76話 すいみんぐ
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その後、感覚ばかりで教えてくる砂流教官のレクチャーで、ぎこちないながらも、なんとかクロールが出来るようになった。みんな拍手!パチパチ!
これが出来るまで約1時間かかった。まだ午前中で閉店(?)まで余裕はあるが、体力の余裕はなかった。体を不自然に使ったせいで無駄に疲れて、ろくにカロリーも燃焼されていないというダブルパンチ。
「おら!泳ぐぞ武田!何しに来たんだ!」
「まるで運動部の顧問だな」
何しに来たかと問われれば、もちろんこのお腹を燃やす為。火つけたら勝手に燃えないかなーとか思ったりするけどね。
泳いで効率よく燃やそうと思ったのに、スタート時点でバテているようでは効率もクソもない。完全に誤算だった。
「………立案お前だろ。何呑気に休んでんだ」
プールサイドに腰掛けて休んでいたら、50mプールを何往復かして砂流が戻ってきた。
ゴーグルを額にずらし、顔のついた水を払って、しっとり濡れた前髪をかき上げる様は、残念ながら男心くすぐるもので、砂流相手にときめきメモリアルしてしまった。
つまりバカ絵になる。
「……………お前ほど体力ねぇんだよ。さっき泳げるようになっただけでも大収穫だ」
「ふーん………………。ま、それでいいなら別にいいけど」
「おい目線腹に向けんな殺すぞ。あと、いいわけねぇだろ。今日で落とすんだよこの腹!」
「へー。………………そんな出てるようには見えないけどねぇ」
見えないだけでちゃんとあるんですよ。蓄積したカロリーはどこにも飛んでいかないんですよ。いつの間にか家出してほしいのですがね。
「そんなん言ったらお前もだろ」
「…………そー、か?」
砂流の体は今水中にあるからわからないが、入水前の水着姿のままでも、そんなに出ている印象はなかった。
「誰だってそうだろ?正しく自分を見れる奴なんて1人も居ないだろうよ」
「まぁ…………そっか……………」
俺が太っていると思っていてもいなくても、他人はそこまで思ってない事の方が多い。それは俺には俺の理想があって、他の人はそれが見えてないからだと思う。
なんて、こんな話してもどうにもならないんだけどね。
「俺も泳ぐかー」
日光に照らされて上昇した体温を、プールで一気に冷やす。気持ちいいのだが心臓には悪そうだ。
「それって、私たちにも言える事?」
「……………何が?」
お前も泳ぐんとちゃうか?
「自分じゃ自分を正しく見れないって話」
「………………………」
それは女装、あるいは男装についてという事だろうか。だとしたら、ちょっと解釈のズレがあるけど、まぁいっか。
「…………仮に正しく見れたとしても、それを受け入れられるかどうかは、そいつ次第なんじゃねーの?知らんけど」
ぎこちないクロールを再開する。
妙な会話になってしまった。日の光でのぼせたか?
日光の浴びすぎで光合成が手に入ったら、飯食わなくてもエネルギーの摂取できるから、太らない体が永遠に手に入るのになぁ。
そんな人間であり植物である新たな生物になりたいという危険思考を持ちながら泳いでいると、いつの間にか後ろにいた砂流が、白い目で俺を見ていた。
「………………何?」
「…………もっと早く泳げん?」
「無茶言うな」
こちとらさっき泳げるようになったばかりだぞ。
真後ろで平泳ぎしてくっついてくる砂流。遅いと急かしてくる。一時期前に問題になった煽り運転の被害者の気持ち。
「なら追い越して泳げばいいだろ」
「……………わかった」
足をついて水中に立ち止まると、砂流は平泳ぎからクロールに切り替えて俺の横を通り過ぎる。その時、ゴーグルをしててもわかるドヤ顔を向けていたので、たまらず中指を立ててしまった。
奴はスポーツ万能ってわけじゃないんだろうけど、運動神経がいいからか、クロール姿がちゃんとしてる。「綺麗」なんていう言葉は使いたくないが、言葉を選ばずに言うとフォームが綺麗なのだ。
「………………まぁ、目的は腹を落とす事で、上手くなるのが目的じゃないからな」
あんな風になる必要はないと、言い訳のような独り言を漏らす。
砂流がプールの端に到着しクイックターンと呼ばれる、水中で足を丸めて前転し、壁を蹴って戻ってくるという「オリンピックで見るアレや!」みたいなターン方法をして、こちらに戻ってくる。
そしてぎこちないクロールをする俺の横を通り過ぎ、顔半分水面に出す息継ぎの、ほんの1秒にも満たない時間にこちらを見て、
「フッ」
と鼻で笑った。
息継ぎのために顔を出したのに、鼻から息を出すなんて、頭おかしいのでは?と言っても聞こえないだろうから、またしても俺は中指を立てることしかできなかった。
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