135話 小さな事

 ♡


 運動自体は嫌いじゃない。アイツみたいに、運動神経が終わってるなんて事はないから、思い通りとはいかずとも、ある程度ならできると自負してる。


 それでもやっぱり、運動が好きで、努力を惜しまない人には敵わない。私は嫌いじゃないだけで、得意な訳でも好きな訳でもない。興味関心という領域の話しをすれば、絵の方がある。


 だから部活動に、いい記憶は殆どない。今ではそこら辺の女子より頭一つ飛び抜けた身長も、当時は平々凡々で、学年の差というアドバンテージには勝てなかった。


 その頃にはもう運動よりも絵を描くことにリソースを割き、鳳さんと出会ったのも合間って、部活動は更におざなりになった。


 それでも部活を辞めなかったのは、誘った友人に申し訳が立たなかったからだ。一生懸命に頑張る友人とやるバスケは楽しかった。模擬戦で同じチームになろうが違うチームになろうが、その時だけは楽しかった。


 でもスポーツを辞めた決め手はやはり、去年の引退試合前の、レギュラーメンバーから外された彼女が発っした一言。


木偶でくの棒」


 最初は同じ目線だったのに、気づけば上から見下ろすように伸びた身長が、忌々しく感じた。


 今思い返せば、思春期の女子中学生が発した、嫉妬心から生まれた、醜い、下らない、しょうもない感情による発言だった。


 それがあまりにも、私の胸をえぐった。抉り取るには十分な言葉だった。それはもう、本当にぽっかりと穴が空いたように。


 それ以来、私はボールを触るのが怖くなって、引退試合は散々で、この気持ちを何とか解消しようと、絵に逃げた。


 誰かに認められて、誰かに求められて、承認欲求に溺れ、ただひたすらを描いた。


 孤独を埋めるように、何もかも上手くいかない世を憎むように、己を呪うように、私はペンを持った。


 普通でよかった。やる事なす事全部裏目に出る。何もかもがコンプレックスだ。


 夢でいいから、作った世界でいいから、誰か私を見てくれと、1人にしないでくれと、盲目に描いた。


 ちゃんと見てくれてた人は居たのに。


「…………………何してるだろ」


 それは彼女に向けてか、自分に向けてか、彼に向けてか、自分ですらわからないが、無意識のうちに口から出た言葉だった。


 真っ白なスケッチブックの前で、何も成長していない自分を俯瞰しながら、もう一度ペンを握った。




 ♤


 現実逃避に本は最適だと、俺は常々思っている。


 仕事や趣味に没頭できないほどの辛い現実を切り離し、本の世界に飛び込むのは疲労が少ない割に快感が大きい。嫌な事も少しは忘れられる。


 そしてこんな時は既読書を読む事をオススメする。新しい物語は意外性の塊ではあるものの、読み慣れてないからいかんせん噛み砕きにくい。


 そしてお気に入りの本というのは、何度見ても面白いものだ。


「ごちそうさまでした」


 暇な休日に、後悔が残らない時間を過ごすというのは、並大抵な事ではない。一日中SNSを触っていた休日なんて思い出したくないだろう。


 ましてや、告ってもないのに失恋した後の、怠惰で意味もなく天井を見上げた記憶など。


 一緒に用意したお茶菓子とコーヒーを流し台に運ぶ。残りページは僅かで、オチもセリフも知っているけど、やはり読まずにはいられない。お代わりのコーヒーを用意してる間に皿を洗い流す。


 気がつけば時刻は午後4時を少し過ぎた頃。読み終わったら冷蔵庫の中身確認して、夕飯の買い物にでも行こうか。


 家族の仲がいいかと問われれば悪くはないと答えるのが我が家の家族事情。一般的な家庭ではないのかも知れない。


 両親の仕事時間は狂いやすい。単なる交代勤務でもないらしいし、夜職とか大人なお店で働いているという訳でもない。聞いてもわからないし、面倒臭くて聞いてない。


 仕事内容も大雑把にしか聞いていないが、少なくとも3人家族で暮らすには十分すぎるお金を稼いでいる。2人とも仕事が好きみたい。


 しかし今日は仕事がないみたいで、両親はもうそろっと起きてくる。ちなみに夕飯は俺が担当し、朝食は母親が担当している(昼食は俺だったり母親だったりまばらだ)。互いに気遣って武田家の食卓に重い食事は少ない。僕の夕食は両親の朝食にもなるが故。


 冷蔵庫をチラ見して俺は再び本を開く。


 読み戻ると不思議なことに、一瞬で本の世界に引き戻されて、一瞬でテンションも上がる。


 その後30分ほどで本を閉じ、興奮さめやらぬまま靴を履き、家族財布とエコバッグの買い物セットをカバンに入れ、ドアを開ける。


「いってらっしゃい」


 急に声をかけられてびっくりした。


 後ろに立っていたのは父親で、あくびを噛み殺す様に口に手を当てて、俺に挨拶をした。


「おはよう。夕飯さ、かぼちゃのポタージュとサツマイモの味噌汁どっちがいい?」

「………味噌汁」

「わかった。行ってきます」


 久しぶりに顔を見た様な気がした。同じ家で暮らしていても、声を聞かないなんてザラだ。一般的な家庭とは言わないのかも知れないけど、幼少期からこんなんだから、今更気にもとめない。


 ただ、久しぶりに家族と一緒に食事が出来ることに、少なからず嬉しいとは思ってしまった。


 今日の夕飯は気合を入れて作ろう。


 どうしようもない事に悩んでも仕方ない。あの恋は彼女の問題だから、俺が悩んでも仕方ない。


 今できる事をしよう。やりたい事をしよう。


 創作は凄い。人をポジティブにする。


 とりあえず今日の献立と、彼女のこれからどう付き合っていくかと、再来週の体育祭に向けた体力づくりを考えながら、俺はスーパーへ足を運んだ。

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