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 結城はその日、早めに家を出た。教室で網野と待ち合わせをしていたのだ。

 昨日行われた、学級委員選任選挙の開票業務のためであった。

 登校時間を少し早めるだけで、校舎の雰囲気は大きく変わる。人は少なく閑散としている。教室にはすでに網野がいたが、他のクラスメイトは一人もいなかった。

「おはよう、網野さん」

「おはよう、さっさと済ませましょ」

 網野と結城は、投票箱が置かれた教卓の前の席四席をくっつけて、開票作業の場所を確保した。教卓には朝日が照りつけていた。

 結城が箱を開けようとすると、網野が制した。

「これ、昨日より傷んでない?」

 結城はまじまじと投票箱を見た。昨日の状態を正確に記憶していないからか、特に変化は感じられなかった。

「僕にはそうは見えないけど。昨日もこれぐらいボロかったよ。とりあえず、開けよう」

 網野はそれ以上言わなかったが、怪訝な顔で結城が箱を開けるのを見守った。結城は箱を開け、先程くっつけた机へ中身を出した。このとき結城は初めて票全体を見たが、思っていたより少なく見えた。

 まずは、票の総数を数える。目分量で二つに分け、網野が半分、結城が半分を数えた。二人の数を足し合わせる。足し算をした結城が気づいた。

「あれ、四十票にならない?」

「クラスは四十人いるでしょう、四十票でいいんじゃないの」

「いや、僕と網野さんは選挙管理があるから投票していないじゃないか」

網野は小声で「あ、そうか」と言って、また怪訝な顔をした。

「もう一度数えてみよう」

 やはり四十票あった。結城は少し考えたが、考えうる可能性はひとつくらいしかなかった。

 票の改ざんである。

「網野さん、これって、票の改ざんでは?」

網野はあきれた、といったようなため息をついてから、結城を見た。

「それ以外ないじゃない。すでに問題は、だれが、いつ、なぜ、どうやったのか、に移っているわ」

 結城は、網野がこういうときにするような、いつものあの顔をしているのに気がついた。結城にはその顔が、ちょっと楽しそうに見えるのだった。

「いつやったのか、は、昨日の放課後から今朝までのいつでも同じことで、教室に放置されていたのだから、いつだってチャンスがあった。

 なぜやったのか、もだいたい予想がつく。犯人は、学級委員になりたくなかったのよ」

結城は疑問を口にした。

「学級委員をやりたかった、ってことは?

 票を嵩増しする、なんていうのは選挙結果改ざんの常でしょう」

「学級委員をやりたいのなら、最初から立候補すればいい話よ。立候補者が居なかったから、この選挙は行われたの」

それもそうだ、と結城は思った。

「どうやったのか、も単純。この箱を開けて、自分に投じられた票を誰かの票に入れ替えればいいだけ。

 問題は、その学級委員をやりたくなかっただれかさんが、一体だれなのかよ」

 四十人中の誰かであることはわかっているが、そこから容疑者を絞るのが安易でないことは結城にも想像できた。遅くまで教室に残っていた人が怪しい、などという単純な話ではない。

 昨日の放課後から今朝まで、誰もが出入り出来たのだから。

「手がかりはほぼないわね。ただ、こういうことに慣れていなくて焦ったのか、票を多めに入れてしまったみたいね。私たちが投票していないのを知らずに」

「このクラスに、こういうことに慣れている人、なんて居ないと思うなぁ。以前として四十人が容疑者だ」

「私と結城くんを抜けば三十八人よ」

結城は少し驚いた。

「僕を犯人から除外してくれるとは、一応信頼されているみたいだね」

網野はまたあきれたように、

「あなたはすでに学級委員なんだから、動機がないでしょう。合理的な除外よ。

 現状では、これ以上容疑者を絞りようがないから、とりあえず開票してみましょう」

 結城は少し不服だったが、しぶしぶ開票を始めた。票に書かれた名前を黒板に書き、すでに黒板に書かれている名前なら、名前の下に一本追加する。正の字が出来上がっていく。

 結城にとっては意外な開票結果となった。もっとも学級委員に推薦されていたのは、惣田という人物だった。結城はこの人物に心当たりがあった。

 網野は結果を見て、

「順当な結果ね」

と言った。結城は首を傾げた。

「正直、意外な結果だと思うな。惣田さんだったら、票の改ざんをしそうだと思ったから。改ざんして一番なら意味がないし、どういうことだろう」

「いいえ、だからむしろ順当なの。この事件は惣田さんの仕業じゃない。彼女なら、もっと上手くやったでしょう。彼女がやったなら、改ざんが露呈することもなかったはずよ。

 学級委員は二人だから、二番目に票が集まった人も学級委員になる。だから、三番目以降で一票以上票が入っている人たちが容疑者ね」

「一票以上、というのは? 犯人が、一票も残さず入れ替えたってことは考えられないの?」

「犯人にはもともと、かなりの量の票が入っていたはずよ。それを全て入れ替えたら、犯人に投票した人が、開票結果を見たときにおかしいと気づいてしまう。それを避けるためには、数票を残しておかなければならない。とすれば、当選しないまでも数票を集めた人たちが怪しい」

「犯人だったら何票残すだろう。一票では心もとないから、二、三票は残すかな」

「それは推測しようがないわ」

 網野は考え込んでしまった。そろそろクラスメイトが登校してくる時間帯だ。選挙に不正があったことがクラスメイトに知られ、騒ぎになるのは避けたかった。結城はとりあえず黒板を消し、票を箱に戻して、箱を元の場所に置いた。

「網野さん、これ以上はどうしようもないから、とりあえず、先生に報告しよう。僕らができることは特にないでしょ?」

「僕らができること、ね…… そうか、一番単純な方法を考慮していなかったわ。わざわざ推理で犯人を特定する必要はないじゃない。

 そうなると…… 結城くん、職員室に行きましょう」

 結城は、自分で提案した行動に置いていかれる状況になった。

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