15▶呼び声

 嘘つきな人だった。

 

 パンダの地肌は黒だから、丸刈りにするとクロクマになるとか。

 夕暮れ時に降る雪は、夕焼けを反射して赤いのだとか。

 夏に収穫したのを梨、秋に収穫したのを林檎と、呼ぶとか。

 しょうもない嘘ばかり、ぺらぺらと。いつも次こそは騙されないぞって思うのに、出来なかった。いつだってその嘘を、見抜くことは出来なかった。


「真宙、早く。そっちは危ないから、こっちに来なさい」


 だから、分かる。

 嘘だと分かるから、これは父さんじゃない。あの人じゃないとわかるのに、たまらなく懐かしかった。苦しかった。


「父さん、」


 ずっと。言いたくて、言いたくて、言えなかった言葉が、するりと喉を次ぐ。目の奥が火を持ったように熱い。違う。これは違う。その理性を感情が、押し流す。


 怖かったのだ。

 家にただの一枚も、父の写真はなかったから。島から離れて、誰一人父を知らない場所に来て、写真ないのと聞かれるたびに、それがどれだけ異質なことか、思い知らされるから。

 目元に白い切り傷があります。身長は、自販機と同じくらいで、目は細くて、眉毛は平行で。髪は黒で、天パ気味で。説明するたび、ひとつひとつの言葉だけが強く、バラバラの記号になるようで不安だった。


「真宙」


 記憶にあるままの顔に、声で、頭がぼうっと痺れていく。一瞬だって、目を離したくなかった。

 

 このままずっと、見つからなかったら。

 こんなに大事な、大好きなこの人の顔を、いつか自分は失うとーーたった二ヶ月で思い知らされたから。


■□■□



 薄闇の中、灯火のように目立つ雪色の髪を見つけ、安堵したのも一瞬だけ。吸い寄せられるようにふらふらと進む、小さな背の先。真宙を手招くひとつの影に、心臓が冷えた。


「真宙!!」


 大声で呼ばうが、真宙はまるで反応しない。焦りについ、注意が疎かになった。

 狭い廊下を突っ切る途中、何かが足に引っかかり、派手に転げる。


「ーーっ痛ェ!!」


 足が引っかかる位置に張られた横糸に、転倒する位置に敷き詰められた粘糸。べちゃりと、ゴキブリホイホイよろしく床に張り付けられ、星嵐は、身動きひとつできなくなる。


 こんな手に。星嵐は臍を噛んだ。


「真宙、聞け!! 騙されんな!! そいつは偽モンだ!! 朧月おぼろつきだ!!」


 怒鳴る。朧月は、牡丹燈籠と同じ下級ーーなりたての命喰いだ。強さで言えば、牡丹燈籠に遥かに劣るが、その能力は真宙と食い合わせが悪い。致命的なまでに。

 朧月は自身の持つ誘引器官で、巣に落ちてきた獲物の脳波を読み取り、それぞれが求める似姿を作り出す。


「ーー嘘つきだよね、父さんは」


 その言葉に、星嵐は真宙の目に誰が映っているのかを知る。泣き笑いのような声だった。


「何考えて、私といたの。……あなたは、だれなの?」

「父さんは、父さんだよ。だからほら、こっちに、」


 天井から降りてくる粘糸は、もうその髪に触れるほど近い。


「真宙!!」


 後ろだ。怒鳴った声は、朧月のあげた声にかき消される。

 

「まひろ、とうさんだ。とうさんだよ。ななな、にをな、する、だ。たい。いたい、じゃない、か」


 斬りつけられたーー真宙が斬りつけたのだと、すぐに分かった。真宙にちょうどかぶって見えなかった男の姿は、霧が晴れるように揺らめき、その正体を露していく。

 のっぺらぼうの能面を被った頭部に、蜘蛛と提灯鮟鱇をこねくり回してつくったような図体。でかいだけでのろく、やわなその身体には、あちこちに口が咲いている。

 マヒロマヒロマヒロ。

 最早似ても似つかぬ声に、命具を握る手に力が籠るのを、星嵐は見た。

 そこからはもう、一方的としか言いようがない。元より、厄介だったのは能力だけ。朧月は重火器でも充分、対応が可能な命喰いだ。すぐに鰓を見いだし、真宙はその身体にトドメを刺す。主を失った空間はたちまちに壊れた。

 

 今頃になって回復した通信から、生体反応のある場所に向かえば、そこにはうつ伏せに倒れた配信者の姿があった。やはり、巣に引きずり込まれていたのだろう。命核は失っていたが、命に別状はない。

 配信者を背負い、階段を降りる。

 手配された救急を待ちながら、星嵐は真宙に訊ねた。


「アレが朧月だって、いつ分かった」

「星嵐が来る、ちょっと前かな」

「……聞こえてたのかよ」

「うん。でも騙されたフリしてた方が、あっちも油断するかなって思って」


 あっけらかんとした答えに、羞恥がこみあげる。あんな古典的な罠にひっかかったあげく、真宙の演技にも気づかず、喚き立て。

 勝手に熱くなる頬を手で掴んだ所で、ふと真宙が零す。


「それに、ないから」

「ん?」

「あの人の事、父さんって呼べたことないんだ。一度も」


 思いがけない告白に、驚く。

 真宙が昔、両親を火事で失くし、そのショックで記憶を失ったこと。その後親戚ーー真宙の言う「父さん」に引き取られ、島で育ったことは聞いていたが、この話はまだ、聞いたことがない。

 真宙が自分のことを口にするのは珍しい。星嵐は、振り向きたくなる気持ちを堪え、務めて何でもないように相槌を打った。


「『お前の両親になることは出来ないが、二番目の父親くらいにはなれる』って。そう言ってくれたの。いちいち詮索されたくないだろって、周りの人には本当の父親ってことにしてたから、そういう時は言えたよ。だけど二人の時は駄目だった。何でかな。ーーニセモノには、言えたのにね」

「練習だと思っとけ」

「え?」

「本物に会って、こんどこそ言やいいだろ。……呼びたかったんなら」


 小さく、隣で真宙が笑う気配がした。


「練習って。……私、あの『父さん』、斬りつけちゃったんだけど」

「茶化すな」

「ごめん」


 少し声は震えていたけど。沈黙の先に、鼻を啜るような音が聞こえたような気がしたけれど、星嵐は何も見なかった。


 ありがとう。


 風に紛れ込ませるように、真宙が囁く。


「……いっこだけ、嘘ついた」

「嘘?」

「うん。見栄を張った、とも言う」


 もったいぶった言い回しに、先を急がせたくなるが堪える。一ヶ月にも満たない付き合いだけど、その性格は少しずつ、分かってきたつもりだ。猪突猛進ともいえるその積極性は、他人に対してだけ。自分のこととなると茶化して、誤魔化し、すぐ煙に巻こうとする。

 辛抱強く星嵐は待った。垂らした糸に魚が食いつくのを待つ、釣り人のように。


「偽物だって、わかってはいたんだよ。でもなんか、のまれちゃって。あのままだったら駄目だった。動けたのは……やれたのは、星嵐が、呼んでくれたからだよ」


 私、ちょっとだけわかったかも。


 そう言って真宙は立ち上がり、こちらを振り向く。どこか、誰か懐かしいーーその笑みの種類は多分、無垢と呼べるもの。


「分かったって、何が」

「んー、内緒」

「なんだそれ。気になんだろ。言えよ」

だ」


 きぱっと真宙が拒否した所で、救急車のサイレンが上ってくる。少しずつ近づいてくるその音に、星嵐は傍らの男をよいしょと背負い直した。

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二番目のヨスガ 遊十 @miki_yamato92

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