第31話 無神経な愚か者

 不意に目がぱっちり覚めた。

 やはり人様の布団だからか、自分の家の布団と違って寝覚めが全く違う。寝つきは良かったみたいだが。


 目覚ましは七時を設定していたのだが、スマホがけたましく鳴った記憶はないので、どうや七時前に自分が起きたらしかったのだ。


 体を向くりと起き上がらせ、夏仕様の薄いタオルケットを横にのける。

 早尾は体を壁側に向けており表情は窺えないが、寝息から察するにまだ夢の中のようだった。


 カーテンの隙間から日差しが漏れ出している。変な時間に起きた訳では無さそうなので、二度寝するかと考えていたが折角だし起きることにした。


 まだ寝ぼけているのか、ぼーっとした頭で本棚の前まで行き、なんとなく早尾が寝ているのか再度確認してから、もう一度本棚の方を向いた。

 なぜ俺は早尾の方を確認したのだろうかと一瞬考えはしたが、眠たい頭で物事を考えるのは少し億劫だと思い、気にせず本棚に並べてある本の数々に手を伸ばした。


 面白そうな本はないかと気分は冒険家で、隅から隅まで目を通したが、どうやら小説やら文庫本は本当に読まない性格らしく、本棚のどこにも無かった。


 ラノベも無いのだな、おかしいな、持ってたはずなんだがなと考えていたら、数冊分本棚に空間が空いていた。

 端っこが空いてるのではなく、まるで数冊抜き取ったようにすっかりなくなっている部分がなんとなく気になり、左右を確認したが続編やら関係のある本では無さそうだったので、気にしないことにした。もしかしたら学校に置いているのかもしれない。


 仕方ない、朝は小説という気分なのだが、無いなら別のにしようと、昨日読んでいた漫画の続きを手に取ろうとした所で思い出した。


 そうだ、写真たてがあったのだ。

 クワガタやカブトムシ、スイカなどの飾りが縁に貼り付けらている写真たてがあったのを思い出した。


 なんとなく、もう一度見たくなって、その写真たてを手に取る。

 何度見ても、写真に焼き付けたその光景は一寸も変わることがなく、少年も少女も変わらぬ笑顔でこちらを見つめていた。


 もし妹だったら、昨日どれだけ遅い時間まで遊びに行っていたとしても帰ってきているはずだろうし、妹では無いのかもしれない。


 妹ではない線の方が濃くなった途端に、この少女が少年時代の早尾に比べて幾分か大人びて見えた気がした。

 それに少年より少女の方が精神年齢も高いと言われるしそれが理由かもしれないとも思った。

 ならば結局、あの少女は誰なのだろう。

 聞きたい気持ちと、何故かそれ以上無闇に踏み込むのは止めておけと、混沌とした気持ちが寝ぼけ頭を覚醒させていく。


 隙があれば、忘れよう気にしないでおこうと考えていたはずのことを思い出し探り出してしまう。


 写真たてを元あった場所に戻し、自分にも聞こえるか聞こえないかくらいのため息が口から漏れた。



「ん?タカナ氏…、もう起きてたん?」


 別にやましいことは何一つ無いはずなのに何故か早尾の声を聞いて肩を飛び上がらせてしまった。


 それも早尾は寝起きなのか対して気にした素振りもなく「今は何時だ」呟きながら時計を確認していた。


 安堵の息が漏れた時、「えぇ、まだ六時二十分だよォー」と間延びしただらしない声で抗議の声を上げた。

 今日は日曜日でゆっくりしたい気持ちは分かるが、そうしてだらだらとした後ふと思うのだ。あぁ、勿体無いことしたなぁ。もっと早くにに起きればよかったなぁ。とか。


「後四十分も経てば七時だろうが、もう起きとこうぜ」


「うーん。当たり前すぎるけど、そうなんだけど。違うんだよなァ」


「どっちだよ」


 冗談を言い合いながら俺は自分が寝た布団を畳んだ。


「なぁ、早尾。これどうすればいいんだ?」


「うん?あー、そこに置いといてくれぽ」


 早尾の言う通り、部屋の片隅に折り畳んでおいた布団をそっと置いておくことにした。


 そこからというもの、お昼の時間までずっと格闘ゲームを早尾と何回やったかわからないほどに繰り返しやり続けて、少しは上手くなったことだろう。


 ゲームはどれだけやっても中々飽きないもので、いつまでも楽しんでプレイすることが出来た。

 1人のキャラだけでなく色々なキャラを使用して、そのキャラによってプレイスタイルは変わるのでそれがまた楽しく思った。


 このままずっと、ゲームを楽しむ飲も良いかと思っていた。

 別に、知ったところで俺には何も関係がない話だとも分かっていた。

 でも好奇心には勝てなかった。いつか夢見た内容を忘れてしまった時、思い出したくなるようなものに過ぎない。


「早尾。あのさ」


「ん?何だ?効率よくジャスガするやり方のことか?」


 絶賛今、画面内では、俺の扱うキャラクターの刀での攻撃は、尽くことごと早尾の扱うキャラクターのジャストガード──タイミングよくガードをして防ぐことで相手の隙を付くテクニック──通称、ジャスガでほうむれていた。

 てか、それ止めてくれない?絶対ダメージ与えれないだけじゃなくて俺が不利になる一方なんだけど?勝てないんですけど?しかもそれ俺出来ないんですけど?ジャスガ失敗して攻撃食らうのが落ちなんですけども?


 このゲームの醍醐味だいごみとして、ジャスガという技術面で優位に経つことも可能であり、更にはジャスガが出来ずとも普通のガードで奥義ゲージを溜めるのもまた、勝ち筋ともなるのだ。

 当然、奥義ゲームを溜めるには時間がかかるし相手の戦法も読めてくるので、必然的にジャスガの方が出来れば強い。が、それは口で言うほど簡単じゃない。


 話が逸れた。


「いやそれじゃない」


「何?違うの?」


 ならなんだろうかと悩んでいる。悩んでいる内容はどれもゲームのことだろうが、残念ながら俺の聞きたいことは他の事なんだ。


 俺はコントローラーをテーブルの上に置いて突然立ち上がる。

 まだ決着の着いていないゲームを放置したように早尾からは見えるので、驚いてこちらを凝視している。


 ただ、俺がゲームをただ投げ出した訳ではなく、何かしら理由をもって立ち上がったのだと悟ったのか、黙って見守っている。


 俺は特に何も言うことなく本棚の前に立った。

 実際のところ、何も言うことがなかった訳ではない。何かを言おうにも、言葉が出なかった。


 親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるように、自分にとって1番仲のいい友達とは言え、踏み込んで欲しくない領域や、行き過ぎた質問は相手を困らせる。


 何気ない一言が人の閉ざした記憶を開閉させ傷付けることはあるのだ。

 それをただの自分の好奇心で、と考えれば、この質問の重みも変わるというものだ。

 何よりなぜこれ程までに慎重に、そしてこの先の事を危惧しているのか。


 これまで早尾に妹が居たと聞いたこともなければ、仲の良かった幼なじみが居ると聞いたことは一度もないのだ。

 何故か?言いたくないことだからでは無いのか?しかし知らないからこそそこに興味を持ってしまう。


 自分の肺にモヤモヤと蟠る《わだかま》空気を、ゆっくりと吐き出す。


「あのさ、言いたくないことなら言わなくていいんだけど……」


「……うん」


 俺が何故、本棚の前で立ち止まり、そして言いにくそうにしているのか、もう完全にわかったようで、俺の言葉の続きをそれでも待ってくれていた。


 口の中は渇ききっていて、上手く言葉が出てくれるかが心配だ。


「この写真に写っている男の子は…、早尾か?」


「うん。そうだよ。多分小学三年生の頃だったな」


「そうか」と頷いたあと、写真の中に笑顔で写る男の子を見た。そしてその横に並び立つ女の子も。

 俺は一体こんなにもこの女の子を気にしているのだろうか。


「……この女の子は誰なんだ?幼馴染か?」


 はははっと、少しでも場の空気が弛緩するように柔和な笑みを浮かべようと意識した。


「高梨には言ってなかったね」


 早尾は言葉を探しながら、途切れどきれに続きを紡ぐ。


「その女の子は当時小学一年で、えーっと、夏休みに撮った写真なんだ」


 小学一年生と三年生、二つ下らしい少女は本当に一年生なのかと思いながらもう一度顔立ちを見てみた。

 やはり大人びて見えるその少女は到底一年生とは思えなかった。


「実は、昔のことで、僕もあまり覚えていないんだけど、その女の子は、妹なんだ」


「いも…うと?」


 最初はその線も考えたが、一日経っても顔を合わせなかった辺り、違うだろうと踏んでいたがどうやら本当に妹だったらしかった。


「え?でも待ってくれ、妹は家にいないじゃないか」


 もしかしてこの家で会っていないから居ないものだと思っていたが、なにか理由があってどこかの部屋に閉じこもっているのかもしれない事を頭になかった。


「…あぁ、家にはいない」


 早尾はどこか、懐かしむような、悲しむような表情で切なげな声を震わせた。


 まさか…


「まさか……、妹さんは」


 小学一年生にして、もしかして……。

 あまりにも残酷な現実を想定し、俺たち歳ではまだ遠いものだと感じていたそれが身近にあったことに驚いた。

 俺は口を抑えて、涙線が痺れるのを感じた。


 俺は、やはり踏み込んではいない領域に、土足で上がり込んでしまったのだろう。


 いつの日か、南のことを土足で上がり込んむ無神経なやつだと心の中で侮辱したことがあったのを思い出した。

 誰が人を侮辱する権利があるだろうか。

 最も愚かなのはいつだって自分自身だろう。先が見えているのにも関わらず進んでしまった馬鹿者を殴りたくなった。


 俺の拳には痛いほどに爪が食い込んでいた。そのことに気付くのは何分後の話だろう。

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