08▶ちぐはぐなバディ

 遠い昔の話です。

 いつからか、その海辺にはひとりの男の人魚が暮らしておりました。その身に九十九つくもの命を宿した人魚は大変な長生きで、死ぬにも死ねず、いつの頃からか、生きることに飽いていました。 

 そんな人魚の住む海辺に、ひとりの娘が流れ着いたのは、ちょうど千回目を数えた春の事でした。

 

□■□■


 身に宿す命核の限り、カガリは彼岸からこちらへと、戻って来る事ができる。だが、真の意味で「もう一度」が与えられるのは、ヨスガがいてこそだ。

 ヨスガに呼び戻されなければ、カガリはすべてを失う。記憶も、時間も、己の生きたすべてが断絶する。

 力の源であり、弱点。それが、カガリにとってのヨスガという存在だ。だからカガリはヨスガを守る。

一度きりの生しか持たないヨスガを守るためなら、命核いのちだって使う。


 そう。実に簡単な引き算だ。

 2引く1は1だが、1引く1はゼロ。

 だから、こと戦場において何を優先するべきなんてこたは、分かりきっている。


 まともに考えれば道は一つしかないーー筈、なのだが。


「お前いい加減にしろよマジで……」


 倒れたっきり、ぴくりとも動かなくなった契約者バディの姿を見下ろして、星浪は深々とため息をついた。

 守るという行為は、守られる側の自覚があってこそ成立する。その事をつくづく思い知らされる。

(失敗ーー……したかも、なァ)

 これで何度目の後悔か。当座しのぎの相方ヨスガとはいえ、こう何度も目の前で死なれると、流石にクるものがある。


『矢野真宙の死亡リタイアを確認。戦闘シミュレーションを中断します』


 百々の言葉と共に、雨の音が消えた。

 薄暗い駐車場の風景はたちまちにブラックアウト。外の空気が入る気配に身を起こし、バイザーを外せば卵型の訓練ポットはちょうどてっぺんまで開いたところだった。

 立ち上がり、傍らに並ぶもう一台の筐体、その側面を星浪はコンコンと叩く。

 ふざけんな、何勝手な行動しやがるーーそうキレることさえ億劫だ。六度目ともなれば。


「そんなに死んで楽しいか?」

 

 投げやりに問いかければ、肘掛けを掴んでいた指先が、ぴくりと動く。手を伸ばしてバイザーを外してやれば、真宙は眩しそうに目を細めるーーが、それも一瞬。

 弾かれるように、真宙が身を起こす。声にならない悲鳴に、星浪は顔を顰めた。


「っぁ、………っう、」


 罪人のように差しだされたうなじには、本当に通り雨に降られたかのような汗。ダブついている訓練着の胸元をぎゅうと掴み、震えている指先から、星嵐はそっと目を逸らす。

 眼裏に焼き付いているのは、仮想現実シミュレーションの中で、心臓を抉られ死んだ、彼女の姿。

 今回だけじゃない。

 首を絞められ、高所から落とされ、水に沈められ、瓦礫に潰され、真宙は死んだ。守りきることはできなかった。あっけないほど簡単に、木っ端のように、真宙は星浪の前で殺され続けた。そしてそれは、シミュレーションだからいいというものでもない。


「何を勘違いしてんのかしんねーが、お前の役目は戦うことじゃない」


 うざい、と。

 何より雄弁に、その瞳は答えている。頑固に口を引き結んだ真宙に、あのなと星浪は口を開いた。


「お前にめいを預けんのは、身を守らせるためだ。戦う用じゃねーの」

「……銃なんて初めて触ったし。刀ならもうちょっと動けるもん」


 だから渡さないんだよ。

 ごにょごにょと寄越された言い訳に、キレそうになったが、なんとか耐える。

 ふと思い出したのは、牡丹燈籠に見事ぶち当たった金属バット。直接投げるのは得意だけど、道具は苦手。そんなところだろうか。

(コントロールがあるのかないのか)

 む、と尖った唇に、怒りを逃がすべく息を吐く。どうもなかなか、抜けていかないけど。

 

「ね、命具これって銃じゃないのとかーー」

「話を逸らすな。おまえの最優先は、生き延びることだ。戦いは俺に、民間人の保護は局員に任せりゃいい」

「何もするなって言うの」

「だからそー言ってんだよ、さっきから。どーしても何かしてぇってなら、そのノーコンでも磨くんだな。ヨスガに命喰いとの近接戦闘の許可はまずおりない」

「……」

「何がそんなに気に喰わねーんだ。命管から一歩も出ねーヨスガだっている。お前の生存が俺の生。ヨスガは守られることで、その役目を」

「死ぬのが前提みたいに言うんだね」

「六連チャンで死んでる馬鹿に言われたかねーよ。てめーが倒そうなんつー欲かかなきゃ済む話だ」

「でも、カガリと戦うヨスガもいるって」

「アレは例外だ。一緒くたに考えんじゃねー」


 いいか、と。

 噛んで言い含めるように、星浪は続ける。


「俺がお前をヨスガにしたのは、そのしぶとさでだ」

「……しぶとさ」

「そーだ。生き残るだけなら自分てめーでなんとか出来んだろ、お前なら。俺はどうも……守りながらの戦いっつーの? 肌に合わなくてな。それがまさか、こんな死にたがりとは」

「私はッ」

「結果、同じ事だろ。ほれ見ろこの生存率。よく3割切れたもんだ。新人でも6割はーー」


「まぁまぁ二人とも落ち着いて。ね? 目を離した隙に喧嘩するの、いい加減やめよ?」

「百々!」


 割って入ってきた百々に、真宙がぱっと駆け寄る。

なんだか釈然としないものが、胸に渦巻く。あの一件以降、炊事課から引き抜きかれてきた青年に、真宙は妙に懐いていた。


「だって星浪が、」

「だってじゃねーよ。あと百々、これは喧嘩じゃない。説教だ」

「はァ? えらそーに。人の話を聞かないのはどっちーー」

「僕を挟んでヒートアップしないでマジで」


 人好きにする狸顔。その困ったような眼差しに、きまりが悪くなって口を噤む。


「あ」

「なんだよ」


 思い出したように声を上げた痩躯を見上げれば、彼は真っ直ぐにこちらを見て、言った。


「土岐局長代行がお呼びです」

「でた癒着」

「癒着じゃねぇ。ーー行ってくる」


 子供のように、百々の影に隠れた真宙の姿に呆れつつ、星浪は訓練室を後にする。


「行ってらっしゃい」


 久しぶりに聞いた見送りの言葉はなんだか少し、こそばゆかった。



■□■□


 ここじゃあなんだから、昼でも。

 そんな誘いと共に星浪が、連れて行かれたのは、命管から少し歩いたところにある例のビルだった。


 テナントが入っているかもあやしい佇まいだが、1階のコンビニエンスストアの勝手口の横にある階段を登れば、そこには会員制のレストランが入っている。


 何度か土岐に連れられきてはいるが、謎の多い店だ。いつ来ても空いている上、他の客とかちあったこともない。どうして成立するのか見当もつかないその店は、メニューさえもなかった。


 だが、それが「何にもない」ではなく「何でもある」のだから本当にわからない。一度なんか、お気に入りのカレー屋のカレーそのものが出てきた。それも、買ってきたって間に合わないような、数分でだ。


 いつも通りの個室で、「おまかせ」を注文した土岐に続いて、星浪はカレーを注文した。

 かしこまりましたと、店員は深々と頭を下げる。滑るように戸が閉まるや否や、土岐は身を乗り出すようにして尋ねてきた。


「で、どうなんだい彼女」

「どうもこうもねーよ。ヤバい」

「ヤバい?」

「見るか?」


 そら、と星浪は真宙の成績結果を星浪の端末に送りつける。さくっと目を通した土岐は、ほんの少しだけ黙り、やがてどちらにでも取れる回答を寄越した。


「っと……すごいね?」

「だろ。こんなん連れてけねーよ」


 嘆息する星浪に、土岐は視線を彷徨わせていたが、ややあって何か思いついたようにこちらに向き直ると、指を組んだ。広報誌に載っているような完璧なスタイルは、若干腹立たしい。


「スタイル変えたら? 射撃センスは……うん、磨く余地しかないみたいだし」


 ド下手くそ、の言葉を綺麗にオブラートに包んでみせた土岐だが、その口元は誤魔化せていない。


「狙ってやってるなら、逆にすごいけどね」


 隠しきれない苦笑が、そこには乗っていた。


 そう。

 そうなのだ。

 

 今回星浪が真宙と行った対命喰い戦闘シミュレーションは、全部で十回。内六回は真宙が死んだが、残りの四回で死んだのは星浪の方だ。原因は他ならぬ、味方まひろの誤射。


 ーーいっそのこと命管でふん縛っといてくんねーかな。

 

 星浪はぼやいた。


「アレが背中のりだって方がよっぽど恐ろしいわ」

「でも体術も刀術も悪くない……というかこれなら警備課の中でも上位に食い込めるんじゃないか、これなら。誰かに手ほどきを?」

「父親仕込みだそうだ」

「あぁ、例の」


 なんとなく会話が途切れたところで、お冷やを一口。さわやかなレモンの風味が喉を抜けるが、気分は全然スッキリしない。


「で、わざわざこんなトコまで連れてきて、何の話だ?」

「切り込むねぇ」

「美味い飯は美味く食いてーだろ。さっさと言え」


 急かした星浪に、土岐は肩を竦めた。


「次の現場には出てほしい」

「戦闘シミュレーションで生存率80%、それがヨスガの出撃の条件だろ」

「彼女は命喰いだ」

「半、だろ。人より多少力はあるが、それだけ。鬼術きじゅつも使えねー、治癒力もないんじゃ、人とほとんど変わんねーよ」

「そんなのケチつけたい人間にとっては同じ事さ。彼女をあんに引き渡せって話だって出てきてる」


 特区安全保障局。

 犬猿の仲である組織の名前を、土岐は嫌そうに口にした。

 カガリを中心とした討伐体制を敷く命管と違い、安保は確保した丙種以上の命喰いを使って駆除を行う。命管の命喰い対策室と、安保の駆除班。両者は現場で何度となく、やり合ってきた。

 

「命素を付与された痕跡もない。両親のどちらかが命喰いじゃないかってのが、妻木の見立てだろ。だったら、」

「星嵐。君、他所でそれ絶対に言うなよ」

「なんだよ急に」

「そんな希少種レアケース、安保が欲しがらないとでも?」


 厄介だよ、彼女は。

 土岐はぼやいて、お冷を煽った。


「君がようやく選んだヨスガだ。俺だって大事にしたい。だけど、それには成果が要る。……10日だ」

「10日?」

「あぁ。彼女を連れて現場に出てくれ」

「来月の10日だよな?」

「来週の10日だ」

「あと1週間しかねーじゃん。無理だって」

「無理でも出すんだ。これは君の上司としての命令になる。これ以上の便宜は図れない」

「……わかったよ」


「失礼します」


 タイミングを狙いすましたかのようなノックに、土岐がどうぞ応える。しずしずと、トレーに乗って運ばれてきたのは二つのカレー。


「カレーは俺だけじゃ、」

「こちら本日の『おまかせ』、チキンカレーになります」

「あ、そうなの……」


 食欲をそそる匂いに、腹が鳴る。


「とりあえず、食べようか」

「そーだな」


 いただきます。

 重ねた手は、声は、図らずも揃った。

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