14▶彼は誰時に、君に逢いて

 ーー夜兎君が休みのところ申し訳ないんだけど。

 

 通信を切った土岐の、その切り出しだけで、7日ぶりのオフが消えることは確定した。

 言葉こそお願いの体を保っているが、答えに否は許されていない。元より、断れるような立場でもないし。

 まぁ別に、働くことはいいのだ。食事と睡眠、訓練の時間はちゃんと確保されてるし、人員が不足していることも分かっている。ゆるブラックというやつかもしれないが、現状自分がお荷物であることは間違いない。

 命核管理局命災防止対策室壱係付ヨスガ、という舌を噛みそうなそれが、今の真尋に与えられた肩書だ。長いので、命対壱メイタイイチ、あるいは単に壱係イチガカリと略される。くくりの所属する弐係も同様だ。


 本来、命対メイタイとしては、命喰いの討伐だけでなく、命核の運搬警備などの命喰いとの遭遇可能性が高い案件もこなしていかなければならないーーむしろそちらがメインらしいーーのだが、專ら現在真宙達壱係が任せられているのは黄泉戸の封印という、調査がメインの業務がほとんどだ。


 戦闘経験が浅いことと、他課と協力出来なさそうな現状を踏まえてのことだろう。ちなみに、これについてほうぼうから、お高く留まりやがってという声があがってるのも知っているが、どうせ白い目が向けられるのだから同じこと。


 断りたかったらしい星嵐は、そういうとこまで折りこんでんだよとぼやいたけど、それはそれ。苦手な相手であっても、恩は恩。休みが多少犠牲になるくらいはいいか、とーーまぁ、そんなこんなで出立し、小一時間。


 星嵐の運転するバイクに乗ってやってきたのは、特区の端。他区との境界壁に位置する、天乃原が特別実験区域に設定される前の元区役所だった。


「今回もホラー案件……」


 赤の煉瓦づくりの建物を見上げて、真宙は呟く。どよぉおん、と。立派な廃墟は、曇り空も相まって近寄りがたい雰囲気を放っていた。


「此処で人死ひとじにが出たことはねーが、心霊スポット扱いされてんのは違いねーみたいだな」

「マジで」


 横に回って画面を覗き込めば、星嵐はいくつもある投稿のうちから一つを選ぶ。今まさに自分達がいるこの場所で撮ったであろう写真だ。


「どうしたの」

「こいつ、四階の写真以降、投稿がない」

「フツーに帰ったんじゃ?」

「こういうヤツはウチに帰るまで続けんだよ。……最後のはーー十時間前か」

「まだ中にいるってこと?」

「可能性の話だ。通報も入ってねーし、たぶん違うだろ」

「でも、局長代行の差し込み案件って、大体よね」

「そうか?」

「そーだよ。この前もそうだった。忘れたの?」

「終わった案件ヤマなんか、いちいち覚えとくかよ」

「嘘でしょ。四日前だよ。……あの話ってマジなのかな」

「何が?」

「局長代行には未来が見える操命士がついているって、やつ」

「お前、陰口叩かれてる割にちゃんと噂拾うよな」

「失礼な。知り合いくらい出来ましたけど?」

「へー」


 全然信じてなさそうに答えると、星嵐は画面を閉じて、襟元のスイッチを操作する。


「こちら星嵐。〇九二四まるきゅーふたよん、現着した。真宙も一緒だ」

『こちら土岐。現着了解。今のところ黄泉戸と思われる反応はなし。注意して調査を開始してくれ』


 渦中の相手からの返答に、少なからず驚いた真宙を他所に、星嵐は鬱陶しそうに目を細めた。

  

「臨時の観測手スポッターってお前かよ」

『皆出払っててね。安心してくれていいよ。これでも数年は勤めてたんだよ?』 

「そうか」


 自慢げな土岐に、適当な相槌を打って、星嵐はフェンスに近づいていく。


『ねぇ、もう少し俺に興味持って?』

「真宙」

『わあ無視。ひどい』

「壊せ。許可は取ってる」

『無視された私がちゃんと取りましたよ』


 景気良くやっちゃってー。

 緩い指示のまま、真宙は錆びた錠前に手をかける。錆びた錠はさすがに無理なので、脆くなっているフェンス側を引っ張れば、少しして接続部がちぎれた。


「どうかしたか?」

「なんにも」


 反射で後ろに手を隠す。力が強くなってきたかも、なんてこと、言えるはずもない。


「土岐。中の生体反応は?」

『そこ、反応悪くてね。ーーが、………で、』

「局長代行?」


 がが。ぴーー……ガガガ。

 建物に近づくにつれ、酷くなるノイズに星嵐が顔を顰めた。


「……この反応。在るかもな」


 入口には鍵がかかっていたが、ガラス戸は割れていて、役目を果たしていない。身を切らないようそうっと隙間から入り込む。

 廊下にべったりついたいくつもの足跡が、ぞろぞろと奥に向かっていた。

 二人分の足音が、やけに響く。外の日差しが充分にあるので、ライトは要らない。

 一階、異常なし。

 二階、異常なし。

 一向に回復しない通信のノイズで頭がどうにかなりそうだったので、切った。


「……星嵐」

「あぁ」


 ーーではなく、これは確実に在る。

 

 階段の上から、ひょろひょろと情けない男のおーいが落ちてきたのは、そんな風に二人して、顔を見合わせた、その時のこと。

 星嵐の纏う空気がぴりりと尖る。足音を消し、一段一段。返事をせず、慎重に登っていく途中でふと、真宙は振り返った。


 一瞬だったと思う。


 後ろ髪を引かれたような、というやつ。だけど、どこか誇示するようなその足音に、慌てて前に向き直ったときには遅かった。


「……星嵐?」


 星嵐は消えた。まるで最初から誰もいなかったみたいに。

 何、どういうこと。何があったの軽くパニックに陥っているところで、下から足音。


 ーー誰かに、見られている。

 

 ぶわっと、鳥肌が立った。さっと、踊り場の下に降りていくその背には、見覚えがある。まさか、と手すりから身を乗り出し、階下に目をやって、真宙は驚いた。

 そこにあったのは、ぐるぐると回る、螺旋階段。


 おいで、と。

 

 懐かしい声が、自分を呼ぶ。


 反射で一歩、下がったその瞬間、あ、と真宙は声を上げた。上げたときには、遅かった。


 足が、思い切り水たまりを踏みつける。


 落ちる。


 落ちていく。


 そうして真宙の、意識は途絶えた。



□■□■


 意識を取り戻した時、傍にあったのは、粘つくように生ぬるい、まどろみのような薄闇だけだった。

 自分の輪郭さえ溶け出してしまいいそうな不安に、形を確かめるように指を丸める。しとしとと、雨のそぼ降る音が、静かに場を満たしていた。


「やっちゃった……なぁ」


 呟く。


 多分これは、命喰いの《巣》だ。

 光が影をもたらすように、現実世界の裏側にはもう一つの世界が存在する。それが常夜とこよだ。こちら側の世界に来ることができない下級の命喰いは、現世との境界が曖昧な場所に巣を作り、人をおびき寄せ、黄泉戸をくぐらせ、喰らう。


 黄泉戸となるのは、鏡や水面等、何かをものや、境界線となるべき場所。だから、そこに気を付けていれば対処できる。


 何が見えても追うな。近づくな。そう言われていたのに、このザマである。たぶん後で星嵐にはめっちゃ怒られるだろう。

 一方で、無理じゃん? とも思う。

(振り向いただけで、追ってないし……なんかいきなり、空間ねじれたし?)

 端末の電源を入れてみるが、今度は完全に不通で、助けも呼べそうにない。

 なのに不思議と身体は、安心としか言いようのない感覚に満たされていた。

 うっかりすれば眠ってしまいそうで、真宙はとりあえず立ち上がる。


「《巣》は、ぬしを倒せば消えるって言ってたな」


 手探りで、腰に刷いた短刀を鞘から抜く。星嵐の命核が付与された得物は、熱を持つように温かい。


「……光った」


 ぽわ、と。刀身に灯った炎は、ふわふわと泳いで、四方に陣取ると、周囲を照らす。範囲にして、2メートルほどだろうか。

 どこにでもありそうな病院の廊下、といった光景だ。

 とりあえず、まっすぐ歩いてみたところで、道は左右ふたつに分かれる。


 どちらに行くべきかを考えてみた所で、炎のひとつがふよ、と動いた。先導するように右へ、少し先で止まるその様におそるおそるついていきかけた所でまた、名前を呼ばれる。

 ほとんど反射で、振り向く。


 そこにいたのは、ひとりの男だった。薄闇の中、サングラスをかけた、スカジャンの男性。色のついたレンズが隠すその右目に、刀傷のような白い跡があることを、真宙は知っている。


「……父さん」


 最後に会った、あの日の。

 記憶にあるのと瓜二つの姿で、彼はそこに立っていた。

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