11▶累卵の危うき、累を呼ぶ
人魚の手に導かれるまま、娘が胸を突くと、その血は娘に降り注ぎ、娘をたちまちに癒しました。
のぞめ、と。人魚は娘に言いました。
ーーねがえ。お前はいったい、なにが欲しい。
娘は答えました。
ーー両親を、妹を、友を、村人を喰ってしまったあの鬼を滅する力を、私にください。
人魚はゆっくりと頷きました。
ーーでは、すべてが終わったら、吾の名を。
そうして人魚は、この世にもう、誰ひとりとして知ることはない、ほんとうの名を娘に告げて、息を引き取ります。
その亡骸はたちまちに、一振りの刃に転じました。
□■□■
カガリとヨスガはバディであるが、同時に守護者と庇護者でもある。
ーー観測手の仕事は、姫さんが安心して戦えるよう、離して王子サマを守りつつ、けどいざって時には駆けつけられるよう、場を整えてやることだ。
お前の最重要は、あのじゃじゃ馬を生かすこと。
唐橋巽はそう言って、面倒くさそうにレクチャーを始めた。
くくりと並ぶ長身と、ベリーショートの髪型は、背格好だけなら男性と遜色ないーーどころか、あっさりと抜き去っている。ささやかなアピールとして唐揚げだの卵焼きだのを後輩女子が配膳時に貢いでいるのを、何度目にしたことだろう。
ぶっきらぼうだけれど丁寧で、面倒見がいい。
困ったことがあれば、と交換された連絡先に、百々は妙なドキドキを味わった。
(……ま、敵だと容赦なかったわけですが)
隠れ場所を暴かれ、どこから飛んでくるのかわからない球に追い立てられるうちに、猟犬ーーくくりが現れる。艷やかな黒髪をお団子にまとめ、アレンジが凝らされた隊服に身を包んだ姿は、場を映画のワンシーンに変えかねない華やかさだったが、本当に、本当に容赦がなかった。
狐狩りーーそう言ったって過言ではないだろう。今、百々が少し落ち着いていられるのは戦況が二組の
呆れたような溜息が、通信機の向こうからわざわざ送られる。
『こーなるとおてあげ。私らのやることナシ』
「……良いんですか?」
『今回は目的がちがうから。夜兎は見とけよ』
『あ、はい、見てます』
『ちゃんと観ろよ。ヨスガよりカガリを、カガリよりヨスガを識るのが、観測手の仕事だ』
言葉に従い、百々はモニターに目を凝らす。
重そうな見た目に反し、真宙は軽やかだ。ヒットアンドアウェイ、とでも言えばいいか。薙刀のひとふりを交わし、かいくぐって懐へ。致命的な一打を与えられていないものの、くくりの顔には焦りが見え始める。
何故か。
彼女の
『七瀬!!』
発せられる声は鋭く、恐ろしい。美人は怒ると般若になる。その事を改めて実感する。
あいがおもいんだよなぁ、姫サンは。
ぼやいた巽に、百々はおそるおそる切り出した。
「あのう、うちのヨスガ、ああして戦いたいタイプらしくて……」
『見れば分かる』
「戦法として……その、」
言い淀む。先だってのレクチャーが、頭をぐるぐると回った。
ーー命喰い討伐における、ヨスガの役割は二つある。死んだカガリを呼び戻すこと、そしてカガリの目になることだ。
ーー目? ですか?
ーーあぁ。命喰いには、
ーー大丈夫です。あ、目になるって、急所を教えるとかそういう、
ーーいや、もっとシンプルだ。ヨスガの目はカガリの目。ヨスガが見ていないと、鰓には触れることすらできない。
ーーえっと……?
ーー幽霊が見えない者に、幽霊が祓えると思うか? これは、そういう理屈だよ。観測されることで、鰓は急所としての意味を持つ。
ーーわかるような、わからないような。
ーーカガリは、ヨスガと視界を共有することで、鰓を認識できる。これが、死なれては困る
「……やっぱ、駄目っすかね……」
『よくはないな』
あっさりと、彼女は答えた。ですよねと、百々は肩を落とす。
「だが、連携って意味じゃあ今のほうがマシだ。あんなに動かれちゃ、星浪が酔いそうだが』
「あ、それなんですけど」
『ん?』
「できない、みたいなんです。その、目の共有?」
『……マジなやつ?』
「マジなやつです」
『…………極論、鰓じゃなくても命喰いは倒せるが……あーー……マジかぁ……あ、もしかしてそれで』
「はい。共有できない以上、命喰いを討つのは真宙、ということになります。……が」
『星浪が、拒否したと』
「……ハイ」
場が動いたのは、その時だった。
『ーー私達の、負けですね』
ぴた、と。
七瀬の首元にあてられた刃に、くくりは命具を戻し、ホールドアップ。悪人だなと呟く巽に、百々は内心で同意した。
少しして、星浪が静かに刃を納める。だが、その換装を解かれても、真宙は動かなかった。
『真宙さん? どうされました?』
『ッぅ……』
声る寸前の、呻きのような、唸りのようなそれに、背骨が凍るような感覚を得る。
「待っーー」
立ち上がった所で、こちらの声は届かない。パニックに陥った頭の中、百々は怪訝そうに首をかしげるくくりをーーそんな彼女にまっすぐにその刃を振るう真宙を、見た。
『姫サン!!』
『くくり!』
二人が揃って、声を荒げる。咄嗟に身を躱したくくりだったが、その表情は困惑に揺れている。
『真宙さん、なにを、』
『真宙! もう終わってる!!』
星浪の言葉をまるで無視して、真宙はくくりへ襲いかかった。アップにした彼女の瞳は、あの時と同じ、血と同じ赤に染まっている。
(止めないと、)
「このままで」
「局長代理、」
聞き慣れたその声に、反射的に身体が従う。いつの間に部屋に入ってきていたのか。そこには冷徹にモニターを見つめる局長代理の姿があった。
「まだ、終わってないだろう」
「え?」
「君達の賭けは、どちらかが死ぬまでじゃなかったか?」
ぞっとした。
その言の葉だけでなくーー何故そこまで知っているのかという点において。この三日、西都に出張に行っていたはずのこの人が、どうして。
『百々、何してる! さっさと止め、』
「星浪」
『……土岐? お前なんで此処に、』
「困るよ星浪。こういう独断は、俺のいるとこでやってもらわないと」
『ふざけたこといってねーでとっとと止めろ!』
「いざって時に彼女を君らが止められるか、確認したくてね」
『……本気か?』
「当然だろ。俺は君のーー」
『土岐』
回る口を遮り、発せられた一言。
何の意味も成していない、ただの名前。けれど男にとっては、それで充分らしかった。
「……わかったよ」
君の望むままに。
この後、目を覚ました真宙を止めるために一騒動あったのだが、それよりもバチバチにキレ、八尋にくってかかる巽をなだめるほうがーーなぜか自分の役目だったーー余程、大変だったように思う。
ーー難儀な仕事だよ。
最後に二人になった時に、彼女は言った。
「
巽の自嘲の裏にもうひとつ、別の意味が隠れていたことを百々が突き付けられるのは、もう少し先の話だ。
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