近づく想い

第5話 朝の雨

 pipipipi!!!


「…ん、うーん……」



 機械音と同時に沈んでいた意識が呼び起こされる。

 時間を確認すると、愛用している目覚まし時計は6時を記していた。



 夢を見ていた気がする。それもだいぶ前の記憶だったような。


 うーん、とどんな夢を見ていたかと思い出そうと唸る。


 そのうちに意識が次第に冷めて、学校の準備をする事にした。




 歯磨きをしながら鏡に映る自分を睨む。


 何かを諦めてしまった、そんな目をしている自分に心当たりだらけで後悔の日々。



 諦めた、その一言が今日見た夢の何か断片的な部分を掘り返すことが出来そうな気がした。



 口の中をぺっと洗面所に吐き捨ててそのまま蛇口から出しっぱなしの水を器用に両手ですくい上げ、そのまま顔面にぶっ掛けた。



 冷たい水は寝ぼけた意識を覚醒させるのに最適だ。




 × × ×



 だらだらと今日は遅めに登校する。


 土が湿った匂いが町中を支配する。


 ポツポツとふる雨に濡れないように、コンビニで売っているような500円のビニール傘を気だるげに持って、水溜まりを踏まないように気をつける。



 朝起きてからはずーっと思案するのに躍起になっていたのもあって、雨が降っていることにすら気づけなかった。


 そのせいで自転車通学は叶わず、昨日と同じく余裕をもって家を出るつもりが少し遅れている。


 このままだとギリギリ間に合うくらい。



 遅刻をしたことはこれまでで一度として無いため少し不安が募る。



 不安と言えば思い出したことがある。


 昨日、オタク君の想い人である南朱里から夏休みのクラスイベントに誘われたことだ。



 その誘いの返事は今日の朝オタク君にするように任せた。しかし、せめてもの救いとして見守ってやると約束したわけだが、守れなさそうだ。

 すまない、と心の中でだけ謝ることにする。

 …流石に今度何かを奢ってやろう。




 何を奢ってやるかと、オタク君の好みを考慮して事を思議する。


 最中、通学路で思わぬ人物を発見した。



 俺よりも少し前を歩いている。

 鮮やかな青のグラデーションが特徴的な傘を差す彼女を、自分のビニール傘越しに見る。



 あれは、南じゃないか。

 このままだとあいつも俺と同じでギリギリでの登校になる。


 昨日の約束の返事を朝にするってことをてっきり忘れてるんじゃないのかと推察する。


 昨日の授業中も後ろから見てたらバレたなと思い出す。

 鮮やかな青の傘に模様があるのを目視していると、パシャッと大きな水溜まりを踏んでしまったようだ。靴下が重くなる感覚に顔をしかめる。


 顔を下げるとやはり大きな水溜まりに足を突っ込んでしまったようで、ついため息が零れた。



 不意に顔を上げると、前方には青い傘から顔が覗いていた。


 当然顔を上げた俺と目線があうわけで、お互いに、あっ、と口が少し開いた。



 俺は歩幅を変えずそのまま何事もなかったように振舞おうと決めた。


 しかし彼女は俺が隣に並ぶのを待つように先程と歩幅が変わって減速していた。



 どうしようこのままだと隣に並んじまうよと内心焦っていたが、だからといって彼女に合わせて自分まで歩幅をゆっくりにしてしまうと遅刻確定なわけで、仕方なく彼女の横に並んだ。


 俺が横に並んだのを確認するように少し傘を上げてまた顔をのぞかせた。

 不覚にもそのポーズに心が高鳴った。



「おっす。今日雨じゃんね。傘だるいわ」



 先に声をかけて来たのは南からだった。

 無視すると後々面倒くさくなるので反応は示しておく。



「おっす」



 彼女に対して挨拶だけで済まして、それじゃこれでと言った感じで足早に彼女を置いて先に行こうとする。


 すると背後からまってまってと声をかけられる。



「…ん?何か用か?」


「なんそれ。同じクラスなんだし折角だから途中まで一緒に行くでしょ普通」


「……誰が決めた普通なんだよそれ」


「んー、……あたし?」




 ついため息が出た。周りに俺と南以外の生徒が居ないのかと見渡してみるが、登校時間がギリギリなのもあって誰もいない。


 誰もいないことにほっとするも、他に誰か居たらわざわざ声をかけられることすらなかった可能性を考えると素直に喜べない。



 まぁ、丁度いい。オタク君にとって何か情報を仕入れることが出来ればいいかとポジティブに捉えて南の案に乗ることにした。



「……じゃあ、一緒に行くか」


「何、今更?もう決定事項なんだから。んなの今更言われても変わらないから」


「あと改まって『一緒に』とか言わないで、キモイ」



 ズケズケと土足で人の心の中に入り込んでくるようなやつだ。悪印象だ。どんどんイメージダウンしていくのを感じる。

 無神経なやつだなと呆れると同時に一緒に居るのが苦痛と感じる。



 ……この強引な感じにオタク君は惚れているのだろうかと、わからない価値観を理解しようと試みるも失敗。俺にはどうしても分からない。



 ぐぬぬと呻きながらも素直に彼女に並ぶ。



 一緒に登校するとは言ったもののお互いに話題を振ることもなく沈黙が続く。


 沈黙に耐えかねたのか、南が先に口を開いた。ちなみに俺から沈黙を破ることはない。



「ね、…えー、……あんたさ、休日とか何してんの?」



 昨日は覚えられていた気がする自分の名前を忘れられている事に気を取られそうになるも、彼女の素朴な質問に答えてやることにする。


 …別に忘れられていることに傷ついたなんてことはない。ないったら無い。



「起きてテレビ見て、暇だったら散歩して、昼寝して……みたいな」


「おじいちゃんかよ」



 間髪入れずに突っ込んできやがった。


 ケラケラと笑う南を見て、仕返したくなった。今度は俺の番だとやり返すぞと気持ちを込めて全く同じ質問をする。



「そー言う南、お前はどうなんだよ。俺の休暇の過ごし方をケタケタと笑いやがって」


「あぁ、いやごめんごめん。別にバカにしてる訳じゃないけどさ、高校生らしくないのがもう爆笑」



 俺の物申しは伝わったのか、未だに笑っている。

 バカにしている訳ではなさそうなので、本気で怒ることも不機嫌になることもないが、良い気持ちになるわけではない。



「んとねー、まずインスタチェックして、バイトがなかったら漫画読んだり、やっぱ遊んだりとか」



 インスタを見たり、バイトをしていたり、なんか簡単に想像つくな。後遊ぶっていうのもゲーセンでプリクラ絶対に撮ってそう。


 しかし、漫画か…。



「はーん、漫画……ねぇ。意外だな」


「いや意外とか、んなことないからー。めちゃ読むから」



 思ったことが口に出ていたのだろう、南はすかさず反論してくる。


 漫画を読むジェスチャーをして本を読んでいることを現す南。




 漫画を読むこと自体、オタクの嗜みであり文化、なんてことは断じてない。

 漫画は皆の娯楽。誰かが独占することも読者層が決定付けされることもない。


 漫画だけでなく、オシャレだってそうだ。オシャレはイケイケな野郎どもだけがするものでも無い。

 多少自分の顔に自信が無い者だって恥ずかしくないようにオシャレには特別気おつける。



 ただそれらは、お金に余裕があるか、知る機会があるか、偏見や先入観に囚われていやしないか、など問題や課題があるだけに過ぎないのだ。


 そのしがらみが故に手を出したくても出せず、触れていても隠し、より格差をうむことへと繋がる。



 だから、ギャルが漫画を読んでいようといなかろうとそれを馬鹿にしてやる必要もないし、対して驚いてみせる必要も無い。



 恐らくだが、南の指す漫画というのは、誰もが知っているようなメジャーな作品だろうか。



 とにかく南が漫画を読むなら、何を見るか、知っているかを知りたいな。

 オタク君にこのことを伝えてやれば、共通の趣味・話題が見つかってハッピーだ。


 念の為、聞くことにする。



「…漫画って?何読んでんの」


「あー、『フルパワー』とか『メツボウ』とかかな」



 ふむ。よし、取り敢えずその二作品を戦利品として持ち帰ろう。



 ホクホク顔の俺を他所に、南はまだ思いつく限りの作品名を挙げている。


 適当に聞き流しながら、まだかまだかと学校を目指す。



「あ、あと最近オススメされて面白いなってやつあったわ」



 何か思い出したみたいで、もしかしたら俺も知らない作品の可能性が捨てきれないので、気持ち南の方を見ながら続きを待つ。



「『織姫様の秘密』って言うんだけど、知ってる?」



 さきとは違って、少し小さめの水溜まりを踏んだ。


 もう靴下はビシャビシャで歩く度にぐじゅぐじゅと鳴るくらいだから、気にはしない。


 それより彼女が俺に、『何を』知っているか?と聞いたのか、再確認したい気持ちになった。


 聞き間違いじゃあないよなと思いつつ、とりあえず肯定の意を示す。



「あー、まぁ知ってるな」


「異世界?って言うんだっけ?なんかおもしろーって思った」



 語彙力が欠けていることなんて一切気にならなかった。


 それより、今絶賛話題沸騰中のラノベがアニメ化した、『織姫様の秘密』を南も見ているだなんて、流石に驚きだ。



『織姫様の秘密』。

 今流行の異世界転生ものだ。


 織姫様が異世界で彦様と瓜二つの顔をした人物を目撃するところから話が始まる。そこからは彦様に近づくために沢山の壁を異世界で出会った仲間と乗り越えて、成長していく話だ。



 重要なのは原作は漫画ではなくラノベ。要するに、南はラノベかアニメかのどちらかを見たということ。



 南 朱里という人間が少しずつ見えてきた。


 人気、有名、話題。この三つが揃えばどれだけジャンルがオタクよりであろうと、少し押してやれば触れることが出来るタイプらしい。


 もしかしたら食わず嫌いはしない性格なのかもしれない。少しジャブをうってみるかと、軽く突っついてみる。



「あのさ、南ってアニ──」




 勇気をだして聞き出そうとした瞬間だった。


 静かに振る雨の中、学校のチャイムが響き渡った。


 言いかけたセリフは完全にホームルームの始まりのチャイムに掻き消されてしまった。



「やっば!チャイム鳴っちゃったじゃん!おら高梨!急ぐぞ!」



 それよりもこのままだと遅刻扱いされることに焦り、お互いに顔を見合わせてもう目と鼻の先にある学校まで、雨なんてお構い無しだと全力でダッシュした。



 さっきまでは忘れられていた名前を呼ばれたことに気づいた俺は走りながら、南に途切れ途切れになりながらも言ってやった。



「……てかっ!名前!…はぁ、覚えてたんじゃねーか!」


「はぁ…、あっ?…名前?はぁ……、あー!そうだ!…はぁ、高梨だ!」






 バシャバシャと濡れた地面を思いっきり蹴り飛ばす二人。


 降り注ぐ雨をカバーしていた傘は畳まれいる。

 濡れていなかった肩や頭髪も少しずつ濡れ始める。


 男女が蹴り上げた際に跳ねた水で濡れたズボンの裾。


 どちらも力いっぱい踏み込むことで跳ね上がる水飛沫の事なんて頭にない。



 同じ目的地まで、迷いなく走り抜ける。


 遅刻が確定すると分かりきっている。

 それでも走った。

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