5 愛の逃避行

 それから二、三日、城ケ崎にアプローチをかけたが、不思議なことに鳴かず飛ばずだった。

 俺様風とか、王子様風とか、ワイルド系とか、いろいろ試したが全滅だった。

 ひょっとして、城ケ崎ってマトモじゃないんじゃないか?

 やはり女は、顔と胸で選ぶべきではなかったということか。

 城ケ崎は、可愛くておっぱいがデカいだけの女だったのか。


 やっと気づいた。大事なのは中身なんだ。

 俺だって若い男だし、ある程度は見た目や、スタイルにこだわりたくなるが、イチャイチャラブラブ出来るような、心の優しい子じゃないと、俺の夢は実現されないんだ。そのことを思い出すべきだ。


 俺は土曜日、プラプラと街に出かけた。

 ばったり、クラスメイトと会うことを期待していた。

 別に相手は城ケ崎でなくても良かった。

 心優しい、イチャイチャラブラブエッチをしてくれるような、女の子と出会いたかった。

 いくら俺が強化人間だといっても、心は普通の人間と同じなのかもしれない。

 将来、放課後夕方の教室で、彼女とイチャイチャラブラブ制服エッチが、出来なかったらと思うと恐怖するし、最近ではアプローチが上手くいかなくて、心が荒みかけている。焦りを感じ始めている。

 だからそんな優しい未来の彼女に出会いたかった。

 信号待ちをしていると、クラクションが鳴った。


「一人でブラついて、どうしたの?」


 右の車道を見ると、そこにはリム子が居た。リム子の体は、いまだに傷だらけだった。


「散歩だよ。お前こそどうしたんだ」

「爺やにお使いを頼まれたんだけど、私一人じゃ買い物なんて出来ないから……」


 確かに、リム子一人じゃ店の中に入ったりは出来ないだろう。


「中に誰も乗ってないのか?」

「そう。私一人」

「なんでだ?」


 おかしな話だ。爺やだって、リム子が一人で買い物出来ない事くらい、分かっているだろう。なのに何故一人でお使いに行かせるんだ。

 この問いに、リム子は言い淀んだ。何か他人には言い辛い事情があるようだった。

 これ以上立ち入った話を聞くのは野暮というものだろう。

 そう思ったのだが――


「……実は私、あの家であまりよく思われてないみたいで……」


 リム子は話してくれた。

 使用人たちから嫌がらせを受けていること。

 いくら体が傷ついても、修理してくれない事。

 頼れる人が居ない事。


「城ケ崎はそのこと知らないのか」

「お嬢様は、使用人同士のことに一々首を突っ込まないっておっしゃって」

「それってひどくないか」


 毎日リム子に送り向かいしてもらってるのに、感謝の気持ちはないのかよ。


「あまり、お嬢様のことを悪く言わないで。お嬢様は平等なだけだから」


 リム子はそう言ったが、俺にはそうは思えなかった。

 この前、城ケ崎がリム子のことを話していたときにした目は、平等主義ってもんじゃなかった。

 本当に平等なら、他の使用人について話すときもあんな目をするのか? だったら、それはそれで問題だ。冷酷すぎる。


 俺は再びリム子をじっくりと見つめた。あの時廊下で擦った車体の側面は、いまだに補修されていない。

 俺はこいつに何かしてやれないのか。一度助けてもらった恩がある。

 なら話を聞いてしまった以上、知らんぷりは出来ない。何かしてやるべきじゃないか?


 だが俺に他所の家の人間関係を、どうこうするなんてきっと出来ない。人間関係ほど難しいものも、この世には存在しない。俺と親父のことだって、ある意味では人間関係の問題だ。

 この強化人間の腕力で、爺やたちをねじ伏せたとしても、それで解決する補償はどこにもない。寧ろ報復として、リム子がさらなる苛烈な嫌がらせを、受けるだけかもしれない。

 俺は拳を握り締めた。


「買い物は俺が行ってきてやるよ。その後さ、その傷直そうぜ」


 今の俺に出来ることは、それくらいだと思った。


「……うん。ありがとう」


 リム子の声は心なしか嬉しそうだった。




 買い物を済ませた俺は、リム子を運転して近くの個人修理工場に向かった。

 リム子は、今日中に城ケ崎邸に戻らなければならない。俺は店主を脅して、一時間ですべての補修を終わらせさせた。

 仕上がりは短時間とは思えないほど、綺麗に仕上がった。リム子が綺麗になって、俺も嬉しく思った。


「代金は城ケ崎に請求してくれ」


 俺はリム子を発進させた。


 今日は女の子と出会うために出かけたが、リム子の話を聞いた後では、イマイチ乗り気になれなかった。嫌がらせを受けてるなんて話を聞いて、すぐに女の子と遊べるほど俺は無神経ではなかったらしい。

 はて、研究所での試験に道徳なんて科目はあっただろうか。


「城ケ崎邸まで送ってやるよ。どの道だ?」 


 まあ、短い道のりとはいえ、気晴らしのドライブを兼ねてだ。

 ついでに城ケ崎の巨乳でも見に行こう。顔はあまり見たい気分ではないが。

 おっぱいは良い奴なんだが、性格がなあ。おっぱいはすくすく育ったのに、性格はツンケンしちゃって、もう。

 いや、おっぱいだってツンとしているかもしれない。むしろ、そこはツンとしていて欲しい。


 しかし、リム子はすぐには返事をしなかった。俺は困った。

 リム子には表情というものがないから、何を考えているのか、喋ってくれないとちっとも分からないのだ。


「どうした? どこか寄りたいところでもあるのか?」


 尋ねてもリム子はまだ口ごもる。

 秘密を打ち明けてくれたというのに、水臭いじゃないか。それとも、そんなに言い辛いことなのだろうか。もしかして、さっきよりドギツイことでも、打ち明けようというのか。

 俺は心の準備をした。何を言われても狼狽えないぞと覚悟した。      

 さあ、来いっ。

 リム子は、ゆっくりと口を開いた。


「……私、帰りたくない」


 心の準備のおかげで、驚きを表に出さずには済んだ。

 しかし、全く予想しなかった返答に、俺はすぐに返事をすることが出来なかった。ただ、リム子がもう限界なのだと感じていることは分かった。

 だからその願いを叶えてやりたいと思った。

 しかし、帰りたくない、というのは文字通り帰りたくないということだろうが、他に行く当てでもあるのだろうか。少なくとも俺に当ては無い。


「このまま……、このままあなたに連れて行って欲しいのっ」

「連れて行って欲しいってどういうことだよ? どこまで行きたいんだ?」


「どこへだって良い。私、あなたのことが……好きなの! あなたとだったらどこへでも。もうお嬢様の元へは戻りたくない。私をどこかに連れて行って! 迷惑なことだって分かってる。でもあなたなら、きっと私をそこに導けると思うから。お嬢様の手の届かない、どこか自由なところへ」


 さすがの俺も驚いた。驚くしかなかった。木槌で思いっきり殴られたかのような衝撃が俺の中に走った。

 まさか、リム子が俺のことを好きだったなんて。どうして? いつから? 色々な考えが頭を巡る。

 好きだと告白されたのは、生まれて初めての経験で、どう返事をしたものか分からない。研究所のテキストには、こういったときのための何かが載っていた気もするが、動転して正確に思い出すことが出来ない。


 いや、そんなマニュアル染みたことより、自分の言葉で答えるべきだ。だが、その自分の言葉も、結局は上手くまとまらない。

 俺が答えないでいると、居た堪れなかったのかリム子が言った。


「ごめん無理言って。そうだよね。人間とリムジンじゃ、駄目だよね。……恋なんてしちゃ、駄目だよね……」

「それは違う!」


 俺は反射的に返事をしていた。

 なんて答えればいいか分からないままだったが、これだけはハッキリしていた。

 リム子がリムジンカーだから戸惑ってるわけじゃない。ましてや、リムジンカーだから断りたいわけでもない。

 リム子はいい奴だ。可愛げだってある。


 いい加減はっきりさせるべきだ。

 はっきりさせないのは、リム子のためにも俺のためにもならない。断りたいわけでもなく、俺はこいつに協力したいと思ってる。なら答えは一つだろう。

 俺はゆっくりと口を開いた。


「……分かった。一緒に行こう」


 そう、どこかリム子が自由で楽しく暮らせるような所へ。

 もう、嫌がらせに苦しんだりすることのない所へ。

 そして俺は、忘れてはいけないもう一つ大事なことを伝える。


「好きって言ってくれてありがとうな」


 リム子はクラクションを鳴らした。


 俺は今日、出会いを求めて出かけた。そしてリム子と出会った。

 俺はなんだか、今日リム子と出会ったのは、偶然じゃないような気がしてきていた。

 たった数日だったが、これまでの日々で俺も、いつの間にかリム子のことが、結構好きになっていた。




 俺とリム子はどこかへ向けて走り出した。どこに向かっているのかも、そこがどこにあるのかも俺たちに分かりはしなかった。ただ、そこはきっとリム子が自由になれる所だと信じていた。

 当てのない旅は不安そのものだった。数時間リム子を走らせただけで、探しているそんな所が本当にあるのか疑わしくなっていた。俺の運転はそんな不安を振り払おうとするかのように、段々と荒っぽくなっていった。

 すると、リム子が喘いだ。


「は、一っ、激しすぎるっ。こんなの初めてっ。私、壊れちゃうぅ!」

「変な言い方をするな!」 


 しかも声が妙に色っぽいのである。俺たち、まだ告白した、されただけの関係だぞ。


「だって、私の中で一が――」

「だからやめんか!」


 こいつ、下ネタが好きなのか?

 ツッコミを入れていると暑くなってしまったので、俺は窓を開けた。


「気持ちいいっ、気持ちいいわっ! 風が。すっごく気持ちいいっ! 風が」

「なんで倒置法を使う必要があるんだ」

「いやんっ。窓、そんなぱっくり開けられたら、周りの人に中身全部見られて恥ずかしい……」

「見えねえよ」


 というか、今のはちょっと引くわ……。

 だが、この馬鹿馬鹿しい会話で、俺はさっきまで不安がっていたのが少し馬鹿らしくなってきた。何をくよくよするものか。後に戻る道はない。俺たちはただ前に進むしかないのだ。きっとそこはあるんだ。

 気持ちを入れ替えしばらくリム子を走らせていると、少し先に検問所を認めた。しかし、この時の俺はうっかりしていて、そのまま直進してしまった。




「免許証見せて」

「あ」


 検問所でそう言われたとき、俺は自分のミスに気付いた。

 俺は、あらゆるマシンを乗りこなせるからつい忘れがちなのだが、まだ無免許なのだ。

 重機にクルーズ船、ヘリコプターも戦闘機も戦車も、人型機動兵器も一輪車だって乗りこなせる。だが無免許なのだ。俺はまだ十五歳だった。


 俺はリム子を急発進させた。

 俺たちは城ケ崎だけでなく、警察からも逃げることになった。

 誰からも嫌がらせを受けない、自由な場所を求めていたはずが、いつの間にか警察からの干渉を受けない、自由な場所を求めるようになっていた。

 これでは、まるで犯罪者の高跳びである。

 やっぱり海外かなぁ、フィリピンとか、なんてっ。

 まあ、実際無免許運転は犯罪だが。


 俺たちは逃げた。

 逃げに逃げた。

 法定速度を無視して逃げた。

 しかし、逃げても逃げてもパトカーが追ってくる。

 そして運悪く、少し先に見える信号が赤に変わった。


「このまま突っ切る!」


 しかし、リム子は――――


「……もういいの。ありがとう一。もうやめましょう」

「何言ってんだよお前! 自由になるんじゃなかったのかよ!」


 俺の中で怒りと、そして悲しみがじわりと湧き始めた。

 望みを簡単に諦めないで欲しかった。

 諦めないといけない状況にならないで欲しかった。

 どうして上手くいかないんだ。幸せを望んじゃいけないのか。

 それとも、俺が無免許だったのが悪いのか。


 俺はリム子を無視してアクセルをさらに踏み込もうとした。そのとき、


「やめてっ。信号無視までして逃げても、どうせ逃げ切れない。余罪が増えるだけよ!」


 俺はその言葉にハッとしてブレーキを踏んだ。

 そうだ、俺は今犯罪行為をしている。そして信号無視でまた罪を重ねる所だった。

 やはり、この歳で犯罪者というのは嫌だ。

 いや、正確にはもう犯罪者かもしれないが、俺の人生はまだまだこれから。ご近所さんとかに、後ろ指を指されるような生活は嫌だ。

 強化人間(前科二犯)とか格好がつかない。もう無免許運転という罪を犯していたとしても、これ以上傷口を広げたくはない。余罪が増えるのは嫌だ!


 俺はおとなしくお縄についた。


「リム子、お前との逃避行、楽しかったぜ……」

「一!」




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