第28話 ありがとう
窓から見える景色を眺めていた。
暗闇に包まれていると思い込んでいた世界は、あれは本当に暗闇に覆われていた訳ではなかったのだと、真っ暗に染まる外を見ることで初めてわかった。
俺はどの時間外を眺めていたのだろうか。自分でもわからないうちに無心で外の1箇所をずっと見つめ続けていたようだ。
テーブルには南と三浦さんがコンビニまで買いに行ってくれポカリスエットや『元気ドリンク』と表記された栄養ドリンクと思わしきものが置いてある。
あれ?南と三浦さんはどうしたんだっけか。
そう考えながら、今は何時だと、もういい加減見慣れたデザインの時計を確認しようかと思い、首を斜め横に傾けた時だった。
時計が七時だと認識したと同時に、確か数時間前に南と三浦さんには時間が遅くなる前に帰った方が親御さんも安心するだろうとかなんとか、玄関で言った気がする……。
あの二人には今度何かジュースでも奢ってやるかな。折角の土曜日、台無しにしてしまっただろうか。……はぁ。
「んんっ。……うぅ……」
早尾が息を苦しそうに漏らすのが、見なくともわかる。きっと苦痛で眉間にシワが寄っているだろうことまで、脳裏に浮かべるには簡単すぎるほど、早尾が何度も呻き声をあげる度に見た。
親が心配しているかもしれないと思い、連絡を入れておこうかと、遅い連絡を家族のLINEグループに「遅くなる」とだけメッセージを残しておいた。既読はすぐにつかないので、時間帯的にご飯を食べているのかもしれない。
やっぱり、お腹…、空いたなァ。
ふぅ、と息をついた。
俺の家では普段七時頃に晩御飯なわけだが、早尾の親御さんは帰ってくるのが夜遅いみたいだし、晩御飯は孤食なのだろうか?だとしたら寂しい、な…。
「んんっ……?…高梨?」
額に氷を詰め込むだ袋を乗っけていたのを知らずに頭を上げたからか、そのまま早尾の横にガシャリと落ちた。
早尾が呻き声を上げたと思ったあと、やっと意識を覚ましたようで、重たい首をこちらに向けた。
男の割にはやや高い声が特徴的な早尾の声とはかけ離れた低い声が耳に届いた時、何故か心臓が驚くように跳ねた。
「あぁ、ごめん。こんな時間まで、……ごめん」
早尾は起き上がってすぐに窓から外の様子を見て、真っ暗なことから時間帯を
俺は無理やり体を起こそうとする早尾を手で制しながら、「いや、いいよ」と全然問題が無いことを首を横にふって体でも表す。「でも…」と言いたげな早尾の言葉の続きを待つ前に俺が言葉を被せた。
「こっちこそ、ごめん。俺の所為で……」
俺は頭を下げた。
早尾は俺が頭を下げる道理がまるでわからないと言った顔で俺を見た。
「なんで高梨が謝るん?」
「え?なんでって…、それは」
「別に高梨が原因で熱中症になったわけじゃないよ?それに僕、普段あんまり真夏日に家から出ることが少ないからさ、多分それが原因かな?今度からもう少し外出することにするよ、ははは」
自虐ネタを挟みながら、力なく笑う、というより余りの自分の情けなさに笑ってしまうと言った感じだ。
熱中症にかかったのが直接的に要因になっていなかったとしても、何か自分に出来たことがあったんじゃないのかと考えれば考える程、いくらでも気をくばれるタイミングはあったとおもうのだ。
「でも──」
「それに!殴られたのも関係ないよ?確かに痛かったけど。なにより、何の関係もない僕の友人が、僕のせいで巻き込まれたわけだろう?」
「……」
「高梨は僕達のために行動を起こしてくれたわけじゃないか。ありがとうな」
ありがとう…、か。
俺は確かに、あの場を一番手っ取り早くに終息させるの証拠となるものを残し、それで脅してさっさと帰ってもらうつもりではいた。
もし相手が憤慨して本当に殴られたとすれはば、注目してこちらを見ていた全ての人が証拠人となり、会話内容もしっかりと録音した音声と共に突き出してやろうと思っていた。
自分が殴られる痛みより、友達が殴られる姿を見る痛みの方が心に深く刺さることは明らかだった。
でもそれは、早尾を守りたいという口実で自分を無自覚のうちに自衛しようとする利己的な考えに過ぎなかった。
それを綺麗な友情だとか、ありがとうだとか、感謝をされるのは筋違いだとおもうのだ。
それに比べて早尾はどうだろうか。早尾が優しいやつなのは随分前から知っている事だ。最初は優しい彼の横に並んでいることで俺も優しくなれるんじゃないかなんて、浅はかな考えで近ずいていたのが理由の大半を占めていた程だ。
でも、早尾の横にいる時間が長くなればなるほど、『優しさ』とは何を示すのか、昔は優しさにモヤモヤがかかっていたのが、今では明確にその度合いや何を意味するものかがわかるようになった。
相手の為を思うこと。そんな単純で簡単な事だ。
単純で簡単だからこそ、難しく誰もがその領域に辿り着くことができない。それは大人として成長を成せばなるほどに難しい課題となるだろう。
相手の為を想う気持ちの一心だけを頭に浮かべて行動に移す者こそが真に優しい人間なのだろう。だからよく、友達だからこそ悪いと思った事をしていたら止めるように!と耳にするのではないか。悪い事だと指摘した時、距離を置かれるのではないか、自分がこの先虐められるかもしれない。そういった不安が自分を飲み込む。それをも持たぬ者が、本当に心の底から、本心で相手の為を思って悪い行いを抑制できるのだと思う。
ほんの少しでも自分の為になることを、それが頭の片隅だったとしても意識してしまうと、それは自分本位の行動になり、利他的な皮を被った自己中の塊だ。漫画に出てくるような野望を抱えた悪者よりよっぽど悪に近い醜い形だ。俺はそう思う。
室内はあかりが着いておらず、真っ暗で早尾の表情は計り知れないが、早尾は肩に手を置いて口を開いた。
「高梨が何をそんなに深く考えてるのかわからないけど、でも俺や南さんのために少しでも行動してくれてたんだったとしたら、それだけのことでも、ありがとうって感謝を伝えるのは普通だろ?」
俺は何も返事を返すことが出来なかった。
「だからさ、ありがとう」
真っ暗な部屋の中でも、早尾がニコニコと朗らかな優しい笑顔を浮かべてるのは弾んだ声を聞くだけでよくわかった。
今すぐ考えを改めるのは、無理だろう。
きっとこの先も、この太陽のような明るく真っ直ぐな存在を横に、自分と比較して、自分の情けなさに嫌悪感を抱きながらも、そのコンプレックスを克服しようと
100%、相手の為を思って行動するのは無理だろう。
でも、何度も何度も俺は、自分でも無意識のうちに早尾のために、早尾のために、そう考えていて、でもそれが不意に自分の為でもあるのではないかと自分を嫌になって。
でも、俺が早尾の為に取った行動で、早尾が喜んでくれたなら、今日の一日を無駄だとか、つまらなかったとか思わず、ありがとうと伝えてもらえたなら、そんな屁理屈気にしなくてもいいんじゃないか。
だから俺は、こう返す。
「ばーか。何も考えてなんかねーよ。今度、南と三浦さんにも感謝の念返しとけよ?」
力が抜けるように、はははっと笑う早尾。
「今日は本当に楽しかったよ。最後はこうなっちゃったし、ファミレスでも好きじゃない人と出会ったりメガネ壊れされたり」
「こうやって聞くと全然楽しくない一日じゃないか?」
俺は半分冗談半分本気で様子を伺うように茶化して言った。
「んー、確かにそうかもしれないけど。でもさ」
言葉の続きを待つ。
今夜の何時かとか、そういえばご飯食べてないな、とか、結局格ゲーで全く勝てなかったな、とか色々なことが頭の中を駆け巡る。
「楽しかったよ。念願の南さんと遊ぶことがこんなに早くに叶うなんて思ってもみなかったし。これもそれも全部!高梨が横に居てくれなかったら、ダメだったかもしれないだろ?」
こんなに、早尾は格好良いことを言うやつだったかと、これまで眩しいと感じていた太陽はいつもに増してメラメラと勢いをより強く、熱く、激しく波を売って成長する。
俺は勝手に置いてけぼりにされているような感覚になっていたが、それは自分だけだったようだ。
早尾の横には俺が居る。
その事実が堪らなく嬉しかった。胸がドコドコと音を立てる。血液が勢いを増して循環する。
「ありがとう」
何故か無性に感謝を告げたくて、今度は一言一言を噛み締めるように大事に、発音にも気にして言葉にした。
早尾はそれをうんと頷き、俺も早尾も、何故か控えめに笑った。
照れくさがったが、嬉し泣きの涙がポロリと落ちた。
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