9 秘密という宝物
翌朝。
いつも通り早くに登校して、白い画用紙を見つめていた。
今日はまた雨模様。ニュースだと、どこかの地域は大雨で大変らしい。その片鱗だけの雨雲がこの地域にも雨を降らせている。
空を描いてもいいんだけれど。なんとなく、今日は違う気持ちだった。
昨日のかおちゃんの言葉が残っていたんだ。まぁ、ウンコ、という表現は多少引っ掛かりはするのだけれど。
きっと、自分の中の降り積もった気持ちを吐き出す術だ、ということなんだろう。
だとしたら。
色鉛筆を持つ。くるくると、選ぶ色を変えていく。夜空に咲いた光の花。鮮やかな色の花を描き出す。
技術はあまりないから上手には描けない。でも、それでも、描きたいならそれでいい。
いまは、まだ。
暫く夢中になって鉛筆を運んで、ここまでかな、というところまで来たところでふっと息を吐いた。
見下ろす画用紙には、確かに花火が咲いている、ように見えるけれど。
あのキラキラとした輝きとか鮮やかさとか、全然足りていない。
うーん。
――もしかして?
少しだけ悩んで、ふと、思いついた。机の脇に引っ掛けていたリュックを膝の上にのせて、中を探る。――あった。
昨日、貰ってしまった夏空のマニキュア。取り出して、そっと蓋を開ける。昨日と同じドキドキが、指先を震わせてくる。それでも、そのまま刷毛を使って。
さっと一本、画用紙に青を引く。
ああ、やっぱり。
キラキラしたラメが、画用紙の中でも鮮やかできれいだ。花火の光の欠片を助けてくれている。
こんな使い方をするものではないとは思ったけれど、でも、綺麗だった。
ただ。
……乾くの待たないとしまえないな、これ。
じっと待つべきなのか分からなかったけれど、人が来る前にはしまいたくて、ふうふう息を吹きかけてみたり、ぱたぱたと手扇であおいでみたりする。
……うん。あんまり、やらないようにしよう。時間がちょっとかかりすぎる。わたしが普段絵具じゃなくて色鉛筆を選ぶのは、そもそもすぐに描けてすぐにしまえるからだ。そういう意味では、これはちょっと、あってない。
でも、綺麗。
ふうふうぱたぱた、ひとりで頑張っていると、ふわっと教室に風が吹いた。はっとして顔を上げる。
案の定、教室の扉を開いたのはゼンくんだった。
ふわふわの癖っ毛をがしがしっとかいて、眠そうな目を銀縁眼鏡の奥にひそめて、男の子の制服を着て立っている。
決めていたんだ。昨日、かおちゃんと話した後。
何にも解決していない。何にも変わっていないけど。でも。クロゼットの向こう側の世界を嫉妬と悔しさで塗りつぶして嫌いになるよりは、少しだけでも覗いていきたいと願ってしまったから。
だから。
「おっ、おは、おはよう!」
どもったっていい。上手に言えなくてもいいから。
挨拶だけは、したいなって。向こうからを待つんじゃなくて、自分から。
挨拶だけはしたいなって、思ったんだ。
ゼンくんはやっぱりぽけえっとした顔でこちらを見て、それからゆっくりと笑顔になった。
「おはよ、まりもちゃん」
……よかった。
ゼンくんはのんびりと教室を歩いて自分の机にリュックを置いた。それからこっちに向き直る。
「なに描いてんの?」
――っ!
かぁっと顔が熱くなった。い、いまさら隠せやしない。でも。どうしよう。
混乱して固まったわたしを無視して、ゼンくんがこちらにやってきた。そのままひょい、と手元を覗き込んでくる。
あーあーあーあー。勘弁してほしい。
「わ。すご。
……ん?
「FIRE*WORKS……?」
「でしょ、これ」
言われて初めて、気が付いた。そうだ。花火。英語で、FIREWORKS。
あのお店の名前だ。
「これもしかしてマニキュア? へー。すご。そんな使い方あるんだ」
「ご、ごごごめんなさ、い」
「いやなんで謝るの。いいじゃん超綺麗」
ゼンくんは笑って、それから、首を傾げる。
「今日も来る? FIRE*WORKS」
「あ……今日は」
行きたい気持ちはもちろんあった。でも。
「今日は友達と、絵、描きたくて。あとあの、早く帰りたく、て」
かおちゃんのこと。それから綾乃のことも、わたしには大切なことだった。
「それ両立出来るの?」
「う、うちで、描けば」
「あ、そっか。うん、了解」
ゼンくんは頷いて、ひらっと手を振った。わたしは反射的に、ゼンくんの制服の裾を掴んでいた。
……な、なにやってるんだろう。わたし。
でも。
クロゼットの鍵は、きっとゼンくんが握っている。
「あ、あの!」
驚いたような顔をしているゼンくんに、声を上げた。
「ど、土曜日、行ってもいいです、か!」
ゼンくんはぱちぱちと二回くらい瞬きをして、それからふわっと、とうめいな笑顔をくれた。
「もちろん」
綾乃とかおちゃんは仲良しだ。三人で思う存分話して、絵を描いて、お腹が痛くなるくらい笑って、何故か三人でご飯を作って、かおちゃんにも食べていってもらって、それでようやく少しだけ落ち着いた。
でも、あのお店のこと。
ゼンくんのこと。
それだけはどうしても、二人には言えなかった。
勝手に知ってしまったゼンくんの秘密を喋ってしまうのは悪いと思ったから。
――ううん。うそ。
特別な秘密を。秘密という宝物を。
隠しておきたかっただけの、浅ましい考えでしかないけれど。
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