37話 観測しないシュレディンガー

 ♤


「口止め料ってことでいいのかな?后谷」


 カルピスソーダの缶を開けて、プシュという音が響く。


「そうだよ」


「わーい奢りだ奢り」


 昨日のマックシェイクを忘れているのではなかろうか。いや、あれはカツアゲか。


 残り時間少ない昼休みに何度も旧校舎に来るほど俺は暇じゃないんだが、こればっかりは仕方ない。


「にしてもびっくりしたよー。本当に女の子してるし、一瞬別人かと思ったー」


「そのまま別人だと思って立ち去って欲しかったなー」


「ふふん。この可那ちゃんがこんな面白い事をスルーするはずないですよー」


 俺としては女装バレが危うい状態で、これ以上関わりたくないのだが、本能的にこんな完璧スタイル女子を逃すまいと、ズルズルとコミュニケーションしてしまってる。


 昨日は2人を見失い、すぐに砂流へ連絡を入れて可那とは別れた。だから可那が俺をどう受け取ったのかわからない。


「で、可那は俺をどっちだと思ってるんだ?」


「どっちでもいいと思ってるよ?」


「…………………」


 どっちでもとはどっち?


「男の体でも女の体でも、男心でも女心でも、后谷は后谷。決定付ける事じゃないと思うよ」


「なるほどねぇ………」


 つまり可那は俺をまだ心と体が一致しないトランスジェンダーと思っているわけだ。そしてそれを追求する気はないらしい。おそらくではあるが。


「でもさ、トイレとかお風呂とかはどうするのかなーって、思わなくも無きにしもあらず」


「どっちだよ」


「どっちでも」


「…………………」


 こいつさ。何というか、マイペースすぎてついていけない。てか俺のペースを崩しながら話すから、例えると会話のキャッチボールが変化球ばっかりなのだ。掴みにくい。


「やっぱりマックで見た后谷と、制服の后谷は違うねー。男の娘って感じ」


「話し方にトゲがありますけど、可那さんも人のこと言えないですよ?」


「えへへー。それほどでも……ある!」


 昨日の、つまり私服の可那と制服の可那でイメージが違うのは当たり前なのだが、それ以前に雰囲気が違う。昨日のファッションは中性的な、砂流と似たような感じだったが、今はめっちゃ女の子って感じがして、色々な服を着せたくなる。


 というかメイクが違う。


 昨日の可那はナチュラルメイクだったが、今日のはいささか本腰を入れたような感じがする。でもメイクをしない人にはわからない微々たる違いだが。


 俺もナチュラルメイクで学校に来ているが、化粧は普通に校則違反だ。


「…………昨日はコンタクト?」


「ただのカラーコンタクトだよ」


「じゃあなんでメガネ?」


「ちょーーーっとだけ度があるのコレ」


「遠眼ってやつか?」


「ほぼ伊達メガネ」


 たしか昨日あった時、レッドブラウンのコンタクトをしていたはずだったが、今はメガネをしてる。しかも伊達らしい。何がしたいんだこいつは。


 あとは髪型だ。


 昨日のゆるふわウェーブを後ろで結び、低めのポニーテールにしてる。前髪も少しピンとしていて、あのウェーブが行方不明になっている。


「人の事言えないけど本当に雰囲気違うな」


「褒められちったー」


「褒めてない」


 髪型一つで印象がガラッと変わるのは、コスプレイヤーでなくても、漫画家でも、一般人でも知っている事だが、伊達メガネと組み合わせるとほとんど変装に近い。あと昨日は逃してしまい変装すらできなかった自分を呪いたい。


「でもさ、びっくりしたよー。本当に隣のクラスに后谷いるんだもん。しかも女子って書いてあるし」


「……………何に書いてあった?」


「入学の時にもらったクラス分けの名簿」


 可那は内ポケットから折り畳まれたプリントを差し出す。


「ほら」


「…………よく持ってんなそんなもん」


 実際には俺も持ち歩いている。スタイルがいい感じの生徒は学年問わず名前を暗記したいから。あわよくばそっちの道に引き摺り込みたい。


 すると。


「あっ、予鈴鳴った」


 キーンコーンカーンコーンと、一年生でも慣れ親しんだ鐘の音が響き、昼休みが残り五分で終わると告げている。


「ねぇねぇ。最後に一ついい?」


「なんか質問か?今日の下着は黒だぞ」


「おっふぅーっ!セクシーィ、じゃなくて」


 やっと俺のペースで会話できた気がする。


「后谷はなんで普通に話してくれてるの?」


「は?」


 一気にペースを戻された。そして何言ってるのかわからない。


「あん時に話しかけられたからだろ?」


「そうだけどそうじゃなくて」


「じゃあどうなんだ?」


「あれだよあれ」


「どれだよ」


 認知症かよ。


「普通に話してくれるじゃん」


「……………?」


 何言ってるのかわからない。認知症かよ。


「次、移動教室だから先行くねー。んじゃまたー」


 ばいばーいと後ろ歩きで遠ざかっていく可那は、階段あたりで方向転換し、階段を登って行った。ついていってパンツを覗きたかったが、不審者になりたくないので止まった。


 最後の最後までマイペースなやつだ。意味わからん捨て台詞を吐いていったし。


「………………海鷺さんと話し損ねたじゃんかよ………」


 あの可那野郎め。俺の癒しを邪魔しおってからに。罰として今度コスプレしてもらおう。

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