第8話 キャッチボールと定規


 太陽が傾いたと表現するにはもう遅いほどに時間は回っていて、太陽はもう顔を隠そうとしていた。今日一日崩れた天候だったかもしれないが、雨が降り続けることに比べれば嬉しい。


「もう…、やめて」


 辺りが暗くなり始めてだいぶ経った頃、オタクの悲痛な声が俺にこれ以上の追従を拒んだ。

 オタク君のダメなところをこれでもかと熱弁してやると、もう既にライフはゼロなのか泣き崩れそうだ。


「ま、まぁ、ここいらで止めにしとくとするか」


 がくりと肩が落ち込んでしまった哀愁漂うその姿に同情を誘われる。

 しかし自覚はあったのか俺の罵倒とも取れる言葉の数々に反論することは最後の最後まで無かった。それも最初はひたむきに話を聞いていたものの少し経てばもう限界を迎えていたが。


「僕、そんなにダメ?」


 散々に言ってしまったのもあって弱気になってしまったようだ。

 励ます気持ちを込めて、本心からの言葉を聞かせる。


「先も言ったことだが、全部注意してれば問題ないんだって」


「そうは言うけど難しいよそれ。はぁ、やっぱり1人で話しかけに行くなんて無理だよ」


 やり過ぎたなと反省しながらも彼に投げかける言葉を模索する。


「……僕に話しかけられて、迷惑って思わないかなぁ?」


 自分が周りからどのような評価を下されているかを知っている。容姿が気持ち悪いと侮蔑されている意見が耳に届いているからこその、悩み。

 彼は優しいのだ。その優しさは自分よりも真っ先に相手のことを優先し、そして自分のせいで相手が傷つくことを避ける為、自分から積極的に動くことは無い。



 俺が最初に話しかけに行った時もそうだった。いつも一人でいる彼の姿は俺と似ていてまるで違った。クラスの皆にハブにされ、ぼっちにさせられたのではない。彼がぼっちになることを選んだのだと、わかった。


 いつも1人でいる事を選んだオタク君と、友達が出来ずいつも一人居る俺。互いの距離が近ずくのは時間の問題だっただろう。

 きっと俺が話し掛けに行くことがなかったとしても、どこかできっと交わる点だったのだと思う。



「南がよ、オタク趣味…、まぁオタクアニメを否定しなかったの、言ったよな?」


「え、あー、うん。したね」


 俺は下校時間の最初に話した内容を掘り返した。

 変わらずオタク君から感じる生気の勢いは無に等しく、目の色は淡く揺れている。


「それでさ、まず先入観にとらわれない性格だって事がわかったのが、すげー嬉しかったんだよ」


 俺の伝えたいことがオタク君に伝わったかどうか、それは俺がオタク君の方を向くことなく、ずっと前を見据えて歩いているからわからない。


「俺、ギャルのグループで目立つ南のことを、見た目で決めつけるやつだと思って勝手に一括りにして決めつけてたんだよなぁ……」


 自分も、世間でよくアニメやラノベを知りもしないで批判するグループと同じで、相手のことをよく知りもしないで毛嫌いしていたのだ。その事に気づいた時、嫌悪感が俺を襲った。ただひたすらに自分を殴りたくなる衝動に駆られた程だった。


「でも、今日たまたま一緒に登校したからこそ分かったことがあった。あいつは少なくとも見た目で決めつけるようなやつじゃないって。しっかりと中身を吟味した後で、どう思ったか決めるやつなんだって。多分だけど」


 まだ話してちょっとしかなく、俺も積極的に話しかけに行った訳では無いから深くはわからない。それでも、南のことがちょっとはわかった気がする。



 今度はオタク君の方に目線をやって、話を続ける。

 オタク君に落ち込んだ様子はもう無いみたいで俺の言葉の続きを待っていた。


「だからよ、気にしなくていいと思うぜ?それより、先俺が言った気持ち悪いと思われる箇所を極力思われないよう気ィ配っとけよ?」


 最後はおちょくるように少し悪戯っぽく言った。なんとも言えないむず痒さが背中を駆け巡って、ぞわぞわと浮く感じがした。


「ふははは!我を励まそうとしているな?無用!我は些細なことでダメージを受けることなどないっ!」


 よく分からない謎の勢い。さっきまでガラスのハート以上に弱いメンタルだっただろうと突っ込むのタブーだ。これが彼のお巫山戯状態。

 この何とも言えない気持ち悪さを今では心地よく感じている。オタク君と共に過ごす内に感覚が狂ってしまったのかもしれない。


「それ、俺の前だからやっていいけど、南とか他のやつの前でやるなよ?」


 わかってはいると思うがと付け足し、念の為アドバイスをくれてやった。

 いつもの調子に戻った彼ならば、これくらいの言葉のキャッチボールに付き合ってくれるだろうと、俺たちの既に完成されている定規で計りながら。


「ふっ!当たり前よ!」


 何ヶ月もかけて築いた俺たちの定規ものさしを持ってして成立するこのキャッチボール。

 彼は、未知の領域である南 朱里という存在の元でキャッチボール行おうとしている。


 俺が着いて行ってやってもいいが、自意識過剰であるかもしれないけれども、万が一のことを考えて、応援役の俺の方に気が向くのは頭を抱えることになるからな。

 なりより厄介事はお断りだ。


 ただ心の中で、幸あれと願うばかりである。

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