第2話
大人になるのが知ることだというのなら、それは知って
二十になった俺は、二十年というのが案外短いことを知ってしまい、酒に酔うというのはあまり楽しくないというのを知ってしまい、独り暮らしとは案外わびしく面倒くさいということを知ってしまい、大学生になったからと言って半自動で彼女ができたりなんだりするわけではないことを知ってしまった。やんぬるかな。
例えばそれは今俺の住むこの町にしてもそうだ。俺の生まれた村とも町とも言えない山あいのちっぽけな所帯から私鉄に乗って二十分程の、市役所の本所と、JRとローカル線のハブ駅と、申し訳程度のショッピングモールとラウンドワンのある田舎町。
ここが田舎町だと知ったのも、中学校を卒業するかどうかといった年頃のことであり、それまで小遣いを握りしめて繰り出していく『都会』が見る間に彩りを失ってしまったのを覚えている。
大学進学を機に一人暮らしを、と考えた時。この町で部屋を探したのは、表向きには家賃がどうこうと言ってはいるものの、なんとなくその彩りを取り戻したいような気分が残っていたからなのかもしれない。
「結果として隣にきゃーわうぃーエルフが越してきて、不思議グッズで日常の彩りを取り戻してくれるんじゃから恵まれとるのう。おぬしは果報者じゃー。敬えー、奉れー」
「知らなくていいことを知ってしまった感がどうしても拭えねぇよ」
つい昨日引っ越しの挨拶をしに来たエルフが早々に我が物顔で部屋に上がり込んでいる件について。
田舎の男の一人暮らしだってんで寝るときわざわざ鍵なんて掛けないが、まさか起き抜けにエルフがニチアサ番組を視聴してるとは思うまい。あとみじっけぇスカートで胡坐かくな。ぱんつしまえ。
「言いたいことはいろいろある」
「今日って日曜日じゃっけ? とか、おぬしなんでライダーベルト巻いてんの? とかの?」
「それもそうだがそうじゃない」
というか今日は火曜日だ。こいつわざわざ円盤持ち込んでやがる。
「即座に曜日が出てこん辺り不摂生な大学生の夏休みど真ん中って感じじゃのー。たまには外に出て新たな発見を探すのじゃよー」
「うるせぇぞ不思議発見。認めたくないがお前のおかげで一晩中ミステリーハンター気分だったよ」
結局、昨日のこいつは例の安メガネを置いて行ったのだが、一度かけてしまうともう気になって仕方ない。換気扇で遊んでた妖精なんかは気が付けば消えていたのだが、部屋の隅の小人はなんか目が合ってしまって、お互いしばらく目線をそらせず固まってしまった。
「ここで最初のクエスチョンです。俺はこれからどうすればいいんだ。プライバシーとは」
「んー、別に気にせんでもええんじゃないかの。結局人類とは違う存在じゃし」
「いや、無理だろ。四肢があって二足歩行で服を着て道具を持ってたらもう自我を認めざるを得ないだろ。もうルームシェア気分で生活するしかないよ。お互いを尊重する関係でやっていくしかないよ」
「その辺の感覚が違うと思うんじゃがの? ええからもっぺん掛けてみよ」
「嫌だ。結局問題を棚上げにしてふて寝した俺がどんな顔して小人さんと向き合えるというんだ」
「妙なところで律儀じゃの……」
画面を一時停止したエルフが胡坐のままこちらに振り替える。昨日の繰り返しをするのもなんじゃからさっさと掛けよ。と強めに言われ、結局メガネをかける俺。いや、ほら、今日はこいつスカート穿いてるから。昨日みたいになったらさらに一段階モラルのピンチが危険で危ないから。
「さてと、儂の耳は見えとるの?」
「ぴこぴこしてる」
「妖精は?」
「今日は窓のふちに座ってなんか手遊びしてる」
「では小人は?」
「えっと」
いない。
部屋の隅はきれいさっぱり、張っていた蜘蛛の巣もなく、心なしか埃もはけたような色合いになっていて、小人の姿はきれいさっぱり残っていなかった。
エルフはにやにやしてた。腹が立つ。ぱんつしまえ。
「儂らエルフにせよ、あるいはほかのナニかにせよ、人間と違って住むところには困っておらんからのう。目が合って気まずそうなら引っ越すわい。住処があるのないのと汲々とするのはお主らだけじゃ、愚かな人間どもめ」
「そんな、俺が一方的に追い出してしまったというのか……。ご、ごめんなさい小人さん……」
「じゃから感覚が違うというに! 全然話を聞いとらんし!」
正解はなんかお前の言うことを素直に信じるのは癪だから。
「なんだかなー。せっかくのまったりした夏休みが余計な知識で啓蒙を得てしまってなんだかなー」
「なんじゃ、嬉しくないのか。どうせおぬしのことじゃから授業中とかこういう妄想にはげんどった癖に」
「的確に見通されると腹立つ」
「どうせいというのじゃ……」
「とりあえずぱんつしまえ」
「固いことを言うな。どうせ減るものでもなし」
「それって普通見られる側じゃなくて見る側の屁理屈じゃねぇの?」
「もー! あーいえばこーゆーのー! 一々逐一面倒くさい!」
面倒くさいなら帰れよ。
「なんじゃなんじゃ。ちっとも嬉しがらんこの人間。こちとらアールブロンド生まれアールブロンド育ちの純粋培養正真正銘まじりっけなし本エルフ一番搾りじゃというに」
「嬉しがるも何も現状お前のしたことは勝手に上がり込んでカップ麺食って俺のプライバシーを脅かしただけじゃねぇか。純エルフがなんで日曜朝に戦う改造人間の円盤持ってるんだとか疑問ばっか生まれるわ。有難がる余地を見せろエルフの癖に」
「外国人が日本のサブカルチャーをたしなんで悪いか!」
「エルフって外国人って枠で括っていいのかよ」
「うるさいうるさい! ええわい! そこまで言うならもっぺんエルフのナイショ道具を見せてやるわい!」
そういうと部屋を飛び出し、例のトランクをもって舞い戻ってくる半泣きエルフ。
「トランクから出して来いよ」
「こういうプラットフォームから出てくるところも様式美じゃ。あとこれ着替えとか入っとるしここに安置するから」
「お前泊まる気か!?」
小人さんよりぐいぐいプライバシーを侵食してきやがる!
「ねぇよ! というかお前んち隣だろ! 泊まる意義ないだろ! 出てけ!」
「そんな口やかましいお主にはこれじゃ! てってけてっててーててー、『アタマノネジマキ』ぃー!」
変わらずとっ散らかったトランクの中から、某ジングルを口ずさみつつとりだしたのは「ただのドライバーにしか見えねぇぞ」
「甘いのう。ヒントに翻弄されて明後日な回答をする板東英二並みに甘いわい」
「だからなぜエルフが日本の長寿番組に精通している」
「さて、第二のクエスチョンです。この一見なんの変哲もない螺子巻きはおぬしの言っていた問題をスパッと解決してくれるんじゃが、いったいどんな効果を持っとるでしょーか?」
「それ振り回したらお前が帰るの?」
「知りたくなかった云々かんぬんの話じゃ!」
目下の焦眉はそこじゃねぇんだけど。
「この螺子巻きはただの螺子巻きではないぞ。頭に差し込んで右螺子に回すと、なんと! いわゆる『頭のネジ』がキュッと締まって頭脳明晰出木杉君になるのじゃ!」
ほれ、と気軽に手渡される。やっぱり何の変哲もないドライバーなんだけど。
「どうやってそれで増えちゃった啓蒙を減らすんだよ」
「左回しするとネジが緩んでパーになる」
「物騒極まりねぇ!」
思わず手の中の危険物を放り投げたらくるくる回って冷蔵庫の裏にボッシュートされた。「ああ! なにすんじゃ!」とか叫ぶエルフがいよいよ腹立たしい。
「お手軽にロボトミー手術できるだけじゃねぇか! お前のネジから締めろ!」
「なんでじゃー! 見たくないものを見てしまったら忘れる一択じゃろうがー! ちょっと緩めていい感じに忘れるまで頭を叩いてそれから締めればいいんじゃー!」
「仮にも人の記憶を弄ろうってのにもっと繊細さを持てよ!」
とかなんとか、侃々諤々。すっちゃかめっちゃか大騒ぎ。
知ってしまったことでも、忘れるというわけにもいかないのが人の世だ。あるいはそれがために世界から彩りが失われるとしても、日々を抱えて前に進む他ない。そうして繰り返し擦り切れながら、新しい色彩がふと加わっていくのだろう。目の前の素っ頓狂な隣人のような極彩色も含めて。
「うわーん! 弁償せよ下郎ー!」
「いよいよ差別発言極まりやがったな! あんなもんなくてもパーの癖に!」
「年長者を敬えー! 称えよー! ずっと言っておろうにー!」
エルフの世界はそうでもないみたいだが、とりあえず俺は人間でいたい。
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