09▶六花咲く

 瀕死の娘を哀れに思った人魚は、娘をねぐらへと連れ帰り、献身的に世話をしましたが、その傷はとても深いものでした。

 ーー村に鬼が住み着いて、皆を食べてしまった。

 理由を問うた人魚に、娘は息も絶え絶えに言いました。

 看病をはじめて三日目の夜のことです。

 いよいよさいごの時を待つばかりとなった娘の手に、人魚は短剣を握らせて、尋ねました。

 私と同じ、時に逸れ、永遠を彷徨う身体になっても。それでもなお、生きることを望むかと。


■□■□


 外に出ると、羽虫が湧くのはいつものこと。

 水彩画の片隅を汚す染みのような、景色に滲む一点の澱。微量な気配を手繰ってみれば、そこにいたのは半分の鬼の子と、半実体のひとつめの毛玉だった。


 頭、肩、腕。ぽんぽんと、遊ぶように跳ねては戻りつ、半鬼の子に纏わりついているのは、命術の行使の際の搾り滓。行き場を定められなかった力の余剰分が集まり、生命いのちをなぞって形を成したもの。かろうじて実体を得ようとも、その存在は淡雪のように儚い。

 意志はおろか、意図さえないそれーーいきものの影真似を、娘は指先であやして、小さく笑った。


 なんとなく、興味を引かれて足を向ける。娘はすぐに、こちらに気づいた。

 俊敏に立ち上がり、身構える。その灰髪の後ろに、ひとつ目がぴゃっと隠れる様は妙に可愛らしかった。

 探るようにじっと、こちらを見つめる彼女を刺激せぬよう、静かに近づいてゆく。娘の名前は既に知っていた。


「真宙さん、だったかしら。七瀬のカガリを務める、くくりと申します。」


 こうしてお会いするのは初めてねと、笑いかければ、彼女は何かを思い出そうとするかのように、ぎゅっと目を顰める。

 くくりが、弓を射る真似をしてみれば、真宙はあっと声を上げた。


「あの時の、」

「えぇ。微力ながら、助太刀いたしました」

「ありがとうございました。えっと、くくり……様、」

「様付けなんてよしてくださいな。真宙さんは七瀬と同じヨスガですから、そうですね……くくりさん、とでもお呼びいただければ」

「……くくりさん」


 どこか固い言葉の響きに、距離を詰めすぎたかしらとくくりは考える。

(このが、星浪が、選んだ契約者ヨスガ

 こんな顔をしていたのね、と思う。

 目立つ火傷の痕に隠れているが、その面差しには何処か既視感があった。

 さて誰だったか。そのまなこをじっくりと検分している所で、あの、と彼女は口にする。


「……聞かなくていいの、……いいです、か」


 その人の話、と。


 無理やり敬語を継ぎ足したような言葉遣いをいじらしく思ったところで、その存在を思い出す。

 娘の手が示すのは、傍らで、聞くに堪えない戯言を垂れ流していたひとりの局員。あぁ、と、くくりは男に向き直り、問うた。


「それで、貴方。何の用だったかしら?」


 小首を傾げたのは、わざとだ。自分の顔の使い方くらい、ここまで生きれば分かる。一瞬で朱に染まった男の顔に、くくりはそれでいいのよと密かに笑った。

 こちらを殴って従わせようとするなら、正当防衛が成立する。ついでに処分も下るお得パック。当然、顔に傷ひとつ、つけさせる気はないが。

 早くしなさい、と。

 敢えて待っていたところに、何故か真宙が割って入る。まるでこちらを守るようなその背に、慌ててくくりは手を伸ばした。


「ーーッ、あぶな……」


 左手で彼女を引き寄せつつ、右手で拳を受け止める。なまくらの拳は情けないほど軽かった。


「カガリが命喰いを庇うのかよ」

「あら、礼儀も忘れましたの?」


 汚らわしい手を軽く捻って、振り払う。


「ってめ、」

「あなたごときに無礼な口をきかれる謂れはありませんよ。カガリわたしらねば、一人で立つことも出来ないお子様なら、せめてこちらが守る気を削がないでいるほうが、お利口というものではなくて?」

「そいつはっ」

「彼女は局員として認められております」


 くくりはぴしゃりと撥ねつける。


「文句があるなら土岐の子に申し立てなさい。あの男が、星浪の選んだヨスガを不利にするような真似、許すとは思いませんけれど」


 さ、参りましょう。

 そう言って真宙の手を取れば、彼女はひとつ目のように、目をまんまるにひらいた。

 そのまま黙って、くくりは体温の低い、ちいさなその手を引く。無意識に、中庭の方まで来た所で、ふと、懐かしい感覚を覚えた。

 遠い昔、どこかで。

(こうして、「  」の手をーー……)


「あの、ありがとう……ございました」


 目を眇めたところで、くんっと、腕を引かれる。正確に言うと、引き留められる。

 手を離して、くくりは振り向いた。


「元はと言えば、私のせいですから」

「でも、危ないーーです、よ。くくりさま、」

「さん」

「……くくりさん、は、慣れ……てられて? ますでしょうけど、」

「無理に敬語を使わなくても構いませんよ」

「そういう、わけには。あ、コラ」


 ぴょいん。

 飛んできたひとつ目に、反射的に手を差し出す。くくりの手のひらに乗った瞬間、黒いまりものようなその身体は水にでも溶けたようにぺしゃりとなった。

 

 一瞬ドキッとしたが、多分、無事なはず。

 意識を集中していなければ感じ取れない、微かな感触を追いかけるうちに、ぱちりと開かれた深紅の目と、目が合う。

 ごろごろごろ。

 そんな声が、確かに、聞こえた。


 ーーまさか。


 真宙と二人して、目を交わし合う。


「……懐いた?」

「の、でしょうか」


 私はあなたの天敵ですよ。

 そう伝えてみても、ひとつ目はまるまるの目をパチパチと瞬かせるだけ。

 気を取り直し、くくりは尋ねた。


「ええと、それで」

「え?」

「話が途中でしたから」

「あ……いや、その……」


 口籠る真宙になんですかと催促すれば、彼女は少しして、消え入りそうな小さな声で理由を告げる。


「あぶない、から」

「危ない?」


 問い返した拍子に、ひとつ目はぴゅんっっと彼女の頭へと戻った。

 髪色が明るいせいで、まるで墨汁をかぶってるように見えるーーということは一旦、飲み込んでおく。


「くくりさんは強くて、ぜんぜん平気なのかも、しんないですけど、あぁいうのは、ーーその、よくないっていうか、」

「あの手合いは殴ろうとして殴られるのが一番効くんですよ。たまに妙なのもおりますけど」

「でも、」

「大丈夫ですよ。人の子に遅れをとるようなら、そもそもカガリなんて務まりませんわ」


 だから、安心して欲しい。

 そう笑いかけたのに、真宙は何故か顔を顰める。


「……皆、なの?」

「そう、とは?」

「死ななきゃ良いって、そればっか」


 吐き捨てるように、彼女は口にした。。加速した言葉に、火が点く。


「なんもするな。隠れてろ。ーーその繰り返し。私はなのに、」

「真宙さん、」

「わかってるよ。死んだらだめって、だけど私はそれじゃだめなんだよ、だから……、」

「あの、どうか落ち着い」

「だって知らなかった!!」


 耐えかねたように、真宙は吠えた。


「知らなかったんだ、ヨスガがなにって、知ってたらぜったい、ならなかった」

「真宙さん、」


 俯く真宙に、どうしようと手が泳ぐ。正直、こういうのは得意ではない。

(あの男、まさか無理矢理迫ったんじゃあないでしょうね)

 なりたくなかった。そう繰り返す真宙に、星浪への不審が積み上がっていく。


 その時だった。

 

「俺だって、好きでお前を選んだんじゃねーよ」


 不意に、背後から寄越されたその言葉に、真宙が弾かれたように顔を上げる。くくりも驚いた。まったく気配を感じさせなかったーーというより、以前の彼とは雰囲気が、違うから。

 思えば、こうして復帰してからまともに話すのは初めてだ。


「星浪、」


 強張った声で、真宙は呟く。数歩先の距離で足を止めた星浪は、皮肉っぽい笑みをその唇に乗せた。

 悪かったな。

 感情を感じさせないその言葉に、真宙は何かを返そうとして、口を閉ざす。


「だけど、あん時お前がどーにか無事に済む道は、他になかった」

「……わかってる」

「お前が今、お咎めなしで出歩けてるのは俺のヨスガだからだ」

「うるさいな、わかってるってば!」

「だったらいい加減言う事を聞け! なにをしろって言ってんじゃねー、って言ってんだろ。それだけの事が、どうして出来ない」

「だったら拘束でもなんでもすればいいじゃん! どーせ私は命喰いなんだから、生きてればいいんなら、必要な時だけ使いなさいよ!!」

「バカな事言うな、そんなんできるわけがーー……」


 なんとなく。

 昔、七瀬に言われたことと、彼女の言わんとする所は、同じところにある気がして、くくりは割って入る。


「真宙さん」

「なに、……ですか、」

「ヨスガは、守られる事が義務なのです」

「そうだぞ、だから」

「星浪は黙っていて」

「……」


 我々は、誰かの代わりに死ぬことは出来ますが、死んだ人間に命を与えることは出来ません。


 諭すようにゆっくりと口にする。


「ーーとはいえ、貴女の場合はまた、違うのでしょう」

「おい」

「星浪。ヨスガに望まれるからこそ、我々はカガリ足り得るのですよ」

「うっせーな。のおめーらにはわかんねーよ」

「まだ婚姻は結んでおりません!」

「そこで照れる?」

「とにかく! 星浪も真宙さんも、2人でちゃんと話し合うべきです。連携出来なければ、ヨスガとカガリは……あ、」


 ふとひらめいて、くくりはぽんと手を打つ。


「手合わせを、いたしましょう」

「え」

「は?」

「私と、七瀬と。ーーあなた達で。勿論、私達の方が有利ですから、ハンデを差し上げます。私達のどちらかを1回でも殺せたら勝ち、でいかがです?」

「随分舐めた条件だな」

「連携もままならないバディに後れを取るほど、研鑽が怠っておりませんので。そうですね、星浪は十度、真宙は一度の死でしまいとしましょう。ーーこちらで少しやる気になりますか?」

「……俺はやら」

「やらないと言ったら、星浪のあんなことやこんな経歴ことを彼女に暴露バラします」

「はぁ!?」

「だって真宙さんは、既にやる気充分のようですし?」

「だって言うこと聞かすチャンスってことでしょ」

「理解が早くて助かります」

「……っお前になんのメリットが、」

「もう半年、まともにデートも出来てませんの」


 星浪が辞めたせいで、とは言わない。

 問題はそこではないからだ。ーーとはいえ。


「あなた達が戦力になってくれれば、すこしはデートのお時間も取れますでしょう?」


 嘘偽りない本心だった。

 でーと、と小さくつぶやいた真宙の傍らで、星浪はこちらに目をくれる。


「……悪くねー話だが、ひとつだけ」

「なんでしょう」

ねぇ」

「あ」

「お前は気づけ」


 つっこまれている真宙をみながら、確かにやる気を出すにはご褒美が大事かも、とくくりは思う。


「……では、真宙さんには、外出許可を。星浪と行きたくない場所がありましたら、私をお呼びください。星浪はーー……とりあえず借り1、ということで」

「おい」

 

 ねーのかよ、とぼやく星浪に、だって、とくくりは口をとがらせる。


「星浪、私に何かしてほしい事ございます?」


 本心だった。

 いい加減長い付き合いだから、分かる。自分が星浪に求めるものが特にないように、星浪も自分に何かを求めることははない。


「……貸しでいい」

「では、そういう事で。ーーそれでは星浪、真宙さん。また」


 折良く鳴った端末を機に、その場を離れる。


「もしもし? どうしましたか、七瀬」

『戻って来ないから、気になって』

「申し訳ありません。少し、おせっかいを焼いてました」

『おせっかい?』

「えぇ」


 くくりは振り向き、微妙な距離感で並んで歩く真宙と星浪、二人の背中を見送りながら、呟いた。


「本当にーー……、これでなんとかなってくれれば、良いのですけど」

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