6 現実。現実。現実。

 ひと玉148円のキャベツをむしってざく切りにする。水を張ったボウルにザルを重ねて、そこにキャベツを入れた。

 ついでに副菜用にかぼちゃも切って、こっちはジップロックコンテナにそのまま入れる。だしの素を適当にふりかけて、めんつゆとバターを少し入れて、ジップロックコンテナの蓋を斜めにかぶせて電子レンジに突っ込んだ。

 即席のかぼちゃのめんつゆバターを待ってる間に、お肉を切る。安い豚こま。切ったら入ってたパックに戻して、軽く塩コショウしてお酒を振りかける。

 フライパンにごま油を入れて熱する。チューブのにんにくと生姜を絞って香りを出してから、お肉を炒める。火が通ってきたらキャベツをザルからあげて投入。ジュワッといい音がした。そこに、創味シャンタンを適当に絞って入れて、それからオイスターソース。混ぜ合わせているうちにいい匂いになってくる。

 お湯を沸かしておいたお鍋には、冷凍の玉ねぎとえのきを入れて、だしの素を入れて味噌をとく。

 いつもどおりのかんたんご飯。丁寧な暮らしなんて、いちいちやっていられない。

 よそってる脇で、綾乃がテキパキとお茶やコップの準備をする。

 その時、ガチャッと玄関で音がした。

「ただいま」

 ……え。

「うそ。帰って来た」

 綾乃が驚いたように目を瞬く。お父さんだ。綾乃がぱたぱたと手を振りながらリビングのドアを開ける。

「おかえりー、早かったね」

「ただいま。うん、待ちの仕事だけしか残らなかったから、あしたで良くてね」

 苦笑して、くたびれた顔のお父さんが入ってくる。クールビズとやらで背広もないので、鞄をリビング横の部屋に置くとそのままダイニングテーブルに座る。

「いつもありがとうな。今日は?」

「わたし」

「真理乃か。ありがとう」

「うん」

 短く答える。お父さんの分も追加でよそって食卓に並べる。一緒にご飯なんて久しぶりすぎて少々居心地が悪い。

 綾乃は、今日はそれほど刺々しくない態度でお父さんと話をする。綾乃の気分次第では、食卓が暗くもなるのだけれど。でも綾乃は気を使っている。それくらい、わたしは分かる。お父さんはどうだか知らないけれど。

 つまらないバラエティを流しながら、どうでもいい会話をしながら、自分で作った特別でもなんでもないごはんを食べる。

 そんな日常のせいで、帰ってくるまでわくわくでいっぱいに膨れ上がってた気持ちという風船が急激にしぼむのが分かってしまった。現実。現実。現実。2LDKの狭いアパートで、つまんない食事をするのが、わたしの現実。

 もう何年も前に買ったきりの黒いお箸でキャベツをつまんで口に放り込む。歯ごたえはあるし味もしっかりあるはずなのに、なんだか全然美味しくなかった。しゃくしゃくと、ただ歯ごたえだけをやり過ごす。

「ああ、そうだ。綾乃、進路指導の紙みたよ」

 隣に座る綾乃の体が、ピクリと固くなるのを感じる。

「もうそんな時期なんだなぁ」

 なんだか感慨深そうにお父さんが言う。お父さんみたいな中年おやじの一年とわたしたちの一年が違うことなんてあたりまえなのに、お父さんはそのことに気付かない。だからなんだってかんだっていちいち、もうそんな年か、だの、もうそんな時期か、だのと言い出して勝手に思い出に浸っていく。お父さんは知らないんだ。そうやって言えば言うほど、わたしたちとお父さんとの距離が開いていくことを。

 だってそれって、わたしたちの一日の、一分の、重みを考えもしていないってことの証でしかないんだから。

 さっきまで気を使って明るくしていた綾乃から、どんどん冷たい温度が伝わってくる。彩度が低くなっていく。

「で、どうなんだ。どこか行きたい学校とかあるのか?」

「おねえちゃんのとこ」

「え? あー……行けるのか? 真理乃?」

 こっちに飛んできた。口の中のキャベツを無理やり飲み下す。ああ、喉が痛い。

「さあ」

「ん、あー……まぁ、ほらまだ、一学期だしな、うん。頑張れば――」

「ごちそうさま!」

 お父さんの言葉を遮るように、綾乃が言葉を叩きつけて立ち上がった。食器を流し台に運んで、そのままばたばたとわたしたちの部屋へと戻っていく。

 その背中を見送って、お父さんが困ったように頭をかく。分かってる。お父さんは悪意はない。ただ、誠意もないだけだ。いいお父さんを演じたいだけで、わたしたちを正面から見据えようとしたことはない。お母さんがいなくなってからは、なおのこと。

 くだらない芸人の、叫ぶだけの芸のない芸が、テレビの中で垂れ流されていく。

「あー……真理乃?」

「なに」

「その、なんだ。えーと」

 話題を無理やり探している。別に、会話なんてなくたっていいのに、ないとだめだってお父さんは勝手に思っている。

「ああ、そうだ。真理乃はあれか。まだ、絵、描いてるのか。将来とか。その、デザイナー? とかそういう道に行きたいとかあるのか?」

「ないよ」

 自分でも冷たすぎるな、とは思ったけれど。

 結局わたしはそれを取り繕うことすらできないのだ。

「描いてないし。大丈夫、ちゃんと勉強してる」

 うそ。全部うそ。うそだろって、言ってほしいわけじゃない。でも、信じて欲しいわけでもない。面倒くさいね。分かってる。でも、それでも、嘘ぐらいは吐かせてほしい。

 一瞬閉じた瞼の裏に、あのにじんだ水玉が浮かび上がる。

 絵を描く、というのはああいうことだ。

 ああいうのが、絵、だ。アート、だ。芸術だ。

 わたしのは、ただの色鉛筆で描いた子供のらくがきでしかない。そんなもの。絵でもなんでもない。将来の道につながるようなたいそうなものじゃない。

「――お風呂いれてくる」

 食べ終わってはいなかったけれど、それ以上ごはんは喉を通りそうになくて、わたしは食事を切り上げた。食事を? お父さんと一緒にいることを、かもしれないけれど。

「食器、あとで片づけるから」

「え? あ。いい、いい。お父さんがやる」

「……分かった」

 いつも、出しっぱなしのくせにって。言いたかったけど言う元気もない。

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