10▶抜け鞘もたず
娘は虫の息で、人魚に尋ねました。
ーーあなたと同じになるとは、どういうことですか。
人魚は答えました。
ーーお前は、死んでも死ねない身体になるだろう。死と蘇りを繰り返し、私と同じ永遠を生きることになる。きっと、この世の果ての、先までも。
答えた人魚に、娘はわらいました。娘は、迷いませんでした。
そうしてください。そう言って、かすかに人魚の手を握り返します。
ーー死んでも死なない身体があれば、私はあの鬼を討てるでしょう。
人魚は刃を握らせた娘の手を、己の心臓に導き、言いました。
ーーでは、この刀で私を突きなさい。私の命をお前に分けよう。……共に、血が海に溶けるまで。
■□■□
「星浪ッッ!」
名を呼ばれ、起き上がった刹那、視界の隅でちか、と水色が光った。
「ーーっ、『弐命転化、重ね楯』!!」
ぱぁん。
さいごの結界は飴細工のように脆く砕けたが、間一髪、唱えた
「どれだけ死んでた?」
『三分二十九秒』
間髪入れず返ってきた百々の答えに、ほんの少し、感心する。
(よく保ったな)
荒い呼吸を、真宙は少しずつ整えていく。
一旦態勢を変えるか。そう考え、逃げ場を探したところで、裾をぐいと引かれた。
「きゅう、かい」
「あ?」
少し遅れて、それが賭けの対象でもある、自分の死亡回数の現在値であることに気づく。いっそ笑ってしまうほど、くくりは容赦しなかった。
「星浪の言う通りにした」
まっすぐにこちらを射抜くその瞳は、言葉よりずっとずっと、煩い。
「それがなんだよ」
「ちゃんと言う通り後方支援に徹した」
「……ノーコンだったけどな」
「でも、星浪には当てなくなった」
「一応言っとくが、わりと当たり前だからな、それ」
「それはおいといて」
「おくな」
のんびりと会話している間にも、容赦なく弓は降り注いでいる。
氷のように冷たい美貌。冷徹に、冷静にーーそんな策士のような面をしておきながら、くくりの戦闘スタイルはゴリ押し力押し火力特化である。
当たらないなら、当たるまで射ればいい。通らないなら、通るまで射ればいい。ただし厄介なのは、彼女が火力だけでなくコントロール力も備えていることだ。
当然、今も気づいている。でたらめに射っているように狙いを散らしながらも、彼女が機械のような正確さで、同じ一点穿っていることを。
このままじゃ勝てない。
そう、真宙は言った。
「あと1回。星浪が死んで、それで終わり。それは星浪も分かってるでしょ」
ぴし、と。
重ねた楯の一番外に、ヒビが入る音がした。
「1回でいいから、好きにやらせて。そしたらどっちが死んでも私の負けでいい。約束通り言うこと聞くから」
ずるいタイミングだと、星浪は内心で舌を巻く。百々の入れ知恵か。そう問うた星浪に、真宙は答えなかった。竹を割ったような彼女の性格と、だんまりのままの通信からして、おそらく間違いないだろうけど。
「一回、ね」
星浪はこれみよがしに、ため息をついた。たかだか一回。しかもこれはシミュレーションだ。そう分かっているのに、真宙の心臓を過たず矢が貫く想像は、星浪を焦燥に駆り立てる。
厄介だな、と。
自分を、くくりを、星浪は思った。
「俺が、お前を見逃すことができないとでも?」
浮かべた笑みが、捨て鉢になっていることを分かっている。だけどもう、どうしようもない。
「しないよ」
真宙は頷いた。間髪いれずに。ゆるぎなく。
もしかしたらそれは、信頼と呼べるものなのかもしれない。
「
しないし、できない。
痛いところを繰り返されて、星浪は押し黙る。
記憶を失い、身体だけが生きること。今の自分が断たれ、失われること。それは、死を持たない自分達の、唯一の死だ。
だから、ヨスガの死は、自分の死。ヨスガは死んだら、戻って来ない。ヨスガがいれば、自分は終わらない。
人が死を恐れるように、カガリはヨスガを危険に晒すことを何より厭う。ほとんど本能のようなもので、理屈も理性も、その衝動を回避できない。
しないし、できない。
真宙の言葉は正しい。腹が立つくらいに。
本能がそうしないし、他ならぬ自身が真宙を見殺すことを、認められない。
借りを返すと、自分で決めた。自分が言った。
約束は、契約は嫌いだけど、それを破ることはもっと嫌なのだ。
ぴし、ぴし、ぱし。
崩壊の音が広がる。もうほとんど猶予はない。
「星浪」
強請るような声に、顔をしかめる。嵌められた。そう思う一方で、真摯だったとも思う自分がいた。だって、真宙は手を抜かなかったのだ。
この3日、変わらず下手くそとはいえ、短くない時間を射撃の訓練に費やしたし、星浪の指示通り支援にも徹した。ーーだから、ずるい。
「……好きにしろ」
どうしたい。投げやりに、だけどぎりぎりの義務感を持って、星浪は尋ねる。
「ほんと? ほんとにいい?」
「そう言ってる」
星浪の言葉に、真宙はぱっと顔を輝かせると銃をホルスターに戻した。
反対側に吊っていた短刀を抜き、鎬地を自分へ差し出す。その様は、銃よりよほどサマになっている。
「壱命供与」
人差し指と中指を揃えて、星浪は美しい刃をそっとなぞる。銀から青へ。だが、その切っ先まで染まったのを星浪が確認した同時に、真宙は飛び出していってしまう。
「ーーッ、『弐命装甲』!!」
その、あまりに無防備な背中に、慌てて唱えた。契約の指輪から腕へ、肩へ、腹へ、足へ。青の光は伸びて、その伸びやかな肢体を覆っていく。
盾の応用。軽く、動きを邪魔しない。何より堅く、脆いその肉体を守る鎧。そんなイメージを星浪は脳内で編みーー
『スッゲ、格好良……ん? もしかしてアレーー』
「……言うな」
うわ、と真宙が驚いたように足を止める。
トドメとばかりに、その頭はヘルメットに覆われ、最後に薄い水色のバイザーが、肌の露出を完全に断った。
既視感のありすぎる、テールコートのような形をとった深い青の鎧に、星浪は口元を手で覆った。
完全に引っ張られた。
面映ゆさに、隠した唇がむにょむにょする。これが模擬戦でなかったら、きっと蹲っていただろう。
マジ無理。
心からのひそやかな嘆きを、高性能な通信機は丁寧に拾い上げてしまう。
『僕は、かっこいいと思いますけど……』
気遣いが痛かった。
「……まぁいいか!」
うん、と陽そのものの頷きを無駄に見せると、真宙は真宙はくくりとの距離を一気に詰める。
じゃあ自分は
星浪はもう一方の射線を探した。別に、決して今の真宙の姿を目にいれたくないからではない。
「良い趣味ですね、星浪!」
「うるせーよ!」
「え、何? なんかあるの? この格好!」
くくりを襲いながらも、真宙は小器用に問うてくる。星浪もまた、隠れきれなかった七瀬の尻尾を捕らえ、追う。
「なつかし。『仮面勇士ツクモ』の夜光じゃん」
「わるかったなコピペでよ!!!」
真宙対くくり。七瀬対自分。相対する傍ら四者で会話も成立するという、何とも言えぬ妙な状況が生まれた。
「いいじゃないですか。僕は朱天派でしたけど」
ひょいひょいと、こちらの攻撃を交わしながら、七瀬はただでさえのんびりした温和な顔を、さらに綻ばせる。
そういえばこいつ世代だなぁ。
目が合わないよう、星浪は視線を逸らした。
自分の弱点がえぐられ引きずり出されたような、頭の中をのぞきこまれたような小っ恥ずかしさ。
操命術とは、数式のようなものだ。
命核をいくつ、どうするか。それをキーワードに解をーー事象を招く。操命詞はあくまでその補助に過ぎない。
既存の武具に力を付与する。
結界を張る。
武具そのものを作り出す。
仮初の命を式に与える。
大体のカガリが使うのがこのパターン。だが、一度感覚をつかんだものならともかく、今回のように突発的なものーー特に、「身体を守るための防具」というような
さきも言ったがパクリである。恥ずかしい。
「それなに?」
「子どもの時に見てなかった? 日曜の朝にやってるやつ」
「知らない。この鎧みたいなのがそうってこと?」
「そうだよ。いやーすごいな、ホンモノみたいだ」
もう良い黙らせよう。
静かな決意と裏腹に、太刀筋はブレる。
逃げんなと吠えた星浪に、七瀬は息ひとつ切らさないまま、無茶いいますねと肩をすくめた。
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