第2話 ネタバレとキャプテン

 来るな。来るなよ。頼む。絶対来るな!


 いつもの劇場のロビーで、俺はソワソワしながら目当ての作品の入場開始を待っていた。

 今日観に来たのは、アメリカのコミックを実写化した人気ヒーロー映画シリーズの最新作、『キャプテン・リバティ/ウィンター・アベンジャー』。

 このシリーズは他のヒーロー映画と世界観を共有しており、単体でも一本の映画を作れるようなヒーローが、サブキャラクターとして続々と登場するのが特徴だ。多数のヒーローが協力して、強大な悪に立ち向かう。シンプルではあるが、やはり男としては惹かれる設定だ。

 しかもこのシリーズは現代の様々な社会問題を違和感なくストーリーに落とし込んでいて、大人が繰り返し鑑賞するにえうる作品の奥深さを持っている。

 今作『ウィンター・アベンジャー』では、正義をテーマにしたポリティカル・スリラーの要素を取り入れているらしく、これまた日本に先駆けて公開された海外での評価は、それはもう良い意味でえげつない事になっているらしい。


 当然俺はこの映画に関してもネタバレを絶対に踏まないように、ありとあらゆる対策を講じてきた。

 公開が近付いてからは映画情報関連のサイトは見ないようにしていたし、ある友人がこの映画のことを「そういえばキャプテンの最新作~」などと話題に持ち出そうとすれば、すかさず往復ビンタで黙らせた。

 荒くれ者だって?

 違う、俺は過去にその友人からネタバレを喰らった経験があるんだ。

 だからそれ以降、彼が不用意に期待作の話をしようものなら、断腸の思いでちゅうすることにしている。俺だって本当は往復ビンタなんてしたくない。


 ともあれ、それくらい楽しみにしていたこの映画。

 ようやく迎えた今日の公開、残る懸念はただ一つ。あの変態だけだ。

 先日の『マーダー・オブ・オリエント・エクスプレス』の件は、俺のトラウマになってしまった。

 元々俺はよく悪夢を見る方ではある。コンプレックスである左目の下のホクロが滅茶苦茶巨大になる夢とか、意味不明な夢にしょっちゅううなされている。

 だがここ最近ではそういった夢の代わりに毎晩あの変態が夢に現れるようになり、俺が楽しみにしている映画のネタバレを耳元で囁いてくるのだ。

 もちろん夢の中なのでそのネタバレは支離滅裂なものだし、実際の映画の展開とは異なるはずだが、それでもネタバレを喰らう絶望感と共に迎える寝覚めは、掛けなしに最悪の気分だ。

 昨夜もキャプテンに備えるため、いつもより早く布団に潜り込んだのだが、夢にあの変態が出てきたせいで何度か夜中に目覚めてしまった。

 おかげであまり疲れが抜け切れておらず少し体が重いが、映画の上映が始まればそんなのも全部吹き飛んで、俺はスクリーンへ目が釘付けになっているだろう。


 あと数分。あと数分で入場が始まる。今のところあの変態の姿は見えない。

 いいぞ。このまま姿を現すな。そう、この前のアレは幻覚だったんだ。あんな変態が存在するわけがない。あの囁きも、俺の幻聴。それが偶然ネタバレになってしまったが、本当にたまたま。大丈夫、今回はネタバレなんて喰らわない――。

 目を瞑ってそう自分に言い聞かせていた時だった。

「ちょっと、あれ……!」

「え、ウソ……!」

 ロビーの人々が不自然にザワつき始めた。

 ……まさか。

 背筋に悪寒が走る。

 そんな。嘘だろ。もしかして、奴が……?

 恐る恐るまぶたを上げた。人々の視線にならって入口へ目をやると、そこには――。


 ――ワンッ。


 犬。


 毛並みの美しいゴールデンレトリバーが、尻尾を振りながらロビーへ侵入していた。

 何だ、犬か。いや、これも中々見かける光景ではないんだけど、とりあえずあの変態じゃなくて安心した。

 俺はふーっと息を吐き出して、手に持ったカップのジンジャーエールを一口飲んだ。ほんと、変な冷や汗を掻いてしまった。

「かわいい~!」

 若い女性たちが犬の元に集まってはしゃいでいる。

 首輪が付いているが、飼い主とどこかではぐれてここに迷い込んでしまったのかな。

 チケット売り場のスタッフが慌ててカウンターを離れ、その犬の元に向かった。


『大変長らくお待たせ致しました。ただいまより、九時十五分上映、一番スクリーン「キャプテン・リバティ/ウィンター・アベンジャー」の入場を開始致します』

 そして、ロビーに待ちわびたアナウンスが響く。

 よし。無事にこの時を迎えた。入場口に大勢の人が流れていく。

 俺は犬の扱いに悪戦苦闘するスタッフの様子に思わず顔をほころばせてから、入場の列に並んだ。


 ◇


 一番スクリーンの、中央より一つ前の席に俺は座った。ここがこのスクリーンのベストポジション。俺はこの席を確保するために、毎回オンラインで座席予約をしている。 

 金曜日の朝一ではあるが、会員デーの効果もあってか客入りは上々のようだ。初日の初回上映に駆け付ける熱心なシリーズファンがこんなに居るのを見ると、俺も一ファンとして嬉しい気持ちになる。

 照明が暗くなってスクリーンに予告編が流れ始めてからも、続々と客が入ってきていた。

 だが、意外にも俺の両サイドの席はまだ誰も着席していない。かなり見やすい位置なんだけどな。まあ、他にも見やすい席が残っている状況で、個人客の真横を取る人はそうそういないか。

 などと考えていた矢先に、右隣へ若い男性客が着席した。

 チラッと見えたTシャツのロゴは、キャプテンのものだった。

 ああ、やっぱり作品愛に溢れたファンっていいな。俺もキャプテンのTシャツ着てくれば良かったと、軽く後悔する。


 更に数分後、俺はとある作品の予告に夢中だったため気付くのが遅れたが、空いたままだった左隣の席にも誰かが着席した。

 そしてついに最後の予告の上映が終わり、場内の照明が完全に落ちる。

 さあ、始まるぞ。胸のワクワクが最高潮に達する。

 今作は正体不明の強敵が現れるらしいからな。一体どんな激しい戦いが待っ「左から失礼」


 ……ん? 

 俺の左側から聞こえたその囁きは、聞き覚えのある声だった。

 脳内のライブラリーからその声の主を探り、俺はフリーズする。

 ……いや、待て。まだ分からない。俺は声の主の姿をまだ見ていない。もしかしたら声が似ているだけの別人かもしれないだろ?

 そもそもあんな怪しい恰好の奴が、入場口を通過できるわけがない。俺がスタッフだったら、全身黒タイツのデカいビデオカメラ頭の変態が入場しようとした時点で即警察を呼ぶ。

 そうだ。この人は別人だ。きっとそうだ。

 俺は意を決して左に顔を向けた。

 そこには、全身黒タイツのデカいビデオカメラ頭の変態が、足を組んで腰を落ち着けていた。頭のレンズは俺に向けられている。

 スーッと、血の気の引く音がした。代わりに全身へ広がる嫌な予感。


 ……あ。まずい。


 変態は俺を見据えたまま、更に頭を近付けてきた。

「今回の敵の正体はね」

 やめい。やめい。やめいやめいやめぇぇい!!

 俺は慌てて耳を塞ごうとしたが、一歩遅かった。

「前作で死んだ友人だ」

 直後、場内のスピーカーから聴き慣れたファンファーレが轟く。スクリーンには有名な映画会社のロゴが映し出されていた。

 ちくしょう! またやられた! 俺だけがギリギリ聞き取れるような声のボリュームで、ネタバレを浴びせてきやがった。目の前のご馳走に泥をかけられたような屈辱と不快感。

 無意識に殴りかかりそうになっていた俺は、そこでグッと奥歯を噛みしめて必死にこらえる。

 ……駄目だ。もう本編は始まってしまった。騒ぎを起こせば他の観客の迷惑になってしまう。せっかくの初日、それも朝一に駆け付けたシリーズファンの邪魔をするようなマネはしたくない。

 仕方なく俺は涙を飲んでスクリーンに向き直り、握った拳を膝の上に押し付けたまま映画を鑑賞した。


 ◇


 変態が言った通り、謎の敵の正体は前作で死んだはずの主人公の友人だった。実は死んでいなくて、悪の組織の手に落ちていたという定番のパターン。

 アクション映画ということもあって、結果的にネタバレを知った状態でもそれなりに楽しむことはできたが、やはり理不尽に楽しみを奪われた憤りは鑑賞後も到底収まらなかった。

 エンドロールが終わり、一分ほどのオマケ映像が流れ、その後に場内が明るさを取り戻す。

 続々と立ち上がって退出していく観客達。

 俺はまだ腰を上げずに、前方を向いたまま隣の変態に怒りをぶつけた。


「……おい、変態。お前は一体何がしたいんだ。なぜ俺だけにネタバレを喰らわせる」

 怒気を滲ませた俺の問いに、変態は答えない。

「そもそもお前は誰なんだ。俺の知り合いか?」

 俺は変態の方に目を向け、その横顔を睨んだ。

「答えないなら、無理やりにでもそのふざけた被り物を取るぞ」

 変態がゆっくりとこちらを向いた。そして奴はおもむろに立ち上がると、ようやく口を開いた。

「私は変態ではない。私のことは、そうだな、ネタバレマンとでも呼んでくれ。……ではまた」

「待てよ、ちゃんと全部の質問に答えろ!」

 立ち去ろうとする変態の背に俺は声を飛ばした。

 しかし奴は歩を止めることなく、スタスタと通路の階段を降りていく。

 ……逃がすかよ!

 俺は急いで後を追うべく座席から離れた。その瞬間。

「あっ」

 ――しまった。つまずいた。半分以上を残していたポップコーンが手のカップから宙へと舞う。

 近くの座席へ掴まって何とか姿勢は持ち直したが、ポップコーンはそのまま床へ散らばってしまった。

「……はあぁ」

 ……最悪だ。さすがにこれを放置して行けるほど俺は非常識じゃない。

 またもや俺は変態の追跡を断念せざるを得なくなり、惨めな気持ちで床のポップコーンを拾い集めた。

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