第3話 ネタバレと脚本家

 キャプテンの鑑賞を終えて帰宅した俺は、ワンルームの隅に鎮座するベッドへ腰を落とし、スマホであの変態の情報を集めることにした。

 他にあいつの被害に遭っている人間はいないか、どこかで目撃情報はないか。

 「映画泥〇棒」で検索をかけたり、あいつの名乗った「ネタバレマン」で検索をかけてみたりしたが、目ぼしい情報は得られなかった。俺が「マーダー・オブ・オリエント・エクスプレス」のネタバレをされたあの日に撮影したと思われる、遠目の写真がツイッターで一件見つかっただけだった。

 やはりあの変態は俺だけをターゲットにしているのか。

 では、なぜ。なぜ俺だけを狙う。


 誰かの恨みを買ったのだろうか。俺が自分でも気付かない内に人を傷付けていて、その人から腹いせに嫌がらせをされた?

 しばらく心当たりを探してみたが、思い当たらない。

 俺から往復ビンタされたあの友人が実は根に持っていたのかとも考えたが、彼はかなり特徴的なハイトーンボイスなので聞けば一瞬で分かる。

 それにあの変態の声はどちらかといえば壮年寄りな印象だった。どこかで聞いたことがあるような気もするのだが、それがどこなのか、誰なのかは全く分からない。

 暗中模索の果てにもヒントは一切見つからず、俺は仕方なくこの件を横に置いて、頭を切り替えることにした。

 ベッドの対面にあるデスクへ向かい、椅子に座る。

 ひとまず映画レビューアプリにキャプテンの感想を記録してから、俺は趣味である脚本作りに取り掛かった。

 

 ◇


 いつからだろう、脚本家という存在に目を向けるようになったのは。

 幼い頃からずっと映画は大好きだったが、初めは映像の中の非日常的な出来事を追体験できればそれで満足だった。

 何が自分の心をたかぶらせ、感動させるのか。そこにどんな技術が駆使されているのか。そんなことにまでは考えが及ばなかった。

 転機になったのは、そう……確か中学生の頃だ。普段は映画の本編を鑑賞し終えたらすぐにプレーヤーからDVDを取り出していたのだが、その洋画を鑑賞した日はかなり暇を持て余していたのもあって、気まぐれで特典のメイキングを観てみることにした。

 そこに収録されていた脚本家のインタビューに、俺は頭をかち割られるような衝撃を受けた。


 自分の感情が、全部この人の狙い通りに誘導されていた。


 笑い、興奮、悲しみ、感動。

 目に見えない、誰にも触ることのできないはずの自分の心を、この人は操った。

 その胸のざわめきを何と表現すればいいのか、当時の俺には分からなかった。

 恐怖ではない。でも、純粋な尊敬の念だけでもないその感情。

 今ならそこに、畏怖いふという言葉をはめ込むことができる。

 だけど、中学生時代の俺にはまだそんなボキャブラリーは無く、ただただ「凄い」と、そう呟くことしかできなかった。

 以後、俺の映画鑑賞の焦点は次第に「映像」から「物語」へと移っていき、やがて自分で物語を紡ぐことに憧れるようになった。

 

 脚本家になりたい。


 そんな夢も、漠然と抱き始めていた。

 でも、俺にとってそれはあくまで夢のままだった。

 実際にパソコンと向き合って脚本を書いたり、小説を書いていく中で、俺は常にあのメイキングの脚本家と自分を比較していた。

 俺が書いているものは、あの人と勝負できるレベルのものなのか?

 自分の問いかけに、とてもイエスとは答えられなかった。


 相手はプロだぞ。レベルが違って当たり前だろ。


 何度も自分をそうやって慰めたが、数年間どれだけ執筆を重ねても向上しない自作の質、己の才能の無さに絶望して、俺はやがて夢から目を醒ますこととなった。

 諦め。初めて経験する大きな挫折。

 社会への船出を目前にして、俺の中のロマンチストは完全に姿を消し、いかにサラリーマンとして可も不可もない人生を送るかだけを考える、面白味の無い人間性だけが後に残った。


 ◇


 かといって、物語を作ること自体が嫌いになったわけじゃない。

 頭に浮かんだアイデアの種から想像を広げて一つのストーリーにし、それを文章化する。

 その行為は趣味としてなら凄く楽しいことだ。だから俺は今でも日常の息抜きに脚本を書いたり、ちょっとした小説を書いたりしている。

 俺がネタバレに過剰に反応するのは、もちろん自分の楽しみを壊されたくないためでもあるが、それに加えて物語の作り手としての怒りもあるのかもしれない。

 アマチュアとはいえ、物語の産みの苦しみは理解しているつもりだ。だからこそ、その苦しみの結晶に唾を吐きかけるような行為は許せない。

 どんなに小さくて鈍い輝きの結晶でも、そこには作り手の魂が込められている。観る者を楽しませるために重ねた創意工夫、試行錯誤の結晶。それが映画を始めとしたエンターテイメントだ。

 悪意のあるネタバレによってその結晶に泥がかけられてしまったら、観客は本来の輝きを知ることができなくなる。作り手も観客も誰も幸せにならない。


 もちろん世の中にはネタバレを気にしない人もいるし、むしろ自分から踏みに行くような人だっている。

 結末を知った上で、そこに至るまでどうやって話が展開していくのかを楽しむ。それも一つの楽しみ方なのだろう。

 だけど、少なくとも俺はその楽しみ方ができる人間じゃない。

 俺にとってネタバレは究極の不幸。そして俺にネタバレを喰らわせるあの変態は、正に天敵と言える。


 どうすればいい。あいつの魔の手から逃れるには、どうすれば……。


「……って、結局あの変態のこと考えてんな」

 気分転換に脚本を書くつもりが、気付けば筆は全く進んでおらず、ネタバレマンのことで頭が一杯になっていた。

 あー、何かちょっと疲れたな。軽く昼寝するか。

 俺はアイスコーヒーを淹れてサクッと飲み終えると、部屋の明かりを消してベッドの布団に潜り込んだ。

 普通はコーヒーを飲むと眠気が覚めるはずだが、俺は逆でカフェインを摂取するとなぜか眠気が来る。

 そして布団に入って数分も経たない内に、俺は心地良く眠りに落ちた。


 ◇


 一時間ほどの眠りから覚めて、頭を枕に乗せたままスマホをいじっていた俺は、ツイッターで来週公開予定のある映画の特別映像が公開されたことを知った。

 その作品のタイトルは『クワイエット・ゾーン』。

 音に敏感な正体不明の何かによって多くの人間が死に追いやられた世界で、とある家族がサバイバルを繰り広げるというホラー映画だ。

 今日の『キャプテン・リバティ』の上映前にもこの映画の予告編が流れており、それに夢中だったせいで俺はあの変態が入場してきたことに気付かなかったわけだが、とにかくこの映画は観客も思わず呼吸を止めてしまうほどの緊張感が売りらしい。

 確かに、予告編を観ただけでも俺は息をするのを忘れそうになっていた。映画の中には絶対に劇場で観るべき作品というものがあるが、この映画はおそらくその類の作品だろう。何としても公開日の朝一には駆け付けたい。


 しかし、やはり問題はあの変態だ。

 俺は『マーダー・オブ・オリエント・エクスプレス』も『キャプテン・リバティ』も、両方朝一の回で観に行き、そしてネタバレを喰らった。

 もし奴が俺の朝一ポリシーのことを知っていて、待ち伏せていたのだとしたら。

 次も朝一で観に行けば、三度みたびネタバレの被害に遭う可能性がある。

 今度は時間をずらして行ってみるか。もしくは、少し遠出にはなるが別の劇場へ観に行くという選択肢もある。

 スマホ片手に頭を悩ませていると、不意にそのスマホの着信音が鳴った。

 画面を見てみると、そこには見覚えのない電話番号が表示されていた。

 ああ、そういえば今日の夕方からガスの点検だったっけ。おそらく業者の人が在宅確認で掛けてきたのだろう。

 俺は体を起こしてすぐに応答した。


「はい、もしもし」

『クワイエット・ゾーンの主人公一家の父親は、娘達を守って死ぬ』

 

 ……………………は?

 

 状況を理解できずに固まる俺をよそに、その男は通話を切った。

 え、何が起こった? 今の声は……。

 

『クワイエット・ゾーンの主人公一家の父親は、娘達を守って死ぬ』

 

 脳内で反芻はんすうする声。間違いない。奴の声だ。

 またネタバレを喰らった。もちろんそれもショックなのだが、それよりも――。


「……何で」


 ――何で、俺の電話番号を知っているんだ。

 どういうことだ。やっぱりあいつは、俺の知り合いなのか?

 ……いや、番号自体は俺の番号を電話帳に登録している誰かから聞き出そうと思えばできないことはない。

 ただ、いずれにしろ奴は俺に近しい存在で、しかも明確に俺を狙っているということがこれでハッキリした。

 ますます疑問が膨らんでいく。


 誰だ。ネタバレマン。お前は一体、誰なんだ。

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