第3話


 自分が果たして大人かどうかはさておき、いわゆる子供時代を脱して掛け値なしに良かったことの一つが自分だけの居場所というのを持てたことだろう。


 子供が思春期を迎え独り立ちに向かう過程において、ほぼ必ずといっていいほど、「自分の部屋が欲しい」という欲求を覚えるものではないだろうか。それは自我の目覚めに伴って、家族にも見せたくない幾つかの秘め事が生まれるからであり、あるいは家族にも秘め事があることを察して距離を置かんとする本能であり、芽生えつつある「自分自身」に祈り語り合うための神殿を欲するからでもある。


 人生とか、生死とか、運命とか。


 あるいは恋や友情、時には苦しみや悲しみについて。


 子供は孤独に祈り、考え、立ち向かう時期を経て、大人に至る道程へ踏み出すのだ。


 あと男子の大部分はのっぴきならない事情があって人目から隔離された空間を必要とする。なにをスるわけじゃないが必要なのだ。絶対必要なのだ。


 俺も中学校に進学するにあたって一応自分の部屋というのを与えられたけれども、両親の方針で鍵をかけることは禁止されていたし、ちょくちょく母親が武力介入を図るので特定分野の個人練習に励む際は気を張ったものだった。音は出せないし、かといってヘッドホンをしていると気配の察知に不都合である。おちおち集中もできん。


 その点。独り暮らしは素晴らしい。文句なし、完璧、パーフェクト。


 ここは築13年二階建て鉄筋アパート「嶌村荘」その204号室、中本真平宅、つまり俺んち。


 不可侵の俺の王国で、聖域。


 だった。


「貴様が四六時中入り浸るようになるまでは」

「やっぱり各種ガジェットの格好良さにかけて555は白眉じゃのう。玩具っぽさとリアリティ、チープとケレン味のバランスがもう絶妙……」

「聞けよ」


 このエルフ。


 当初自称エルフかと思っていたもののどうにも本物生エルフらしい癖になぜか朝一で俺の部屋にやってきてエグい物量の箱から次々円盤を取り出しては再生するこのエルフ。


 当然のような顔をして朝昼夕とうちの飯を食い、画面の見っぱなしで頭痛がするとか言って脈略なく不機嫌になり、俺が寝るより先に寝落ちしてることすら多々あるこのエルフ。


 当たり前のように俺の部屋に存在するようになってもう一週間。延々テレビとDVDデッキを占有しているこのエルフ。


 くっちゃねーくっちゃねーしてる癖に妙にスタイルがよくて、部屋着感丸出しの薄着であっちこっち放り出しつつ、よだれ垂らして寝たりする、このエルフが!


「それもこれもイヌイタクミってやつが悪いんじゃ!」

「冷静になるからちょっと黙れ」


 あと今日も今日とてぱんつしまえ。テレビに向かってうつぶせになって足をぱたぱたさせてるのを後ろから見てると、緩めのキュロットのガードをかいくぐってチラチラしやがる。


 落ち着け。クールになれ。


 俺は年上好き。母性のあるお姉さんに甘えたい派。そして相手はいかに美人とはいえどう見ても中学生。俺は二十。


 眉間を抑えたまま、深呼吸を繰り返す。


「よし。外出しよう」


 日の光に当たろう。


 こんな部屋の中で悶々としているから悪い。ちょうど(消費速度が増したせいで)冷蔵庫の中も寂しくなってきたし、買い出しにでも行こう。


「というわけで俺は買い出しに行くから」

「儂ぃー。アイスが食いたーい。ハーゲンのバニラとイチゴ」

「お前も出てけよ」

「なんでじゃ嫌じゃ暑いのじゃこの下郎!」

「なんで俺が出てくのに他人のお前を部屋に置いとかないといけないんだよ!」

「盗むもんも無かろう! ……いや、ごめん。このゲーミングPCとか普通に盗まれると困るのぅ」

「そうだよ。田舎のオタクはイベントいかない分だけ環境に金かけるんだよ」


 もし盗むもんがないとしても出会って一週間の他人だけ残して外出はせんわ。


「ほら、テレビ消せ。リモコンしまえ。ポテチ閉じて麦茶流しに捨てろ。グラスは水はっとくだけでいいから」

「なんじゃ所帯じみよって口うるさい。帰ってきてからまた飲むし食うもーん。ええじゃろこの程度」

「そういうことすると後で蹴っ飛ばしてこぼすぞ。ほらさっさとする」

「もー、いやじゃー、めんどいー、財布とってくるー、待っとれー」


 なんか姪っ子とかいたらこんな感じなんだろうか。ぶつくさ言いながら妙にくたびれたビーサンをつっかけて隣室に消えるくっちゃねエルフ。別に一緒に行くつもりも待つ理由もないので財布片手に外に出る。


 そういえば隣に越してきた越してきたと言いつつも、実際どんなもんかは見ていない。扉を開けっ放しで中からごそごそ聞こえてくる隣室の様子を覗いてみる。


 開けかけの段ボールが山積みだった。


「てめぇ荷ほどき終わるまで二度と来んなよ」 

「こりゃ! 人の部屋を勝手に覗くでない!」

「お前にそれを言う資格はねぇよ! 今後! 永遠に!」

「儂はお前と違ってちゃんと表札だしとるもーん! 結果として霊的にここは儂の領地じゃからスピリチュアルレベルとかそういうのがなんか低い人類はふんわり入室禁止じゃ下郎!」

「曲がりなりにもエルフならその辺の設定固めろや!」


 ついでに表札を確かめる。


[隣野えるふ]


「ざっけんなし」

「名は体を表すんじゃー! 本質をとらえていれば仮名であってもリリカルマジカルな力をホッハ!」

「これが本質だとしたらお前俺の部屋に本質を置く気満々かよ! 出禁!」

「何と言われようがニチアサヒーロータイムだけは絶対侵入してやるんじゃもんね!」

「ゴキブリかよ貴様」


 そもそもナイショ道具だかなんだかを出されると侵入を食い止められる気もしないのでどうにもならないんだが。


「ゴキブリちゃうわいエルフじゃエルフ」

「種族名エルフで個人名えるふかよ。今まで『このエルフ』とか『エルフてめぇ』とか口に出してたけど、この名前押し通すんなら呼び捨てになるじゃん。お前的にいいのそれ」

「んー。『お前』とか『貴様』とか『おい虫』よりましかのー」

「そこだけ抽出すると俺がすげぇ人でなしに聞こえる」

「実際ひどいわい。うら若い乙女を虫呼ばわりする奴があるかファッキン下郎」

「わかった。俺もこれからはえるふ呼びしてやるから、お前もそのヘイトスピーチやめろ」

「えー、お前を呼び捨てしてやるから俺も呼び捨てにしろとかこの下郎すごくナルシストできもいんじゃけどー」

「そう思うんならもう来んなよ」


 とかなんとか言い合いながら、一路近所の西友へ。


 一人ならチャリンコでぱっと行くとこだけど、えるふがいるから徒歩になる。くそ暑いってのに。


「そういえばおぬし全然使っとらんからの、持ってきたぞ。ほれ『ミエルグラス』ぅー」

「四六時中不思議生物が目に入ってたら気が休まらんわ。俺はごく普通で一般的な日本の片田舎の風景を楽しみたいの」

「まだこだわるか」

「というかそれを掛けたら見えるってのはわかったけど、逆に見えなくなってる理由はなんなんだ? なんかこう、人に見えない波長の光しか反射してないとか?」

「まったく未だにわかっとらんのうこの下郎は。そんな科学でサイエンスした理由な訳が無かろうが。もちろんエルフのナイショ道具じゃ」

「……エルフ以外も使ってんの?」

「エルフが主に生産しとるだけで異世界種族御用達じゃ。姿を消すのはあれじゃな。エルフ香水の有名ブランド『Doco-kieluドコ・キエル』の製品じゃな」

「絶句するほどパチもん臭い」

「ちなみに儂が愛用しとる『Kielu/Chance』は人間と違う特徴だけ消す奴で、全身見えなくなるのは『Kielu/№5』じゃな。姿だけでなく存在感とか気配も全部消えるし、使用者のとった行動についての違和感も消えて「なんかそうなっとった」くらいにしか思わんくなる」

「よし。えるふちゃんそれ使えよぜひ使ってくれ」


 やったぜ。万事解決。


「なんじゃ。そんなに嫌か儂が出入りするの」

「落ち着かない。俺は俺だけの聖域を取り戻したい」

「まぁ別にええけどー? それで、儂が姿と気配をそっくりきれいに消したとして、おぬしほんとに落ち着くのかの?」

「あん?」

「考えてもみよ」


 そう言って、えるふがポケットから例のメガネを取り出し、俺の目の前でひらひらと振って見せる。


「先日のおぬしはこいつを使って、人類の見るに能わぬ景色を垣間見た。見聞き、知った。知ったからには、もう知らんぷりはできまい。

「儂がたとい姿を消したとて同じこと。おぬしはその時より、ひょっとして、ひょっとすると、儂があの部屋におるんじゃないか、と延々疑って暮らす羽目になる。

「こいつをかければ安心かの? じゃが確証はあるまい。この眼鏡をすり抜ける方法があったとしたら。あるとするなら。おぬしのあずかり知らぬエルフの技を、どこまで信じてどこまで疑うのじゃ?

「そしてその疑心さえ消し去るとするなら、おぬしが投げ捨てたあの螺子巻きでもって、ポカン、とする他あるまいて」


「それは」


 それは。


 嫌だ。


「じゃろうの。おぬしがそうして欲するように、己の記し憶えるところを捨てがたく思うのなら。見て見ぬふりはもはや通らぬのじゃ。知りえたことを、直視するほか、の」


 ぴょい、と目の前で背伸びして、えるふが俺にメガネを掛ける。


「なれば、楽しまねば損じゃ。人類が求め願ってもなかなか見れぬ世界じゃぞ。思いっきり見聞するがよい」

「……ひでぇ押し売りだ」

「心配するでない、損はさせぬわ」


 目線を上げれば青空快晴。以前みた魔人が変わらず雲をこね回し、水たまりの上で妖精が集まって踊るように飛ぶ。塀の上の猫の尻尾は二股に分かれていて、ビュンと頭上を通りすぎていったのは、箒に乗った魔女に見えた。


 自分の居場所と思い込んではいても、実際にそうそう一人きりになれないらしい。そうした現実と、あるいは他人にとっての『自分の居場所』と、折り合いをつけつけ間合いを図り、生きていくのが大人というものなのか。


 至極残念、悔しい限り、今更目をそらせないことに、俺の隣にはエルフがいるのだ。


「それはそれとしてお前が気を遣えば問題は解決だろ出禁」

「にゃー!」


 とりあえず、荷解きが終わるまでは締め出すことにしよう。

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