78話 既視感

 ♤


 更衣室に立て掛けられた時計の針は、方位磁石でいうところの北北東を指していた。つまりは13時5分。


 体内時計のしっかりしている人は腹が減るのか、鍵が付いている空っぽのロッカーがチラホラ。そういえばプールサイドにいた人達も俺らが入った時より若干減ってたような。


「……………早く着替えんと奴が暴れる」


 ロッカーの鍵を開け、持参したタオルで体についた水滴を吸収させる。


 そのまま海パンに手を掛けたところで、ふと気づく。


「…………あいつまだ泳ぐんなら、脱がない方がいいな………」


 砂流は喉が渇いただけで、水分補給したらまた泳ぐとしても不思議じゃない。体力的にもまだ余裕があるはずだし、俺も泳げなくはない。


 それにこの猛暑の中、砂流が泳いでる間ずーっと外で待機は地獄だ。


 とはいえ濡れた海パンをもう一度履き直す気持ち悪さは、想像したくないほど気持ち悪いので、変なリスクは負わないよう、素直にコンタクト取ろう。


 このコンタクトは意思疎通の方で、眼球付着レンズではないからね。俺視力いい方だし。


『何?』


「電話の第一声『もしもし』じゃないとこんだけ威圧的なんだな」


『もしもし』


「遅えょ」


『んで何なん?』


「あぁ、この後プールには入んのか?」


『何で?』


「それに応じて海パンを脱ぐか脱がないかが決まるから」


『ほーん』


 砂流は肯定でも否定でもない、相槌のようなよくわからない返事をしたのち、


『入んなくていいや』


 と呟いた。


「あいよ」


『あのさ、男の武田に聞くのも何だけどさ、…………プール上がりの胸にさらし巻いたら、蒸れて死ぬよな?』


「知らんがな」


 そんな情報はいらん。


「ブラ持ってきてないんかよ」


『いや、あるよ』


「じゃぁそれでいいじゃん」


『…………ブラつけると負けた気分になる』


「………お前ほんとに女かよ」


 俺は数少ない砂流の性別を正しく知ってる人間ではあるけどさ。


「自販機前のベンチ座っとくわ」


 多分男の方が着替えは早いから。


『りょ。私アク○リね』


「ポ○リにしてやる」


『わーい。奢りだー』


「んなわけねぇだろ」


 そう言って電話を切った。


 タイピングが面倒だから電話にしたけど、更衣室で電話はマナー違反ではあったな。今後気をつけよう。人がいなかったのは不幸中の幸いかな。ちょっと意味違うけど。


 海パンを脱ぎ水分を拭き取り、濡れた海パンとタオルをビニール袋へ入れ、私服に着替える。


 忘れ物がないかチェックするまでもなくロッカーは空っぽだが、一応確認。一度苦い経験もしたからな。


「……………………………蒸すな………」


 入った時より少しはマシになったとはいえ、ロビーは湿度がえげつなかった。


 受け付けにはお姉さんはおらず、おじさんが座っていた。水素消毒剤撒いてそうなおじさんやな。


 さっそく自販機にて水分を購入。百円硬貨を二枚投下しボタンをプッシュ。ボトルサイズのブラックコーヒー、君に決めた!!


 ガコンという中身の入ったペットボトルの落ちた音と、ジャラジャラという小銭が落ちる音が重なり、落ちてきた物を両方とも拾って、空いてるベンチに座る。


 パキッ。ペットボトルの蓋をひねると気持ちいい音が鳴る。この蓋が上下に分かれる(割れる?)のは開封済みかそうでないかを見分ける為らしい。どうでもいいけど。


「……………………ッ!!……クゥ〜!!」


 キクゥゥゥゥッ!!生きてて良かった〜。


 キンキンに冷えたコーヒーが体の隅々まで染み渡る。投下されたコーヒーが血液を辿り、毛細血管から指の一本一本まで行き、血液脳関門が開き脳にカフェインが届き脳細胞と神経系が奇声が上げているのを感じる。


 スッキリタイプのコーヒーだからゴクゴクいける。止めらんねぇぜ。


 なるほど。夏にビールが飲みたくなる心理がわかった。コーヒーは炭酸ないけどな。


 喉は渇いてないはずだったのにもう半分も飲んでしまった。砂流を待つ間にチビチビと飲むか。


 待ってる間暇だからその空き時間に日焼け止めでも塗るべきかな。水泳用の日焼け止めじゃないと泳いでる間に薄れたり剥がれたりするので、禁止事項の一つになっていた。普通の日焼け止めしかなかった俺は塗らずに泳いでいたせいで少し焼けたかも。今のうちに塗っとくか。


 バッグから日焼け止めクリームを取り出しぬりぬり。髪の毛も乾かしたいけど、ドライヤーはなぁ、銭湯じゃあるまいし、男子更衣室にはあるはずもない。仕方ないのでタオルで応急処置を。


 暇つぶしのお手入れに忙しくしていると、一つの足音がこちらに近づいてくる。


「おっせーぞ。待ちくたびれて日焼け止め塗りきれてないからちょっと待って」と、悪態の一つでも言ってやろうかと思ったのだが、それは口から出る寸前で、喉の奥へと引き返してしまった。


 なぜなら。


 足音は二つあったから。


「お姉さん綺麗だね。1人?この後時間空いてるかな?」


「…………………………?」


 話しかけてきたのは2組の男達。随分と前にも似たような事が……。デジャヴ?


 そしてどうやら。


 スッピンのはずの俺を、マジに女だと思ってるらしい。

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