漫画は、Twitterでよく流れてくるぐらいには浸透してる。


 俺は決めた。彼女の、俺に向けてではない告白に、俺の答えを。


「転んだら、その時はその時。それまで、何をしてきたかが重要だと、俺は思う」


 結論より過程だ。


 この決断でどんな結末になろうが、後悔はない。自分で選んだ事だから。


 いや、もし振られたら後悔するだろう。死ぬほど後悔するし、死にたくなるだろう。


 でも、前を向けるようにはなる。そんな気がする。


「人間、後悔しないなんて無理だ。どこかで必ず後悔する。なら後悔が残りにくい方に、それ以上に、面白い方に、自分がしたい方に賭ける」

「…………………いいなそれ。何の名言?」

「俺が考えた名言」

「それ聞いた瞬間萎えたわ」

「カスがよ」


 絶対振り向かせて見せる。絶対負けない。


 なんて事はこいつには言わないし、さっきの宣戦布告も、俺の胸の内に隠しておくつもりだ。だってそんな事言ったら、多分気を使うだろうから。


 俺らしくいよう。それが結論だ。


「ってかもうそろっと朝練の時間になるから帰るけど、お前は?」

「見つかっても武田ってバレないだろ」

「俺ってバレなくてもサッカー部以外が使ってんのがバレんだよ。一昨日は自主練しに来た部員と鉢合わせそうになったし……まぁ、もうちょい仕上げたいけど」

「じゃあ練習がてら走りながら帰るか」

「…………もとよりそのつもりだけど」

「生意気な。私のスピードに追いつけるとでも?」

「無理に決まってるだろふざけんな」


 すっかり硬くなった背筋を伸ばして、これから走るぞと、自分の体に声をかける。


 これだけ汗をかいてるからシャワーも浴びたいし、平日なら学校もあるのでメイクもしている。今日は休日ではあるが、レディの朝は忙しいのだ。


 奢られたスポーツ飲料も残り少ないし、帰り道にコンビニで捨てようと思い、走る前にもう一口だけ飲む。


 立ち上がって足を伸ばしていると、


「何でそこまで頑張るんだか」

「理由なんて1つしかないだろ」


 気合いの入った俺に、独り言のような問いかけを、砂流は呟いた。答える必要はなかったかもしれない。でも言いたかった。


「女子の前ではカッコつけたいに決まってる」

「…………………アホくさ」


 もう引き返せないところまで歩いてきた。茨の道を歩いて来た。せっかく痛い思いしてここまで来たのに、「やっぱり今までの無しで」なんて、興醒めしてしまう。


 後ろ指刺されようが罵倒されようが、今更痛くも痒くもない。


 好意に向き合えない方が辛いし苦しい。


「………………お前が男だって知ってんの、私だけだろうが………」

「ん?なんか言ったか?」

「足速くてモテんの小学生までだろっつってんの」

「…………………………………」


 そうじゃん。


 いや、でも、わからんぞ。ちょっとぐらいなら素敵って思ってくれるかもしれない。そう思わないと、今までの苦労が水の泡じゃんか。


 来週の土曜日、体育祭でこの特訓が無駄にならない事を願うばかりである。

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