13▶忘れがたき
ーー行ってくるよ。
遠く、ドアを隔てた先からの父の声に、目が覚めた。
「待って!!」
布団を跳ね除け、ベッドから降りる。ドアレバーを掴み、思い切り引いた後で、夢だったと気がついた。
気づいた時には遅かった。
(やっちゃった……)
ものは試しと、剥き出しになった接合部に、手に残る金属をそっと、嵌め込んでみる。だが、手を離した瞬間、ドアレバーはあえなく床に落ちた。
鍵のかかったまま、うんともすんとも言わなくなったドアはもはや壁。仕方なく真宙は、ベットボードで充電していた端末を腕に嵌めて、起動しした。憂鬱な気持ちで星嵐とのチャットルームを立ち上げる。
『どあこわれた』
要件だけを簡潔に示し、送信。いまだに、このバーチャルキーボードというものには慣れない。見たよマークはすぐについて、コメントがぽんっと浮かんだ。
『壊したの間違いだろ』
『ごめわ』
『何度目だ』
『ん』
『さん』
『行くから待ってろ』
早すぎる返信に、置いていかれそうになりながらも、なんとか返す。ありがとうと打ったのち、つかなくなった見たよマークに、真宙は慌てて着替えを探した。
■□■□
局員食堂の朝食は、日替わりモーニング、焼き魚朝食、トーストセットの3種。日替わりモーニングが、10日で1周するということに気づいて、数日。楽しみにしていた筈のチョコバナナパンケーキセットが今日ばかりは憎らしかった。
とはいえ、今日を逃せばまた10日後。
ひとりの日が良かったのにといじましく皿を待っていれば、いつも配膳してくれるお姉さんは、生クリームをもりもりにしてくれる。パンケーキが埋もれるほどのその量に、真宙は驚き、顔を上げた。
ぱちんと決められたウインクに、目礼をしてトレーを受け取る。そんなに落ち込んだ顔でもしてただろうか。
「お待たせ」
「いや、別……多いな?」
角のように自立する生クリームを見て目を丸くする星嵐に、おまけしてくれた、と真宙は答える。
「良かったな」
「うん」
わざわざ真宙が席に着くのを待って、星嵐はいただきますと手を合わせた。いつ何を言われるのか、落ち着かない気持ちで、真宙はパンケーキを崩しにかかる。その時は、半分ほどを平らげた所でおとずれた。
「ーーで?」
「で、って何」
「なんで何度も壊すんだ」
美しい箸使いで魚の骨を外しながら、星嵐は尋ねる。言ったじゃん。カチンとナイフが更に当たる音がした。
「寝ぼけたんだよ」
「前もそう言った」
「前も寝ぼけたの」
「このまま永遠に給料から修繕代引かれ続けるつもりか? そのうちマイナスになんぞ」
「う……」
的確に痛い箇所を星嵐は突いてくる。危険手当、ということで総額面に喜んだのは記憶に新しい。最後のマイナス額には、自分でもちょっと引いた。
「真宙」
「……夢で」
「夢?」
「父さんが帰ってこなかったあの日の、朝の」
喧嘩を、した。今思えばどうだっていい、些細なこと。無駄に意地をはって、見送らなかった。そしてそのまま、父は帰ってこなかった。
「夢だと、追いかけられるのに」
自嘲する。支給された錠剤シートから、1錠取り出して、真宙は口に運んだ。
「特に、目ぼしい情報は入ってない」
「……命管でそれなら、無理かもね」
星嵐が、黙り込む。困ったようにその眉根はぎゅうっと寄った。大丈夫だと、簡単に言わないあたりが彼の誠実さで、だけど真宙は、嘘でもいいから大丈夫だって言ってほしかった。
「何かわかったら、すぐ言うから。ーー諦めんな。……会いたいんだろ」
「うん」
不安を、薬とともに腹の底に押し込める。
ーー大丈夫。薬はちゃんと飲んでたんだから。
そう言い聞かせて、真宙は水の残りを一気に煽った。
「……ごちそうさまでした」
「つまりアレか。寝ぼけて追いかけて、ぶっ壊すってことでいいのか」
「……そう。鍵かかってるの忘れて、ぐいっと」
「お前、よくそれでこれまで生活できてたな」
「家だとわりと開けっ放しで……」
「だめじゃねぇか」
どうしたもんかと思案する星嵐に、真宙は聞く。
「……笑わないの」
「あ?」
「寝ぼけて、とか。……子供みたいじゃん」
「成人したてなんてガキとかわらねーよ」
「お酒のめるよ」
「そういうこと言ってるうちがガキなんだよ」
残る鮭の皮をくるくるとまとめて、星嵐は口に運んだ。
「ドアの前に貼り紙でもするか?」
「貼り紙?」
「『ドア破壊注意』って。マジックで」
「そういえば、
「思い出すのが遅い」
ま、それで行くかと星嵐はお茶を飲んで、立ち上がる。真宙も慌てて立ち上がり、トレイを持った。
混んできた食堂を、人を避けながら返却口まで歩いていく。ほうぼうからちらちらと、向けられる視線に、真宙は目を落とした。
ーーほら、あれ。
交わされる囁きを、耳が拾う。聞こえないと思っているのだろうが、生憎耳は良いのだ。
ーーコネでヨスガとか、強すぎ。かてないわー。
ーー命を使う相手くらい、選ばせてほしいよなァ。
ーー炊事課のやつも無理矢理転属させられたって聞いたけど。
ーー身内には甘いとか、ちょっとがっかりかも。
好奇と敵意が、ちくちくと肌を刺す。
覚悟してねとは、土岐に言われていた。真綿でくるむように丁重に、何を置いてもヨスガは守られる。その待遇を羨む者は多いのだと。それが新参なら、なおさら。七瀬だって聞き流しなと真宙に言った。
ーー周りがどうこう言おうが、星嵐さんが選んだのは君だから。
違うとは言えなかった。自分が半命喰いであるということは、隠すよう言われたから。
七瀬は知らない。
星嵐が契約してくれたのは、自分を助けるために、それ以外の道がなかったからだ。他に道があったなら星嵐は絶対に、ヨスガなんて選ばなかった。
ーーでもあの、裏切り者のカガリだろ?
トレーを片付け、廊下へ。悪いな。素っ気なく星嵐は言った。
「色々うるせーだろ。俺のせいだ」
「人気者は、たいへん」
冗談めかして、笑う。そーだなと相打つその横顔は痛そうで、真宙は、すぐに後悔した。
「……ごめん」
「なんで謝る」
「だって、フツーに局員のひと、選んでたら。こうはならなかったんじゃないの」
「どーだか」
皮肉っぽく、星嵐は口の端を捻じ曲げる。ヴヴ、と着信が入ったのはその時だった。繋げるのに四苦八苦していれば、横から手が伸びてくる。
「ここ押しゃあいいの」
「ごめん」
『おはよー真宙く……あ、星嵐も一緒か』
「朝っぱらからキメェテンションだな。何の用だ」
『仕事の話』
「仕事?」
『そう。真宙くんに、おねがいしたいことがあってね。執務室まで来てくれるか』
「わかりました。すぐ行きます」
「俺も行く」
『じゃあ、待ってるねー』
ぷつ、と通信が切れる。
「いつもあんなか?」
「あんなって?」
「土岐。なんつーか、……なんだあの感じ。キモいほどなんかこう……ベタベタ?」
なんか、距離感間違ってるっていうか。
容赦無い言葉は、少し可笑しい。
「年下相手ならこんなもんじゃないの。知らないけど」
実を言うと、真宙は彼が少し苦手だ。聡い人だから、それも気づいてて、そう振る舞っているようにも感じる。
執務室に向かう星嵐の後ろを、半歩遅れて真宙は歩く。
ひとつ、彼に言っていないことがある。父のことだ。
特区に行くと、そう言っていなくなった父だが、残したのは言葉だけじゃなかった。
玄関から数メートル。門扉の手前。コンクリートで固められた通路の脇に付着していた、手のひらほどの血の痕。
アレが一体何だったのか、知る術は最早ない。動物かなにかのものかーー父のものか、誰かのものかも、わからない。
ただひとつ、不安がある。初めて自分が、半命喰いだと知らされたあの日から。
(もし、私がーー……)
その先を、続きを真宙は今日も考えない。
父が見つかれば、と。
それだけに縋って、息をしている。
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