第10話 知らない彼の本気


 午前の授業は全て終わり、昼休みに突入した。

 トイレに行くところから教室に帰ってくるまでの間、俺達は終始無言だった。

 無言の時間は喉につららを突き立てられているような緊迫とした空気で貼り詰められていたと思う。勿論俺がつららを突き立てる側でオタク君が突き立てられる側だ。


 教室に帰ってきて、普段通り飯を食べ始めようと弁当箱を開けたタイミングで、箸を一旦置き、彼の顔を見た。


「ダメじゃん」


「はい申し訳ございません」


 ただ一言。たった一言に全てを込めた。

 当然彼も思うところがあったのか、俺の言葉を聞いたと瞬時に謝罪をした。


「……怖気付いてしまったのか?」


 まさか直前になってトイレに行きたくなったり、強度の緊張からお腹が痛くなったりした訳じゃないだろうなと思いながら返事を待つ。


「そ、その通りだぽ」


 訳の分からない口調はこの際置いておく。これがオタク君の通常運転でありデフォだからだ。


「はぁ、お前腹括ったんじゃなかったのかよ?…あんだけカッコよかったのにさ」


 俺は話しながらも彼の情けない瞬間までの記憶を思い返す。

 彼の足元にだけ地震が来ているんじゃないかと思わせるほどに、震わせながらも尚前へ前へと進む姿は確かにカッコイイと思わせた。

 それなのに全く…。


「いやだってしょうがないじゃまいか!あれ近付けば近付くほどオーラ増すんだって!…え?今カッコイ──」


 情けない言い訳など聞きたくもないと言外に伝えるようにさっさと蓋を開けて放置していた弁当に手を伸ばす。

 ついでに彼の言葉を遮って、俺の気持ちを伝える事にした。


「いやな?別に俺は怒ってるんじゃないんだよ」


 何か言いたそうな顔をして直ぐに反論する。


「いやそれ怒って──」


「俺はな、呆れてるんだよ」


「…も、申し訳ないでござる」


 彼の懺悔は、誰の言葉に返されるもなく空中で霧散する。

 怒ってないと言えば、嘘になるかもしれないが、この件、俺がオタク君一人に向かわせたのが駄目だったかもしれないと、俺に落ち度があるのは自覚している。だから本気で怒っている訳では無い。

 それでも、折角彼に対して惚れ直した想い全てが、台無しになった感じがしてやけに虚しかった。


 オタク君のために応援するとは言った。ただ、これまで本気で何かに励んだ事がない俺は、どれくらいの距離感でサポートを行えばいいか未だに掴めないでいる。


 今のオタク君の様子を見ても、この先進展が起こるとは考えにくい。彼のために無理矢理一人で行かせたところで結局失敗に終わったら、もう二度とチャンスが訪れないかもしれない。チャンスは時にピンチにも変貌する。


 はぁ、と聞こえるか聞こえないかのため息をついた後に続けて言葉を繋げた。


「仕方ない。本当はオタク君一人に行かせるはずだったんだけど、はぁ…、仕方ない。俺も行く」


「いやいや、言葉にする前に結構大きめのため息はいて更にそこから仕方ないの連呼、畳み掛けのため息…。どれだけ仕方ないのよ。ワイ悲しンゴよ?」


 言葉にする前のため息は自覚以上に大きいため息だったらしくバッチリと聞かれていた。うそん。そんなに大きかった?ごめんね?多分今、飯時でお互いの距離感近いからだね、いやほんとごめんね?


 恒例の心の中でだけ謝っておき、俺の仕方ないからの前置きをたっぷりした着いて行こうかに対する返答を待つ。


「あの…さ」


 巫山戯たふざけた時間は終わりを迎え、唐突にシリアスが訪れたのを彼の表情で察する。


「なんだ?」


 真面目な顔付きで話す姿は先日の朝と被って見える。


「そう言ってくれて、助かるよ。でも、それでいいのかな?それに、折角のところ申し訳ないんだけど、高梨と僕が揃ったところであのグループの中に入るのは無理だよ、やっぱり南さんが1人の時とか!別の機会に──」


 オタク君は一人称がうっかり僕になってしまう位には余裕が無いのだろう。


 クラスの皆に馬鹿にされ、見下され、さげすまされてきた経験から学んだ知恵が警告しているのだろう。

 彼は心配なのだ。俺だって同じだ。俺だってオタク君と何ら変わらない。


 恋に落ちたら人は変わる。誰もがそう言う。当然オタク君もその一人だと思った。

 それでも、これまでつちかってきた物はそう簡単にひるがることはない。

 きっと彼は分かっている。自分の根底に眠る記憶トラウマの数々を忘れることなど到底出来やしないことを。


 これから行うことの為にも、その前に確認しておかないといけないことがある。


「なぁ、オタク君。南のこと、どう思っているんだ?危険を顧みることなく前に進むことを選ぶか?」


 これはといだ。

 オタク君が、南に対しての想いの度合いを再確認するのは必須だ。彼が何処まで本気なのか、お遊び半分では無いかの確認は大切なのだ。


 オタク君が言うように、俺達のような日陰者に彼女らの存在は眩しすぎる。

 俺達のようなナメクジのような人間は見向きもされないどころか、容姿がみにくすぎるあまり逆に目立ってしまい嫌われる。


 例え嫌われようとも、我が道を苛まれようとも、想いが強いのなら、本物なら、きっとではない何処かに辿り着く。


 先を信じて、俺たちは──


「勿論だ。この気持ちに偽りは、無い」


 日頃の、悪ふざけのように語尾をまるで痛い子のように特徴的にしたり、いちいち所作しょさを大袈裟にしたり、例をあげればキリがないが、それらの行動は自分を保護する行為に違いない。


 本当の自分の姿を否定されるのが怖くて、恐ろしくて、嫌だから、自分の上に薄っぺらい別のものを被せることで本体にいくダメージを和らいでいる緩衝材かんしょうざいに過ぎないだろう。


 しかし今のオタク君はどうだっただろうか。

 ここまで真剣で本気な彼を俺は知らない。

 を知らず知らずの内に知った気になっていた自分に気付かされた。


 もう、彼の面構えを見れば誰だってわかる。

 答えは出ているようだった。

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